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第7話 『想い辛し』act.1
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二人のデートは、どこか異質なものでありながらも、奇妙に心地よいものでもあった。それはまさに「夜限定」という条件付きで成り立つ、ごく普通のデートだった。周りの目を気にせずに二人だけの時間を過ごせる場所が、夜の吉祥寺にはたくさんあった。
その日も、蒼真とエリカはいつものように『カフェ・ブラン』に足を運んだ。カフェは静かで落ち着いた雰囲気で、どこか時間がゆっくりと流れているように感じさせる。薄暗い照明の中で、蒼真とエリカはそれぞれ紅茶を飲みながら本を広げていた。まるで文系カップルのように、二人の間には言葉少なに本の世界に浸る時間が流れていった。
「これ、面白いね」
「うん、そうだね。なんだかこういう本を読んでいると、静かな気持ちになれるよ」
エリカがページをめくりながら言った。蒼真はその隣で自分の本に目を落としながら、何気ない一言に頷いた。
何か大きなドラマがあるわけではない。ただ、静かに過ごす時間がとても心地よくて、二人はその静けさに包まれながら一緒にいることを楽しんでいた。
「そういえば、ここ来るのも久しぶりだね」
「うん、なんか、また来たくなっちゃったんだ。ここなら、夜も落ち着いて過ごせるし」
エリカの言葉に蒼真は静かに笑った。その笑顔が、どこか照れくさいものだった。
「うん、ここの静けさが好きなんだよね」
「私も…夜の街が好き。でも、昼間はちょっと…なんだか落ち着かなくて」
エリカがそう言いながら窓の外を見つめる。暗い街の灯りが穏やかに輝いているのを見て、二人の間に流れる時間はまたゆっくりと動き出した。
それは何でもないような、ただの夜のひととき。でも、二人にとっては特別な時間であり、その特別さは他の誰にも理解されることのない、二人だけのものだった。
「ねえ、蒼真…本当に私で良かったの?」
エリカがふと顔を上げて、少し不安そうな表情で蒼真を見つめた。
「なんで?」
蒼真は首をかしげながら答える。
「だって、夜しか会えないんだよ?」
エリカは少し声を震わせながら言った。これまで何度も会ってきた夜の時間。でも、やっぱり心のどこかでその制限を感じていたのだ。
「そりゃ仕方ないでしょ。日中は危ないし」
蒼真はあっけらかんと答えながらも、どこか優しさがこもった眼差しをエリカに向けた。
「でも…私、夜だけってちょっと寂しいかなって思う時もあるんだ」
エリカは少しだけ言葉を詰まらせながらも、続けた。夜の静けさの中で過ごす時間は心地よいけれど、昼間の温かさに触れたくなる瞬間もあるのだろう。きっとまだこの異質な体質が目覚める前の、幼少期に感じた温かさに。
「分かるよ。でも、今はこれが一番安全だし、楽しいからいいじゃん」
蒼真がエリカの手をそっと握りしめる。
「俺も一緒だよ。夜だけでも、こんな風に過ごせて嬉しいんだから」
その言葉に、エリカは少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。そして、心から微笑んだ。
「うん、ありがとう。私も楽しいよ。夜だけでも、一緒にいられる時間があるって幸せだよ」
二人は目を合わせ、静かな笑顔を交わした。それが、今の二人にとって一番大切な瞬間だった。
俺は人間。エリカは吸血鬼の末裔。それでも今こうして過ごしている時間は、他の街ゆくカップルと何ら変わらない。カフェでデートして、公園を散歩して、古本屋を巡る。別に何も変わらない。変わらないんだ。
それでも、どこか心の中で違和感を感じることがあった。俺が人間で、エリカが吸血鬼の末裔だということ。それが、時々、日常の中でひょっこり顔を出す。例えば、昼間はエリカが外に出ることができないことだったり、夜になると少し元気を取り戻す様子を見たり。普通のカップルが何気なく過ごす日々の中で、確かに私たちは少し違う。それを、意識せずにいることの方が難しい時もある。
でも、今はそれをあまり考えないようにしている。エリカもそうだろう、無理に自分を人間のように振る舞わなくてもいい。二人で過ごす時間が、大切だから。
カフェで紅茶を飲みながら、静かな時間を共有すること。井の頭公園のベンチに座り、空を見上げながら話すこと。古本屋を巡り、古い本を手に取っては一緒に笑ったり、時には真剣に本の内容を語り合ったり。
「ねえ、蒼真」
エリカが少し沈黙を破って、ふっと俺を見つめる。
「うん?」
「今こうしている時が…一番幸せ」
彼女の声には、いつも以上に静かな強さがあった。まるで、どんなに変わらないように見える日常の中でも、彼女の心はそれに支えられているかのようだった。
「だから…キスして」
エリカの言葉に、思わず心臓が跳ねる。
「えっ…?」
驚いたように目を見開いた俺に、エリカはほんの少し照れたような表情で、でもどこか確信に満ちた瞳で俺を見つめ返す。
「私…その、ちゃんと伝えたくて。今、こうして一緒にいることが、すごく嬉しいから。だから、もっと近くに感じたくて」
彼女の言葉が、ふわりと俺の中に染み込んでいく。吸血鬼の末裔で、昼間は外に出られず、夜にしか会えない。そんな普通ではない関係でも、こうして普通に過ごせることがどれだけ奇跡みたいなことか、俺は分かっていた。だけど、それでも、やっぱりこうして、普通のカップルがするようなことをしたいと思ったんだろう。
「俺も…エリカと一緒にいることがすごく幸せだよ」
エリカは少し頬を染めて、少しだけ顔を近づけてきた。その瞳に映るのは、ほんの少しの不安と、でも確かな気持ちだった。
「じゃあ…してくれる?」
俺は少しだけ心を落ち着け、静かに頷くと、エリカの唇が触れる寸前で、ほんの少しだけ息を止めた。
「うん…」
静かな夜の中で、二人だけの時間が少しだけ特別なものになった気がした。
------------------------------------------
9月10日…
夏休みが終わり、再び忙しい大学生活が始まった。だが、俺の生活は少し変わっていた。昼は相変わらずの3コマ強の講義が続き、エリカとは夜しか会えない。それでも、彼女との時間はとても大切だから、昼間の疲れをエナジードリンクでなんとかしのぎながら、夜の街でデートを重ねる日々が続いていた。
「夜はまだまだ暑いけど、あの頃よりは少し涼しくなったかな?」
そんな会話をしながら歩く吉祥寺の街並み。エリカの笑顔が、暗がりの中でも光を放っているように感じた。俺たちのデートは、普通のカップルと変わらない。夜のカフェで紅茶を飲みながら本を読んで、公園を散歩して、古本屋を巡る。時間が流れていくのが不思議なほど心地よい。
でも、現実は少しずつ厳しくなってきていた。無理していないと言いつつ、俺は徐々に大学生活に支障をきたし始めていた。講義に遅刻するようになり、眠い目をこすりながらの授業。日中にエリカに会えない分、夜の時間がどうしても大切になっていた。だから、何とかしてでもエリカと一緒に過ごす時間を作りたくて、講義を疎かにしてしまっていた。
「もう少し、ちゃんとしないとな」
心の中で呟きながらも、夜の街で過ごす時間は一番楽しい。エリカも、昼間の自分の時間に戻ることを知っているからこそ、夜のひとときを全力で楽しもうとしてくれる。それが、俺にはとても嬉しかった。
「でも、もう少ししたら、ちゃんと考えないとね」
その日も、エリカと過ごす幸せな夜が続く中で、少しだけ自分を律しなければならないことを感じていた。
それでも次第に見えてきてしまう。二人の恋愛には、どうしても越えられない壁が見えてきた。それは、生きる時間軸の違いという現実的な問題だった。蒼真は人間で、昼間を中心に生活をしている。大学での成績を伸ばし、卒業資格を取るためには、講義を真面目に受け、テストで良い結果を出さなければならない。特に、1年目の成績が芳しくなく、次の学期で挽回する必要があった。
そのため、蒼真は毎日、忙しい大学生活を送りながら、どうしてもエリカとの時間を犠牲にせざるを得なくなった。昼間は講義に追われ、夜になると、エリカと一緒に過ごす時間が待っているものの、無理をしてまで会うことが続くと、次第に疲れが溜まってくる。そして、エリカも理解していた。彼女は吸血鬼の遺伝子を受け継いでおり、日中の陽の光を浴びることができない。だからこそ、彼女の活動時間は夜だけ。それでも、彼女は必死に夜の時間を大切にしていた。
だが、この時間軸の違いが次第に二人を引き裂く壁のように感じられた。蒼真が無理をしない限り、二人の世界は交わらない。エリカが活動できる時間に、蒼真が大学にいる。蒼真が帰宅しても、エリカはまだ眠っている。エリカが目を覚ます頃には、蒼真はもう大学に向かっている。
それでも、二人は一緒にいることが楽しく、かけがえのない時間だった。しかし、現実は静かに二人の間に忍び寄ってきて、無理をし続けることが限界に近づいているのを、どこかで感じていた。
その日は、いつものように『カフェ・ブラン』でデートをしていた。静かな夜のカフェで、二人だけの空間に浸りながら本を読んだり、たわいもない話をしたりする。エリカは静かに紅茶をすすりながら、本を読んでいる。彼女の黒髪が、柔らかなカフェの灯りに照らされて、なんだか妖精のように美しく見える。
一方、蒼真は、日中の講義で疲れ切っていた。普段はエナジードリンクを摂取し、気合いで夜を乗り越えていたが、その日は特に睡眠不足が響いていた。エリカと並んで座り、紅茶を一口すすったが、まもなく目が重くなっていった。
「…うーん」
蒼真が頬杖をついたその瞬間、もう意識が遠のいていった。エリカが微笑みながら本に目を落としている間、蒼真はそのままテーブルに頭を乗せ、まるで昼寝をするかのように眠り込んでしまった。
「あら、また…」
エリカが蒼真の方を見て、少し驚きながらも、やさしく微笑んだ。彼が寝てしまうのは、ここ最近何度もあったことだ。しかし、エリカの心にはわずかな寂しさも感じていた。蒼真の無理が少しずつ積み重なっていくことを、彼女は心配していた。
蒼真の顔が、テーブルにうっすらと乗り、彼の黒髪が少し乱れている。寝顔がどこか無防備で、エリカはしばらくその姿を見つめていた。彼はいつも笑っているし、優しく接してくれるが、こうして寝ている姿を見ると、普段の疲れが見え隠れしているように感じる。
「蒼真…」
エリカはそっと彼の手を握り、そっと揺すった。
「蒼真、起きて。もう帰らないといけない時間だよ」
その声に、蒼真はわずかに目を開けた。目をこすりながら、眠そうにエリカを見上げる。
「ごめん…ちょっと、寝ちゃってた…」
彼は照れくさそうに笑い、また目を閉じようとしたが、エリカはその顔を見て心配そうに言った。
「無理しないで。大丈夫だから、ちゃんと休んでね」
蒼真は小さく頷くと、エリカの手を握り返した。心地よい静けさの中、二人はしばらくそのまま静かに過ごしていた。だけど、エリカは心の中で、自分が蒼真に与えているものと、彼の疲れがどれだけ大きいかを感じていた。
別の日も、また別の日も、状況が改善されることは難しい。
二人が出会い、心が通じ合い、恋に落ちた。この過程はまさに夏休みのように、時間に余裕があったからこそ実現したのだろう。蒼真の大学生活も、エリカとの出会いも、あの長い夏の間に芽生えたものだった。昼間は大学の講義に没頭し、夜はエリカと過ごす。何もかもがバランスよく、少しでも時間があればお互いを求め、笑い、ただ一緒にいるだけで幸せだった。
しかし、その夏休みが終わり、蒼真の大学生活が再び忙しさに追われるようになると、状況は変わり始めた。夏の間は思う存分に会えていたのに、今は毎日が忙しく、大学の講義や課題に追われる日々が続く。夜はエリカと会えるのが唯一の楽しみではあるが、その時間さえも、次第に限られていった。
エリカは夜だけしか活動できない。昼間の太陽の下には出られず、日中の時間帯はただ静かに過ごすことが多い。蒼真は、その現実を受け入れつつも、どうしても昼間にエリカと過ごすことはできないという壁に直面していた。夜だけのデートが、二人にとっての唯一の接点になりつつあったが、それでも次第に物理的な限界を感じ始める。
「今日はもう眠いな…」
蒼真はうっすらと目を閉じながら呟いた。昼間の講義で疲れきっていた彼は、エリカとのデート中に目を閉じてしまうことが増えていた。
「また寝ちゃうの?」
エリカが静かに尋ねる。彼女の顔に心配の色が浮かぶ。その度に蒼真は恥ずかしそうに頭をかきながら、「すまない…今日はほんとに疲れてるんだ」と笑うが、エリカはその笑顔の裏に隠れた疲れを見逃せなかった。
エリカは心の中で考える。彼との時間は確かに楽しい。しかし、今はその時間が徐々に短くなり、蒼真が心の底から疲れ果てているのが分かる。彼に無理をさせたくはない、けれどそれが二人の間に見えない溝を作りつつあった。
エリカは、昼間の時間を持て余すことなく静かに待っている。しかし、蒼真が夜になるとまた忙しい日々を繰り返し、会える時間が削られていくのを、彼女も感じている。どんなに会いたくても、時間と物理的な制約が二人の間に立ちはだかる。それでも、二人の想いは強い。お互いに惹かれ合い、信じ合っていることに疑いはない。しかし、それは交わることのない時間に変わってきている現実を、どこかで感じ始めていた。
夜が深くなるにつれて、エリカは窓の外を見つめ、ただ静かに蒼真の隣で過ごす時間を大切にしようと思った。彼がこの先、どんなに忙しくても、夜に二人だけの時間を持てることが、今は何よりも幸せだと思う。それが続く限り、どんなに時間が流れようとも、この想いは色あせることなく続いていくと信じている。
でも、それが「続く限り」という言葉に含まれる限界を感じ始めていた。どれだけ時間を割いても、二人の接点は夜の間に限られ、蒼真の学生生活の忙しさは止まることがない。どんなに愛していても、その時間だけでは足りないことに、ふと気づく時がある。
その日も、蒼真とエリカはいつものように『カフェ・ブラン』に足を運んだ。カフェは静かで落ち着いた雰囲気で、どこか時間がゆっくりと流れているように感じさせる。薄暗い照明の中で、蒼真とエリカはそれぞれ紅茶を飲みながら本を広げていた。まるで文系カップルのように、二人の間には言葉少なに本の世界に浸る時間が流れていった。
「これ、面白いね」
「うん、そうだね。なんだかこういう本を読んでいると、静かな気持ちになれるよ」
エリカがページをめくりながら言った。蒼真はその隣で自分の本に目を落としながら、何気ない一言に頷いた。
何か大きなドラマがあるわけではない。ただ、静かに過ごす時間がとても心地よくて、二人はその静けさに包まれながら一緒にいることを楽しんでいた。
「そういえば、ここ来るのも久しぶりだね」
「うん、なんか、また来たくなっちゃったんだ。ここなら、夜も落ち着いて過ごせるし」
エリカの言葉に蒼真は静かに笑った。その笑顔が、どこか照れくさいものだった。
「うん、ここの静けさが好きなんだよね」
「私も…夜の街が好き。でも、昼間はちょっと…なんだか落ち着かなくて」
エリカがそう言いながら窓の外を見つめる。暗い街の灯りが穏やかに輝いているのを見て、二人の間に流れる時間はまたゆっくりと動き出した。
それは何でもないような、ただの夜のひととき。でも、二人にとっては特別な時間であり、その特別さは他の誰にも理解されることのない、二人だけのものだった。
「ねえ、蒼真…本当に私で良かったの?」
エリカがふと顔を上げて、少し不安そうな表情で蒼真を見つめた。
「なんで?」
蒼真は首をかしげながら答える。
「だって、夜しか会えないんだよ?」
エリカは少し声を震わせながら言った。これまで何度も会ってきた夜の時間。でも、やっぱり心のどこかでその制限を感じていたのだ。
「そりゃ仕方ないでしょ。日中は危ないし」
蒼真はあっけらかんと答えながらも、どこか優しさがこもった眼差しをエリカに向けた。
「でも…私、夜だけってちょっと寂しいかなって思う時もあるんだ」
エリカは少しだけ言葉を詰まらせながらも、続けた。夜の静けさの中で過ごす時間は心地よいけれど、昼間の温かさに触れたくなる瞬間もあるのだろう。きっとまだこの異質な体質が目覚める前の、幼少期に感じた温かさに。
「分かるよ。でも、今はこれが一番安全だし、楽しいからいいじゃん」
蒼真がエリカの手をそっと握りしめる。
「俺も一緒だよ。夜だけでも、こんな風に過ごせて嬉しいんだから」
その言葉に、エリカは少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。そして、心から微笑んだ。
「うん、ありがとう。私も楽しいよ。夜だけでも、一緒にいられる時間があるって幸せだよ」
二人は目を合わせ、静かな笑顔を交わした。それが、今の二人にとって一番大切な瞬間だった。
俺は人間。エリカは吸血鬼の末裔。それでも今こうして過ごしている時間は、他の街ゆくカップルと何ら変わらない。カフェでデートして、公園を散歩して、古本屋を巡る。別に何も変わらない。変わらないんだ。
それでも、どこか心の中で違和感を感じることがあった。俺が人間で、エリカが吸血鬼の末裔だということ。それが、時々、日常の中でひょっこり顔を出す。例えば、昼間はエリカが外に出ることができないことだったり、夜になると少し元気を取り戻す様子を見たり。普通のカップルが何気なく過ごす日々の中で、確かに私たちは少し違う。それを、意識せずにいることの方が難しい時もある。
でも、今はそれをあまり考えないようにしている。エリカもそうだろう、無理に自分を人間のように振る舞わなくてもいい。二人で過ごす時間が、大切だから。
カフェで紅茶を飲みながら、静かな時間を共有すること。井の頭公園のベンチに座り、空を見上げながら話すこと。古本屋を巡り、古い本を手に取っては一緒に笑ったり、時には真剣に本の内容を語り合ったり。
「ねえ、蒼真」
エリカが少し沈黙を破って、ふっと俺を見つめる。
「うん?」
「今こうしている時が…一番幸せ」
彼女の声には、いつも以上に静かな強さがあった。まるで、どんなに変わらないように見える日常の中でも、彼女の心はそれに支えられているかのようだった。
「だから…キスして」
エリカの言葉に、思わず心臓が跳ねる。
「えっ…?」
驚いたように目を見開いた俺に、エリカはほんの少し照れたような表情で、でもどこか確信に満ちた瞳で俺を見つめ返す。
「私…その、ちゃんと伝えたくて。今、こうして一緒にいることが、すごく嬉しいから。だから、もっと近くに感じたくて」
彼女の言葉が、ふわりと俺の中に染み込んでいく。吸血鬼の末裔で、昼間は外に出られず、夜にしか会えない。そんな普通ではない関係でも、こうして普通に過ごせることがどれだけ奇跡みたいなことか、俺は分かっていた。だけど、それでも、やっぱりこうして、普通のカップルがするようなことをしたいと思ったんだろう。
「俺も…エリカと一緒にいることがすごく幸せだよ」
エリカは少し頬を染めて、少しだけ顔を近づけてきた。その瞳に映るのは、ほんの少しの不安と、でも確かな気持ちだった。
「じゃあ…してくれる?」
俺は少しだけ心を落ち着け、静かに頷くと、エリカの唇が触れる寸前で、ほんの少しだけ息を止めた。
「うん…」
静かな夜の中で、二人だけの時間が少しだけ特別なものになった気がした。
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9月10日…
夏休みが終わり、再び忙しい大学生活が始まった。だが、俺の生活は少し変わっていた。昼は相変わらずの3コマ強の講義が続き、エリカとは夜しか会えない。それでも、彼女との時間はとても大切だから、昼間の疲れをエナジードリンクでなんとかしのぎながら、夜の街でデートを重ねる日々が続いていた。
「夜はまだまだ暑いけど、あの頃よりは少し涼しくなったかな?」
そんな会話をしながら歩く吉祥寺の街並み。エリカの笑顔が、暗がりの中でも光を放っているように感じた。俺たちのデートは、普通のカップルと変わらない。夜のカフェで紅茶を飲みながら本を読んで、公園を散歩して、古本屋を巡る。時間が流れていくのが不思議なほど心地よい。
でも、現実は少しずつ厳しくなってきていた。無理していないと言いつつ、俺は徐々に大学生活に支障をきたし始めていた。講義に遅刻するようになり、眠い目をこすりながらの授業。日中にエリカに会えない分、夜の時間がどうしても大切になっていた。だから、何とかしてでもエリカと一緒に過ごす時間を作りたくて、講義を疎かにしてしまっていた。
「もう少し、ちゃんとしないとな」
心の中で呟きながらも、夜の街で過ごす時間は一番楽しい。エリカも、昼間の自分の時間に戻ることを知っているからこそ、夜のひとときを全力で楽しもうとしてくれる。それが、俺にはとても嬉しかった。
「でも、もう少ししたら、ちゃんと考えないとね」
その日も、エリカと過ごす幸せな夜が続く中で、少しだけ自分を律しなければならないことを感じていた。
それでも次第に見えてきてしまう。二人の恋愛には、どうしても越えられない壁が見えてきた。それは、生きる時間軸の違いという現実的な問題だった。蒼真は人間で、昼間を中心に生活をしている。大学での成績を伸ばし、卒業資格を取るためには、講義を真面目に受け、テストで良い結果を出さなければならない。特に、1年目の成績が芳しくなく、次の学期で挽回する必要があった。
そのため、蒼真は毎日、忙しい大学生活を送りながら、どうしてもエリカとの時間を犠牲にせざるを得なくなった。昼間は講義に追われ、夜になると、エリカと一緒に過ごす時間が待っているものの、無理をしてまで会うことが続くと、次第に疲れが溜まってくる。そして、エリカも理解していた。彼女は吸血鬼の遺伝子を受け継いでおり、日中の陽の光を浴びることができない。だからこそ、彼女の活動時間は夜だけ。それでも、彼女は必死に夜の時間を大切にしていた。
だが、この時間軸の違いが次第に二人を引き裂く壁のように感じられた。蒼真が無理をしない限り、二人の世界は交わらない。エリカが活動できる時間に、蒼真が大学にいる。蒼真が帰宅しても、エリカはまだ眠っている。エリカが目を覚ます頃には、蒼真はもう大学に向かっている。
それでも、二人は一緒にいることが楽しく、かけがえのない時間だった。しかし、現実は静かに二人の間に忍び寄ってきて、無理をし続けることが限界に近づいているのを、どこかで感じていた。
その日は、いつものように『カフェ・ブラン』でデートをしていた。静かな夜のカフェで、二人だけの空間に浸りながら本を読んだり、たわいもない話をしたりする。エリカは静かに紅茶をすすりながら、本を読んでいる。彼女の黒髪が、柔らかなカフェの灯りに照らされて、なんだか妖精のように美しく見える。
一方、蒼真は、日中の講義で疲れ切っていた。普段はエナジードリンクを摂取し、気合いで夜を乗り越えていたが、その日は特に睡眠不足が響いていた。エリカと並んで座り、紅茶を一口すすったが、まもなく目が重くなっていった。
「…うーん」
蒼真が頬杖をついたその瞬間、もう意識が遠のいていった。エリカが微笑みながら本に目を落としている間、蒼真はそのままテーブルに頭を乗せ、まるで昼寝をするかのように眠り込んでしまった。
「あら、また…」
エリカが蒼真の方を見て、少し驚きながらも、やさしく微笑んだ。彼が寝てしまうのは、ここ最近何度もあったことだ。しかし、エリカの心にはわずかな寂しさも感じていた。蒼真の無理が少しずつ積み重なっていくことを、彼女は心配していた。
蒼真の顔が、テーブルにうっすらと乗り、彼の黒髪が少し乱れている。寝顔がどこか無防備で、エリカはしばらくその姿を見つめていた。彼はいつも笑っているし、優しく接してくれるが、こうして寝ている姿を見ると、普段の疲れが見え隠れしているように感じる。
「蒼真…」
エリカはそっと彼の手を握り、そっと揺すった。
「蒼真、起きて。もう帰らないといけない時間だよ」
その声に、蒼真はわずかに目を開けた。目をこすりながら、眠そうにエリカを見上げる。
「ごめん…ちょっと、寝ちゃってた…」
彼は照れくさそうに笑い、また目を閉じようとしたが、エリカはその顔を見て心配そうに言った。
「無理しないで。大丈夫だから、ちゃんと休んでね」
蒼真は小さく頷くと、エリカの手を握り返した。心地よい静けさの中、二人はしばらくそのまま静かに過ごしていた。だけど、エリカは心の中で、自分が蒼真に与えているものと、彼の疲れがどれだけ大きいかを感じていた。
別の日も、また別の日も、状況が改善されることは難しい。
二人が出会い、心が通じ合い、恋に落ちた。この過程はまさに夏休みのように、時間に余裕があったからこそ実現したのだろう。蒼真の大学生活も、エリカとの出会いも、あの長い夏の間に芽生えたものだった。昼間は大学の講義に没頭し、夜はエリカと過ごす。何もかもがバランスよく、少しでも時間があればお互いを求め、笑い、ただ一緒にいるだけで幸せだった。
しかし、その夏休みが終わり、蒼真の大学生活が再び忙しさに追われるようになると、状況は変わり始めた。夏の間は思う存分に会えていたのに、今は毎日が忙しく、大学の講義や課題に追われる日々が続く。夜はエリカと会えるのが唯一の楽しみではあるが、その時間さえも、次第に限られていった。
エリカは夜だけしか活動できない。昼間の太陽の下には出られず、日中の時間帯はただ静かに過ごすことが多い。蒼真は、その現実を受け入れつつも、どうしても昼間にエリカと過ごすことはできないという壁に直面していた。夜だけのデートが、二人にとっての唯一の接点になりつつあったが、それでも次第に物理的な限界を感じ始める。
「今日はもう眠いな…」
蒼真はうっすらと目を閉じながら呟いた。昼間の講義で疲れきっていた彼は、エリカとのデート中に目を閉じてしまうことが増えていた。
「また寝ちゃうの?」
エリカが静かに尋ねる。彼女の顔に心配の色が浮かぶ。その度に蒼真は恥ずかしそうに頭をかきながら、「すまない…今日はほんとに疲れてるんだ」と笑うが、エリカはその笑顔の裏に隠れた疲れを見逃せなかった。
エリカは心の中で考える。彼との時間は確かに楽しい。しかし、今はその時間が徐々に短くなり、蒼真が心の底から疲れ果てているのが分かる。彼に無理をさせたくはない、けれどそれが二人の間に見えない溝を作りつつあった。
エリカは、昼間の時間を持て余すことなく静かに待っている。しかし、蒼真が夜になるとまた忙しい日々を繰り返し、会える時間が削られていくのを、彼女も感じている。どんなに会いたくても、時間と物理的な制約が二人の間に立ちはだかる。それでも、二人の想いは強い。お互いに惹かれ合い、信じ合っていることに疑いはない。しかし、それは交わることのない時間に変わってきている現実を、どこかで感じ始めていた。
夜が深くなるにつれて、エリカは窓の外を見つめ、ただ静かに蒼真の隣で過ごす時間を大切にしようと思った。彼がこの先、どんなに忙しくても、夜に二人だけの時間を持てることが、今は何よりも幸せだと思う。それが続く限り、どんなに時間が流れようとも、この想いは色あせることなく続いていくと信じている。
でも、それが「続く限り」という言葉に含まれる限界を感じ始めていた。どれだけ時間を割いても、二人の接点は夜の間に限られ、蒼真の学生生活の忙しさは止まることがない。どんなに愛していても、その時間だけでは足りないことに、ふと気づく時がある。
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振り回されたり落ち込まされたり…
そんなイケメンエリートの
ちょっと切なくて笑えるお話
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