豪華客船での結婚式一時間前、婚約者が金目当てだと知った令嬢は

常野夏子

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白きドレスはまだ純白2

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 セレーナの視界に広がっているのは、海でも青空でもなく――二人の背中だった。
 ベリッシマが、他の女を抱きしめている。
 唇を重ね、その女の耳元で囁く低い声。
 あまりにも現実的すぎて、悪夢と錯覚する余地すらない。

 結婚式まで、あと――四十五分。
 式場では楽団がリハーサルを終え、神父が最後の祈りを捧げているはずだ。
 その一方で、新郎は別の女に愛を囁き、自分はその光景を立ち尽くして見ている。

 指先に力が戻ると同時に、セレーナの頭は猛烈な速度で回転し始めた。
 泣くのは簡単だ。取り乱すのも簡単だ。
 しかし――そんな姿を見せたところで、この男は「うるさい女だった」と笑い、今抱いている女と船を降りるだろう。

 違う。潰す。式が始まるまでに、必ず手を打つ。

セレーナは控え室に戻ると、すぐに銀のベルを鳴らした。
 数秒後、背の高い壮年の従者コスタが静かに扉を開けた。
 白髪交じりの短髪、軍人のように背筋を伸ばし、瞳は氷のように冷ややかだが、忠誠心は鋼鉄より固い男だ。

「お呼びでしょうか、セレーナ様」
「コスタ、緊急の仕事よ。今すぐ、あの女を調べて」

 コスタは眉をわずかに上げる。「あの女」とは誰か、説明を求める眼差しだった。
 セレーナは低く、簡潔に告げた。
 
「プロムナードで、ベリッシマと抱き合っていた女。赤いドレス、黒髪、年は二十代前半。全て調べて。名前、家柄、噂……何もかも」

 言葉に血が混じるような重みがあった。
 コスタは一瞬だけ彼女の瞳を見つめ、深く一礼する。
「十五分、お時間を」
 
 十五分は、果てしなく長い。
 控え室でただ座って待つのは、鉄の椅子に縛り付けられるのと同じ苦痛だった。
 ヴァイオリンの音色が壁越しに聞こえる。客席のざわめき、グラスの触れ合う音――すべてが、胃の奥に溜まった鉛をかき混ぜる。

 時計の針が一分進むたび、心臓が一度跳ねる。
 やがて、扉が再び静かに開いた。

 コスタが戻ってきた。手には小さな革のメモ帳。
 
「報告いたします」
 短い言葉とともに差し出された紙を受け取り、セレーナは目を走らせた。

 女の名は、エルヴィナ・グラース公爵令嬢。
 隣国ルドリア王国の名家出身で、若くして社交界の華と称される存在――だが、その裏側は黒かった。
 
 グラース家は代々、戦時の物資不足を利用し、敵味方双方に武器を売って莫大な財を築いた。領民の土地を強引に買い取り、反対した者は処刑。王家すらも一目置く悪徳の象徴。
 そしてエルヴィナ自身も、数え切れぬほどの愛人を持ち、政治家から商人、他国の王子にまで色香を振りまいたという。
 
 よりにもよって、この女……

 セレーナの胸中で、冷たい笑みが芽吹く。
 相手が普通の令嬢なら、恥を忍んで泣き寝入りする女もいるだろう。だが、相手は「悪徳」と「淫乱」の代名詞。
 逆に利用できる――その確信が心の奥に芽生えた。

「……攻略法を見つけなければなりませんわね」
 セレーナはメモ帳を指で閉じ、唇に薄く笑みを描いた。
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