豪華客船での結婚式一時間前、婚約者が金目当てだと知った令嬢は

常野夏子

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白きドレスはまだ純白3

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 セレーナはコスタの報告を受けた瞬間、頭の中で駒を並べ替えた。
 ベリッシマとエルヴィナ――この二人を直接叩き潰すのではなく、互いに牙を剥かせる方が効果的だ。
 式の開始まで残り三十分。時間は少ない。だが、それでも十分。

「コスタ、次の指示を出します」
「はい、セレーナ様」

 彼女は鏡越しに、自らの瞳をじっと見つめながら言った。
「乗船ゲストの中に……ベリッシマの友人で、女好きな男がいたはずです。名は――エムエス」
「覚えております。ギャンブルと香水の匂いが好きな、あの男ですね」
「そう。彼を探し出して。……そして、これから私が渡すものを使って、エルヴィナに近づけさせなさい」

 セレーナは引き出しから、ドレスに似合わぬ黒革の小箱を取り出した。中には、先ほどコスタが調べたエルヴィナの写真。そして数枚の贋作書類――「ルドリア最大の財閥の御曹司」と偽るためのものだ。
 社交界の真贋鑑定をくぐり抜ける程度の完成度。これなら、一瞬の甘言で相手の理性を麻痺させるには十分だ。

 コスタは迷いなく動いた。
 まず、船のカジノフロアでエムエスを見つけた。金のカフスにダイヤのタイピン、片手にシャンパン、もう片手には場末の女の腰――女好きというより女漁り。
 コスタは軽く咳払いし、エムエスの耳元で囁く。

「あなたをお探しの方がおります。……このお方です」

 差し出された写真には、赤いドレスの妖艶な令嬢――エルヴィナ。
 エムエスの目が獣のように光る。
「……なんだこの絶世の美女は」
「彼女が、あなたに会いたがっております」
 コスタは嘘を塗るのではなく、事実に香水をふりかけるように言葉を飾った。

 釣り針は即座に刺さる。エムエスはシャンパンを置き、舌なめずりしながら「案内してくれ」と言った。

 
 その間、コスタはもう一手を打っていた。
 船尾のテラス――そこに一人でグラスを傾けるエルヴィナを見つける。海風が赤いドレスの裾を揺らし、宝石が陽光を弾いていた。

「お嬢様」
 コスタは礼儀正しく一礼し、手にしていた封筒を差し出す。
「差し出がましいですが……ルドリア財閥の御曹司様から、伝言を預かっております。あなたとお会いしたいと」

 封筒の中には、精巧な偽造書類と、大富豪の息子らしい肖像写真。背後に映るのは有名なリゾートの一室――これもまた演出だ。
 エルヴィナの瞳が興味で細まる。
「……御曹司、ですって?」
「ええ。あなたの美貌を拝見して以来、片時もお忘れになれないとか」

 エルヴィナは笑った。獲物を見つけた肉食獣の笑みだ。
「会わせて」
 
 数分後、プロムナードの柱陰。
 エムエスは、わざとらしいまでに礼儀を整えて現れた。
「お噂はかねがね」
「まぁ……あなたが」

 会話はほとんど必要なかった。エムエスは目で女を舐め、エルヴィナは香水の香りで男を絡め取る。
 やがて、船の揺れと共に、二人の距離は自然に近づいた。
 指先が触れ、視線が絡まり――唇が重なる。

 
 その瞬間。
 式場へ向かっていたベリッシマが、偶然その光景を目撃した。
 新郎用の純白のタキシード姿のまま、目の前でエルヴィナが別の男と甘く長いキスをしている。

「……っ、貴様ァァァ!!!」

 声は船内のざわめきを貫き、近くのゲストたちの会話を止めた。
 ベリッシマの顔は激情で紅潮し、拳が震えている。
 エムエスは驚いたふりをし、エルヴィナはわずかに唇を舐め、挑発するような笑みを見せた。

 式の鐘まで、あと五分――
 セレーナの描いた盤上で、最初の駒が激しくぶつかり合っていた。
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