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第3章 進窟
第32話 終章Ⅲ ~種は広がる~
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少女にとって父は憧れだった。
父の職業は料理人でよく自慢げに師匠の話をしていた。
師匠に教えてもらったあれこれを嬉しそうに、そして自慢気に話すのだ。
そのキラキラした瞳が羨ましくて話を何度もせがんだ。
そんな父が営む料理店の経営が傾き潰れる。
父は母のいない少女を思い。
なるべく側にいられるように稼ぎのいい岩塩鉱山への出稼ぎに出かけて、あっけなく事故に遭い帰って来なかった。
少女が5歳の時だ。
孤児院に引き取られた少女は父の死のショックが抜けず気が塞ぎがちだった。
同い年で同じ職業のビビアナが励ましてくれて、クローエはなにかれと世話を焼いてくれた。
孤児院の生活になれる頃、少し甘えん坊な少女は2人を同い年の姉のように思っていた。
慎ましくも穏やかな孤児院の生活が過ぎ、少女が成人を迎える頃。
王都の不況で勤め先が見つからない。
いつまでも続くと思っていた親友2人との関係も終わり。
別れなければならなくなるという時。
一人の少年が現れる。
一つ年下の大人びた少年は飲食店を始めるという。
新たな食材で新たな料理を売り出す。
その料理方法を教えてくれると説明された。
料理を教えてくれる人――それが師匠。
少女は父の笑顔が頭に浮かび年下の少年を師匠と呼んだ。
もっとも少し恥ずかしくて、いつも目線を反らして頬を染めていたが。
始まりは父への憧憬を重ねたものだった。
フラフラしているようで頼りがいのある少年に父性を感じ寄りかかっただけなのかもしれない。
少女が師匠と呼ぶことに慣れるころ、見た事もない数々の美味しい料理を生み出す少年への気持ちは尊敬が多く含まれるようになった。
おおらかで笑顔を絶やさないビビアナは少年を年下の弟分として可愛がり。
真面目なクローエはビジネスパートナーのオーナーとして重んじた。
そして少女にとって少年は本当の意味で師匠となった。
ある日のヒラメキですりおろしたショウガに塩を混ぜ、豆腐に盛り付けて少年に出した。
調味料の発明だと少年に絶賛を受けたとき、少女は天にも昇るほど嬉しかった。
表情の乏しい少女には珍しく思い出してニマニマ笑った。
部屋で枕に顔を押し付け身もだえし、足をバタバタさせていたらビビアナに見られて、それから何度もからかわれた。
そんな少年が成人になるとともに王都を出てゆくという。
いつも笑顔のビビアナはおおらかに笑い。
真面目なクローエは後の事は任せてと言った。
少女だけが引き留めた。
行かないでほしいと。
少年は困ったように笑うともう決めたことだからと告げた。
――旅立ちの前夜。
少女は最後のお別れ会で泣きながら少年の胸を叩いた。
師匠のくせに勝手にいなくなるなんてと。
一気に身長も伸び自分より背も高く大きくなった少年は手紙を書くよと申し訳なさそうに言葉を零した。
少年が旅立って一ヶ月程したある日。気落ちしている少女にネスリングスに来たウェンが話しかける。
「エステラ。ノアはたぶん。世界の広さと美しさを知っている。でも、この世界の広さと美しさを知らないの。あの子はそれを自分の目で見に行かないと気が済まないのよ。あの子はきっと何処までも走って行くわ。そのスピードについていける人だけが近くにいられるの」
話が見えず困惑する少女にウェンは更に続ける。
「あなたがここに留まりたいなら、ノアのことは諦めなさい。その方が幸せよ。でも、その近くに寄り添いたいなら協力するわ」
「――あたしに出来るかな?」
料理人の少女は迷いつぶやく。
「そういう時は心に聞くの。あなたはどうしたい?」
少女は目をつぶり心に問いかける。
「師匠がいないと寂しい。一緒に同じ景色が見たい。でも――」
少女は言いかけて黙る。
ウェンはにっこりと微笑む。
「今はそれでいいわ。不安は少しづつ自信に変えてゆきましょう」
少女は自分の気持ちに問いかける。少女の少年への気持ちは恋ではない。
尊敬はあるがその気持ちの名前は少女には分からない。
恋と言うにはまだ瑞々しく、好きという言葉では彩りが足らない。
少女の気持ちに名をつけるなら、それは――いとおしさ。
尊敬と慕う心が主成分だ。
ウェンはバルサタールに話を通し、少女への稽古を頼む。
雛鳥は飛びたつ準備を始める。
§
昼も下がりきった準備中のネスリングスで野菜の配達がてら休憩するケィンリッド。
そこにウェンが訪れる。
「あれっ? ウェン師。珍しいっすね。こんな時間にどうしたんですか?」
「みんな聞いて。ノアが3日前から行方不明と連絡があったわ」
いつも能天気なケィンリッドが息を呑む。
笑顔を絶やさないビビアナですら表情を無くし、しっかり者のクローエは顔色を変えた。
そんな中で声を上げる人物がいる。
「師匠なら絶対に大丈夫。すぐケロッと出てくる。ごめん。みんな。あたし訓練行ってくる」
真っ直ぐに前を見て少女は走り出す。
少し甘えん坊な少女は上を見つめ、ずっと先を走る少年を目指す決意を固めた。
そして、そこに続く階段を1段登った。
小さな1段だがそれ以前とは確かに違う高さにしっかりと両足で立つ。
その先にいる少年の背中を見上げ見失わないよう確実に1段ずつ上がって行く。
今――少女の物語が動き出す。
父の職業は料理人でよく自慢げに師匠の話をしていた。
師匠に教えてもらったあれこれを嬉しそうに、そして自慢気に話すのだ。
そのキラキラした瞳が羨ましくて話を何度もせがんだ。
そんな父が営む料理店の経営が傾き潰れる。
父は母のいない少女を思い。
なるべく側にいられるように稼ぎのいい岩塩鉱山への出稼ぎに出かけて、あっけなく事故に遭い帰って来なかった。
少女が5歳の時だ。
孤児院に引き取られた少女は父の死のショックが抜けず気が塞ぎがちだった。
同い年で同じ職業のビビアナが励ましてくれて、クローエはなにかれと世話を焼いてくれた。
孤児院の生活になれる頃、少し甘えん坊な少女は2人を同い年の姉のように思っていた。
慎ましくも穏やかな孤児院の生活が過ぎ、少女が成人を迎える頃。
王都の不況で勤め先が見つからない。
いつまでも続くと思っていた親友2人との関係も終わり。
別れなければならなくなるという時。
一人の少年が現れる。
一つ年下の大人びた少年は飲食店を始めるという。
新たな食材で新たな料理を売り出す。
その料理方法を教えてくれると説明された。
料理を教えてくれる人――それが師匠。
少女は父の笑顔が頭に浮かび年下の少年を師匠と呼んだ。
もっとも少し恥ずかしくて、いつも目線を反らして頬を染めていたが。
始まりは父への憧憬を重ねたものだった。
フラフラしているようで頼りがいのある少年に父性を感じ寄りかかっただけなのかもしれない。
少女が師匠と呼ぶことに慣れるころ、見た事もない数々の美味しい料理を生み出す少年への気持ちは尊敬が多く含まれるようになった。
おおらかで笑顔を絶やさないビビアナは少年を年下の弟分として可愛がり。
真面目なクローエはビジネスパートナーのオーナーとして重んじた。
そして少女にとって少年は本当の意味で師匠となった。
ある日のヒラメキですりおろしたショウガに塩を混ぜ、豆腐に盛り付けて少年に出した。
調味料の発明だと少年に絶賛を受けたとき、少女は天にも昇るほど嬉しかった。
表情の乏しい少女には珍しく思い出してニマニマ笑った。
部屋で枕に顔を押し付け身もだえし、足をバタバタさせていたらビビアナに見られて、それから何度もからかわれた。
そんな少年が成人になるとともに王都を出てゆくという。
いつも笑顔のビビアナはおおらかに笑い。
真面目なクローエは後の事は任せてと言った。
少女だけが引き留めた。
行かないでほしいと。
少年は困ったように笑うともう決めたことだからと告げた。
――旅立ちの前夜。
少女は最後のお別れ会で泣きながら少年の胸を叩いた。
師匠のくせに勝手にいなくなるなんてと。
一気に身長も伸び自分より背も高く大きくなった少年は手紙を書くよと申し訳なさそうに言葉を零した。
少年が旅立って一ヶ月程したある日。気落ちしている少女にネスリングスに来たウェンが話しかける。
「エステラ。ノアはたぶん。世界の広さと美しさを知っている。でも、この世界の広さと美しさを知らないの。あの子はそれを自分の目で見に行かないと気が済まないのよ。あの子はきっと何処までも走って行くわ。そのスピードについていける人だけが近くにいられるの」
話が見えず困惑する少女にウェンは更に続ける。
「あなたがここに留まりたいなら、ノアのことは諦めなさい。その方が幸せよ。でも、その近くに寄り添いたいなら協力するわ」
「――あたしに出来るかな?」
料理人の少女は迷いつぶやく。
「そういう時は心に聞くの。あなたはどうしたい?」
少女は目をつぶり心に問いかける。
「師匠がいないと寂しい。一緒に同じ景色が見たい。でも――」
少女は言いかけて黙る。
ウェンはにっこりと微笑む。
「今はそれでいいわ。不安は少しづつ自信に変えてゆきましょう」
少女は自分の気持ちに問いかける。少女の少年への気持ちは恋ではない。
尊敬はあるがその気持ちの名前は少女には分からない。
恋と言うにはまだ瑞々しく、好きという言葉では彩りが足らない。
少女の気持ちに名をつけるなら、それは――いとおしさ。
尊敬と慕う心が主成分だ。
ウェンはバルサタールに話を通し、少女への稽古を頼む。
雛鳥は飛びたつ準備を始める。
§
昼も下がりきった準備中のネスリングスで野菜の配達がてら休憩するケィンリッド。
そこにウェンが訪れる。
「あれっ? ウェン師。珍しいっすね。こんな時間にどうしたんですか?」
「みんな聞いて。ノアが3日前から行方不明と連絡があったわ」
いつも能天気なケィンリッドが息を呑む。
笑顔を絶やさないビビアナですら表情を無くし、しっかり者のクローエは顔色を変えた。
そんな中で声を上げる人物がいる。
「師匠なら絶対に大丈夫。すぐケロッと出てくる。ごめん。みんな。あたし訓練行ってくる」
真っ直ぐに前を見て少女は走り出す。
少し甘えん坊な少女は上を見つめ、ずっと先を走る少年を目指す決意を固めた。
そして、そこに続く階段を1段登った。
小さな1段だがそれ以前とは確かに違う高さにしっかりと両足で立つ。
その先にいる少年の背中を見上げ見失わないよう確実に1段ずつ上がって行く。
今――少女の物語が動き出す。
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