リア=リローランと黒の鷹

橙乃紅瑚

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第二章

29.ある冬の日に

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 その日、王都には雪が降った。昼間だというのに酷く冷え込んでいる。しんしんと雪が降る中を、リアはゼルドリックと手を繋いで歩いていく。

 ゼルドリックはリアに対して優しく、そしてやはり過保護だった。女の身体を冷やしてしまっては大変だと、どこから見繕ってきたのかリアの身体にぴったりと合う大きさの柔らかな毛皮のコートを着させて、手袋やらマフラーやら帽子やらで、リアの身体をぐるぐる巻きにした。そうしてもこもことした塊となったリアを見て満足そうに笑い、これで安心して出掛けられると言った。

 リアは横を歩くゼルドリックを見て、ぽうと頬を染めた。

 黒のロングコートを纏う背の高い彼はとても格好良い。こんなに格好良くては、何人もの女性に憧れられていそうだ。ちくりと心が痛む。自分は洗練されていないし美人でもない。背も低いし痩せてもいない。こんな着膨れして、まるまるとした毛玉のような姿になった自分が、本当に彼の隣にいていいのだろうか?

 きゅ、とゼルドリックの手を握れば、彼は強く握り返してくれた。手袋越しに伝わる温度に安心する。リアは寒さに弱かったが、ゼルドリックと手を繋いでいられるなら厳しい冬も乗り越えられる気がした。

 リアはゼルドリックと共に、王都の書店へ向かっていた。

 昨日、仕事終わりにリアは久しぶりに本が読みたいと思い、棚の奥深くにしまっておいた恋物語を取り出して読んでいたところ、茶を持ってきたゼルドリックにその姿を見られた。そして会話の中でゼルドリックもまた、本を読むことが好きなのだと知った。彼の広い書斎を見せて貰えば実に色々な本があって、その中にはリアが好む恋物語もあった。いつでもこの書斎を使って良いと言われ、リアは大喜びでゼルドリックに礼を言った。

 その後、読書という共通の趣味があるのならば、明日は大きな書店に行かないかとゼルドリックに誘われた。リアは一度、都会の書店というものに行ってみたかった。はずれの村に住んでいた時は、週に一度やってくる行商人からしか新しい本を手に入れる術がなかった。自分で気になった本を手に取り、色々な本を買って読んでみたい。リアは胸を弾ませ、楽しみだと何度も溢し、ゼルドリックに満面の笑みを向けた。


 ――――――――――


「ふわあ……綺麗……。」

 リアは感嘆の息を漏らした。目の前に聳え立つ金色の大きな塔を見上げ、その豪奢さに圧倒された。十階建てだという大きな塔には、赤や白のつるばらが巻きつき、塔の周りにはきらきらとした粒子が漂っている。数多の窓からは、ふくろうや鳩が頻繁に出入りをしていた。どうやら軽い小包を、鳥を使って届けているようだった。

「ねえ、ゼル! 凄いわ! これが書店って本当に? まるで魔法使いが住んでいる塔みたいよ」

「くくっ……君の感想はいつも可愛らしいな。そうだ、これが王都で一番大きな書店だ。この塔にはあらゆる書物がびっしりと収められている。本好きには堪らない場所だ」

「凄い……凄い! とてもわくわくしてきたわ……!」

 塔の中に入ると、内部も豪奢を極めたものとなっていた。床から壁まで全てが金色に塗られ、足元には赤いカーペットが敷かれている。塔は吹き抜けとなっていて、大量の本を収めた棚がぐるりと壁に備え付けられていた。天井を見上げれば塔の頂点が見え、頂点から柔らかな日差しが降ってくる。幻想的なその光景に、リアは目がくらくらとした。まるで御伽噺に出てくる塔のようだった。

「王都って、何もかもが綺麗なのね……」

 ぽつりとリアが呟くとゼルドリックは頷いた。

「王都は、世界中の美と楽しみを集約させた永遠の楽園であるべきだとかつての王が言った。ゆえに、エルフ達は何を作るにも、とにかく美を重視したのだ。この塔は二千年前くらいに作られたものだそうだが、今もその美は衰えていない。この塔をはじめ、王都には美しいものが溢れている」

「永遠の楽園……か」

 リアは何度も感嘆の溜息を漏らした。目に入るもの全てが美しく、そして力強かった。

「まあ、もっとも……。どんなに美しいものを見ても、今までの俺は心の底から感動したことがなかった。この塔も同じだ。見て、理解して、ただそれだけ。君のように感嘆の息を漏らすこともなかった」

「……ゼル?」

 寂しげな声だった。リアがゼルドリックを見ると、ゼルドリックは薄く笑みを浮かべ、リアの手を優しく握り込んだ。

「リア。君と……。君と出会ってからなのだ、生きるのが楽しくなったのは。今までは、どんなに美しいものを見ても自分の表面を滑っていくだけで……。俺は、世界が色を失くしかけるほどに無感動に生きていた。だが君が、俺の世界に色を取り戻してくれた。君となら、美しい光景を充分に楽しめる。君といられるなら、何処も楽園に変わる」

「うええっ…!? ゼル!?」

 リアはゼルドリックの甘い言葉に素っ頓狂な声を上げた。ゼルドリックの甘い言葉に、周囲の人間やエルフが興味深げに振り返るのをリアは見た。

「あの、ね……。ゼル、本当にそういうこと急に言わないで、心臓に悪いから……」

「事実だ。君に事実を言って何が悪い?」

「あの、嬉しいんだけど、そういうことを外で言われると……恥ずかしいから。周りの人も聞いてるし……」

 もじもじと顔を赤らめるリアを、ゼルドリックは自分の胸板に押し付けた。きゃあ、とどこからか女の小さな悲鳴が聞こえた。

「君を照れさせるのは実に楽しい。周囲の目なんて気にするな。これからも言うことにする」

「や、やめてよ……意地悪……」

 二人の姿は、周囲からは恋人のそれにしか見えなかった。近くの女性たちがくすくすと笑い、お熱いのねと二人を見て呟いた。

「さて……と。リア、君の好きな本は基本的に一階に揃っているはずだ。まずは自由に見て回ると良い。俺がいては、気になった本を気兼ねなく手に取ることが出来ないだろうからな」

「え……一緒に、居てくれないの? ゼルが一緒にいても私は構わないのに」

「くくっ……可愛いことを言うが君は恋物語が好きなのだろう? 棚を見させてもらったが、随分な蔵書家の様だな。甘い甘い恋物語専門の……」

「え! いつ見たのよ?」

「まあこっそりとな。それでだ。俺としては君に付いて、君がどんな恋物語を手に取るのか是非知りたいところだが……。そんなことをしたら君は顔を真っ赤にして、すぐ書店を後にしようとするだろうからな。折角ここに来たのだ、ゆっくりと巡ると良い」

「うう……。分かったわ。お気遣い、ありがとう」

「ああ、後で買った本は見せてくれ。な?」

「嫌よ! 恥ずかしいから」

 また後でと言い残しゼルドリックはリアの目の前から消えた。リアは自分を見てにやにやと笑う周囲の目から逃れるように、足早に恋物語の棚のもとに向かった。

 ゼルドリックは、恋物語を好む自分をどう思っただろうか。心の内で笑っただろうか? 今までに男もいた事がない女が恋への憧れを諦めきれず、貪るようにして恋物語に没頭している。それを知られてしまったのは、何だか凄く恥ずかしい……。

「はあ……」

 リアは溜息を一つ吐いて、迷わないように気を付けつつお目当ての区域を探した。しばらく歩いていると、可愛らしい桃のつる薔薇が巻いた棚に、ずらりと色鮮やかな本が並べられているのを見つけた。その棚の横には看板が掲げられている。

『恋愛小説』

「……わあ」

 心が躍るのを自覚した。まさか、これほどにたくさんの恋愛小説に巡り会えるなんて! 

 宝の山を目にしたかのように、リアは目をきらきらとさせ棚に近寄った。どれも読んだことのない小説ばかりだった。リアは気になった本を片っ端から手に取り、ぱらぱらとあらすじを確認し始めた。


 ――――――――――


 二時間後。適当に塔の中を歩いて見て回り、迎えに行ったゼルドリックが見たのは、積み重なった大量の本を片腕で軽々と持ち上げて満面の笑みで自分に手を振るリアだった。ゼルドリックはぐらぐらと揺れつつも絶妙なバランスで積み重なった本を見て、呆然と溢した。

「リア……? 君が持っている、その大量の本はまさか……」

「えへへ、たくさん買っちゃった」

 照れたように笑って、リアはほくほくとした顔で本を抱え直した。

「それを全部買ったのか!? 一体何冊買ったのだ?」

「ええっと……百冊超えるくらい? ファティアナ様からお給金もたくさんいただいちゃったし、つい奮発しちゃったわ!」

「……そうか」

 買いすぎだとゼルドリックは思ったが、心の底から嬉しそうに満面の笑みを浮かべるリアを前にして、苦笑いすることしか出来なかった。

「リア、そんな大荷物を抱えては大変だ。いくら力持ちの君とはいえど、ずっと持っていては疲れてしまうだろう? さあ、俺の屋敷に転送するからその本を下ろしてくれ」

「あ、ありがとう! ゼルって本当に優しいわ!」

 リアは礼を言い、そっと床に本を下ろした。ゼルドリックは本に転送魔法をかけようとしたが、ふと、一番上にある本に目を留めた。ゼルドリックはその本に見覚えがあった。

「ん……? これは……」

(この本は……『絵の中の姫君』だ……)

『絵の中の姫君』。もう今となっては随分と古い恋物語だ。百年以上も前に読んだ小説を前にして、ゼルドリックは懐かしさを覚えた。この本に出会ったことで、自分の運命は変わった。

(中年の冴えない醜男は、孤独から逃れるように絵を描いた。自分の理想とする女を描き、その女を現実にいるものとして、毎日話しかけ可愛がった。そうしている内に、本当に絵の中の女を愛してしまう。男は毎日、神に女と添い遂げられる様に祈った。神は男の願いを聞き入れ、絵の中の女は紙から抜け出し、死ぬまで男と連れ添った……。確か、そんな話だったな)

 そして生に飽いていた自分は、本の中の男を真似て自分の理想の女を心の内に住まわせた。そして、本当にその女に恋をしてしまった。毎日毎日女が目の前に現れるように女神に祈っていたところ、祈りが通じてリアと出逢うことが出来た。
 大して面白い小説でもなかったが、自分にとっては何よりも重要な一冊だったとゼルドリックは思った。

「ゼル、その本が気になるの?」

「……ああ。俺はこの小説を読んだことがある。確か書斎にもあったはずだ」

「えっ? そうだったの。勿体ないことしちゃったかな」

「まあ、君の手元にあっても良いだろう。俺はこの本が好きだ。君も気に入るかもしれない」

 ゼルドリックがぱちりと指を鳴らすと、大量の本がその場からぱっと消えた。エルフの魔法を何度も目にしてきたリアだが、感動は色褪せなかった。魔法という力、エルフという種族への憧れは強くなるばかりだった。

「それにしても……。あの本はかなり前に書かれた小説だぞ。君は何に惹かれたのだ?」

「ええっと……。その、あらすじを読んで面白そうだなって。ずっと好きだった自分の理想の異性が目の前に現れるのよ。焦がれ続けていた存在に奇跡的に出逢える……。それってとても素敵なことだわ。だからあの本を読んでみたいと思ったの」

 リアは照れながらも頬を染め、うっとりとした様子でゼルドリックに言った。

 自分の心の内にも、理想の異性が住んでいるのだ。自分の恋への憧れと、仄暗い肉欲によって形作られた黒の王子様。ゼルドリックによく似た、意地悪で屈強な黒髪の男性。

 ゼルドリックはリアの照れた顔を面白そうに見た後、彼女の言葉に共感を示した。

「そうか。そうだ……。その通りだな。自分の心に住まわせ続けていた誰かが目の前に現れる……。奇跡に違いない。本の中の男は、さぞ喜んだだろうな」

 ゼルドリックはリアに微笑んだ。

 奇跡。その言葉を口に出せば、尚更強く実感した。己の目の前で「赤い髪の姫君」が笑っている。生に飽いて、投げやりに過ごしてきた日々が思い出せないほどに、リアと出会ってから世界に色が付いた。奇跡に浸ることが出来ている。今が、どうしようもなく幸せだった。

「さて、リア。立ちっ放しで疲れただろう。どこかでゆっくり休憩しようか。俺たちお気に入りの菓子屋にでも行くか?」

「うふふっ、いいわねそれ! あのお菓子屋さんならゆっくりできるわね。早速行きましょう」

 リアはゼルドリックの手を自分から握り込んだ。そして腕に頭をことりと寄せ、安心したように微笑んだ。自分の身を委ねるようなリアに、ゼルドリックは感情が込み上げてくるのを感じた。

(どうしようもなく……幸せだ。リアは俺を受け入れてくれているように見える。嬉しい……。とても嬉しい。だから……)

 自分の悪い癖だ。いつもいつも。上手くいっている時ほど、幸せな時ほど……。

 それが失われる想像をして、自分の心を苦しめてしまう。リアがいつか自分から離れたら。その悪い想像が、どうしても消せない。今こんなにも幸せなのに、幸せの裏にある陰にばかり気をとられてしまう。

「どうしたの? 早く行こう?」

 待ちきれない様子で手を引っ張るリアにゼルドリックは考えを打ち切った。そしてまた、雪がたくさん降り酷く冷え込む中を、二人で身体を寄せ合って歩いていった。


 ――――――――――


 いつもそれなりに混み合っている菓子屋だが、二人が中に入ると、昼下がりだというのに客入りは少なかった。どうやら雪と酷い寒さのせいで皆あまり出歩かないらしい。

 暖かい店内の空気にリアがほっと息をつくと、可愛らしい猫耳を持つ獣人の女性がにこにこと笑いながら席に案内してくれた。リアとゼルドリックは何度もこの菓子屋に足を運んでいて、この獣人の店員ともすっかり顔馴染みだった。

 客入りの少ない菓子屋の中で、リアとゼルドリックはゆっくりと長時間話をした。合間合間にケーキを頼むことも忘れない。最初は二人の食べる量に驚いていた獣人の女性も、今は驚くことなく作りたてのケーキを一個まるごと持ってきてくれるようになった。

 リアとゼルドリックの話題は、専ら本についてだった。今まで読んできた本や、おすすめの物語についての情報を交換し合った。リアよりもずっと永く生きてきたゼルドリックの知識量は凄まじいもので、いくつもの古い恋物語をリアに話してみせた。リアは、彼の話に目を輝かせて聞き入った。リアもそれなりに色々な恋物語を読んできたが、ゼルドリックの話は知らないことの方が多かった。

「本が好きだとは聞いたけど……。ゼル、あなた凄いわ。今まで読んできた本の内容が全部頭の中に入っているみたいよ。まるで生きている図書館ね」

「君に褒められると悪い気はしないな。俺の師は、よく本を読むように俺に勧めたのだ。だから暇さえあれば貪欲に本を読んだ。趣味のひとつとはいえど、俺にとっては勉強のようなもので……内容が理解できるまで、何度も同じ本を読み返した。君もそんな生活を百年以上繰り返せばこうなる」

「ふうん、勉強かあ……。ゼルは恋物語にも随分と詳しいけど、それも勉強のひとつなの?」

「ああ。むしろ俺は、恋物語こそ率先して読んだものだ。恋愛というものを理解したくてな」

「まあ、どうして?」

 リアがきょとんとした顔で聞くと、ゼルドリックは少しだけ寂しそうに笑った。

「エルフという種はその長命ゆえに、子孫を残そうという本能が希薄なのだ。永き生の中で、他者に恋をするのは一度あるかないかだと言われている。……俺は人間の書いた本をよく読んだが、いずれも恋愛に関する話は頻繁に出てきた。エルフである俺は、なぜ人間がそこまでしてそれを重要視するのか分からなかったのだ。俺が、恋情や愛欲に対して無頓着である種に生まれついたゆえに」

「……だが、分からないのは癪だ。よく解らないそれを、理解したいと必死に望んだ。だから率先して恋物語を読んだのだ。なぜ皆、愛を追い求めるのか。他者に対する恋情とは何なのか。身を擲ってまでそれを得る価値が果たしてあるのか……。その答えを得たいがためにな」

(そして、今ではすっかり愛というものが何物か、身を以て理解している。リア、君が教えてくれたのだ……。)

 ゼルドリックはリアに恋情を向けるように甘く微笑んだ。しかしリアは、彼の言葉に酷く胸を痛ませた。思わず持っていたティーカップを置いて、下を向いてしまった。ゼルドリックのその言葉は、リアの中で咲き誇っていた恋の花を酷く散らすようなものだった。

(ゼルは……。ゼルは。エルフという種族は恋や愛がよく解らないと言った……)

 ああ、やはり期待してはいけなかったのだ……。

 ゼルドリックが自分にかける可愛いという言葉や、包み込むような優しさ、そして、嫉妬や独占欲と捉えられるような過保護な行動は全て、少し行き過ぎた友情や、弱い立場にある混ざり血の女に対する、強い庇護欲のようなものだったのだ。

 決して勘違いしてはいけない。もしかして、ゼルドリックは自分を好いてくれているのではないか? 絶対にそんな風に思ってはいけなかった……。こうして、また自分を酷く傷付けるだけだったのだから。

(そっか……。それなら、私がいくらゼルのことが好きでも……この恋は叶わないわね)

 永き生の中で他者に恋をするのは一度あるかないか。その大事な恋情を、ゼルドリックが自分に向けてくれるとは思わなかった。自分はエルフではない。彼から見れば、すぐに老い、すぐに死ぬ存在なのだ。永く生きる彼の隣に、自分は立てない。

 リアの脳裏に、愛する女と契り家族を持ちたいと言ったゼルドリックの姿が蘇った。苦しかった。彼はいつか自分を忘れて、エルフの女性と契り家族を持つかもしれない。ゼルドリックへに恋心を抱く自分は、感情を持て余しながら、寂しく朽ちていくだけ……。

「……リア? どうした?」

「あ……。ごめん、何でもないの」

 リアは無理やり笑顔を作った。悲しい顔をして目の前の彼を困らせるつもりはなかった。恋が叶わないならば尚更、その感情のかけらを彼に見せるつもりはなかった。

「ゼルは前に、夢を教えてくれたでしょう? いつか愛する女性と契って、家族を持ちたいって素敵な夢を。……改めて、その夢が叶うといいなって思ったの。あなたの隣にはどんな女性が立っているのかしら? あなたが心から愛することのできる女性が、早く現れたらいいわね……」

 リアが笑うと、ゼルドリックは手を伸ばしリアの頬を撫でた。さすりと、長く骨ばった指が頬を滑る。自分を見つめる青い瞳はごく優しいもので、澄んだ海のような綺麗な色に、リアの心がとくりと跳ねる。

「その女とは、もう出逢っているかもな……」

「……え」

 リアは言葉が出てこなかった。散らしかけた恋の花が、また緩やかに咲いていくのを感じた。こういう思わせぶりなことをするから彼に振り回されてしまう。期待してはいけないのに。リアはゼルドリックを少しだけ恨んだ。

「ところでだ。リア……。今日はどんな本を買ったのだ?」

「もう……。さっきも聞いてきたじゃない。言ったでしょう? 恥ずかしいから教えたくないわ……」

「残念だ。実に残念……。選ぶ本にはその者の趣味嗜好がよく表れる。君がどんな恋に憧れていて、どんな設定が好きで、どんな男を好むのか。君が買った本からそれを探りたかったのだがな……」

 頬を撫でながら、リアの赤い瞳を覗き込むようにしてゼルドリックは囁いた。

「リア。それなら俺にひとつだけ教えてくれないか? 君の理想の男は何だ」

「ええと……」

 リアは顔を真っ赤にした。理想の男と言われても、ゼルドリックの姿しか思い浮かばなかった。

 甘く優しく、けれど高慢で少しだけ意地悪で。背は大きくて、がっしりとした筋肉質な体型で、黒い光沢のある肌がとても素敵で、指は綺麗で、青い瞳は海や空のように澄んでいて、ミントの良い香りがして、頭が良くて、料理が上手で……。何を言うにしてもゼルドリックの姿に近づいてしまいそうで、リアは理想の男を言いあぐねた。

 しばらく口を噤んだままのリアに、ゼルドリックは思うところがあったらしい。ゆらりとした靄が背後に見えるような、不機嫌な顔でゼルドリックは言った。

「……何だ? なぜそんな顔を赤くする? まさか……。君には既に好いた男がいて、具体的にその男の想像でもしたか?」

「えっ!? ち、違うわ!」

 リアは慌てて否定した。ゼルドリックに自分が抱えている恋情を見破られたくなかった。リアは仕方なく黒の王子様のことをぼかしたような答えを返すことにした。

「私の理想の男性は……。そうね。優しくて、背が高くて、王子様みたいなひとかしらね……」

「王子? 可愛らしい答えだな」

「ゼルは? 私が答えたんだから、あなたも理想の女性を教えてよ」

「ふむ。そうだな、俺の理想は可愛くて、それでいて綺麗で……お姫様のような女だな」

「お姫様?」

 彼らしからぬ可愛げのある言い方に、リアはぱちりと目を瞬いた。きょとんとした顔を自分に向けるリアを見て、おかしそうにゼルドリックは笑った。

「くくっ……。そんな顔をするな。何だ? 俺がこんなことを言うのは意外か?」

「うん……。あなたの答えも、とっても可愛らしいと思ったわ。何か意外」

「そうか。まあ俺も、随分と恋物語に親しんできたのだ。君と同じ浪漫主義者なのさ」

 そんな会話を交わしているうちに、窓の外が随分と暗くなってきたことに気が付いた。冬は陽が落ちるのが早い。そろそろ出ましょうかとリアは切り出した。ゼルドリックはリアの首にしっかりとマフラーを巻くと、少し弾んだ声で話しかけた。

「そうだ、リア。寄り道して広場の方に行かないか? きっと君に素敵なものを見せてやれると思うのだ」

「素敵なもの? それは何かしら?」

「まだ秘密だ。だが、きっと君は喜んでくれると思う」

「ふふっ、楽しみね……。分かったわ。広場に向かいましょう」

 菓子屋の扉を開くと、寒い風が一気に二人を襲った。寒さから逃れるように二人は腕を組み、身体を寄せ合いながら広場への道を歩いていった。
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