リア=リローランと黒の鷹

橙乃紅瑚

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第三章

49.崩壊 ★

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 あれから、数日が経った。

「ぁ、……ぁぁっ……、ぁ……ぅ」

 ゼルドリックの律動に合わせて、リアの口から小さな喘ぎが漏れる。

「は、はあっ、リア、リアっ……! 気持ち、いいっ……君もいいだろう? 奥が、うねっているぞ……!」

 ゼルドリックは狂気の滲む笑みを浮かべ、落ち窪んだ目でリアの顔を覗き込んだ。

「は、ああっ……いい、達く……孕め……リア、リア……!」

 どくどくとリアの最奥に精が放たれる。リアは身体を捩らせることも悲鳴を上げることもなく、ただ人形のようにゼルドリックを受け入れた。

「はっ、はあ、はっ……は、はははっ……大人しくなったものだ、なあリア……」

「…………」

 リアは何の反応も示さなかった。うつろな赤い瞳をゼルドリックに向け彼に身体の一切を委ねる。ゼルドリックにとって、リアが自分を拒絶しないのはこの上なく嬉しいことだった。

「は、あっ……可愛い……可愛い。俺のリア……」

 半開きの唇を貪り、唾液を啜る。ゼルドリックはリアになお快楽を植え付けようと、白濁でどろどろに汚れた秘所を穿った。

 狂気に蝕まれたゼルドリックには、壊れたリアが己に従順な、そして己の愛を受け入れる女に見えた。赤い瞳に熱情を注ぎ、愛の言葉を囁き続ける。その答えが返ってこなくても、今のゼルドリックには満足だった。暗闇の中で、狂気に蝕まれた男と壊れた女の睦み合いがしばらく続いた。


 ――――――――――


 一週間が経った。
 リアは痩せ細り、ゼルドリックは彼女を抱くのを止めた。

「……ぃ、ゃ……」

 リアはうつろな目で、目の前に並べられた料理に手を付けることを拒否した。リアは一週間、水以外のものを口に含んでいない。身体が食事を一切受け付けないようだった。ハーフドワーフゆえの代謝の高さから、リアの身体からすぐに肉が落ちた。

 ゼルドリックが適当にリアを脅せば、彼女は粥を口に含むも、すぐに吐き出してしまった。そして己が魔法で見せた殺戮の風景を思い出したのか、泣きながらごめんなさいと繰り返し叫んだ。錯乱するリアを前に、ゼルドリックは彼女を脅したことを後悔した。

 それからゼルドリックはリアを脅して食事を摂らせるのを止めた。ただひたすらに懇願した。

「リア、頼む。少しでも食べてくれ……。君は、痩せ過ぎている。それ以上食べなければ君が……」

 死んでしまう。

 ゼルドリックはそう思い浮かべ、ぞっと背筋を震わせた。

「口を開けてくれ。少しずつ……」

 ゼルドリックは粥を掬い、リアの口に入れた。だがリアは勢い良く咳き込み、粥を出してしまった。

「リア……」

「……た……べ、たく……ない……」

 リアは荒い息を吐きながら言葉を紡ぎ、そして怠そうに目を閉じた。ゼルドリックはリアを喪う想像をして涙を滲ませた。

「リア、駄目だっ……お願いだ、少しでも食べてくれ……! 君が死んでしまう!」

「……し……死?」

 リアはその言葉にはっきりとした反応を示し、目をゆっくりと開いた。

「……わたし……が、しねば……もうだれも……しな、なくてすむ……?」

「……リア? ……何を言ってるんだ?」

「なら、ころして……。わたしが……おかしくなるまえに……。もう、だれも……しなせたくないの……」

 リアの赤い瞳がゼルドリックに向けられる。何も映さないような空虚な瞳。

「だ……駄目だ、何て、怖ろしいことを言うんだ……リア、そんなことを言わないでくれ……!」

「もう、いき、て……いたく、ない…………」

 ゼルドリックはリアを支えながら、なんとか粥を口に含ませようとした。リアは首を振り、伸びてくるゼルドリックの手を拒絶する。ゼルドリックは栄養液を口に含み、リアの喉を掴んで口移しで無理やりそれを飲ませた。それが彼女の命を繋ぐことになるとはいえ、こんな方法ではリアの命は長続きしないことは、自分でも充分に分かっていた。

「リア、リア……」

 涙を流すゼルドリックを、リアはぼんやりと見つめた。そしてくすくすと笑った後、ゼルドリックから滴る涙を愛おしそうに舐め取った。

 ちぐはぐなリアの行動に、ゼルドリックの心がまたひび割れていく。


 ――――――――――


 不気味な水音だけが聞こえる暗闇の中、リアはぼんやりと黒い壁を見つめていた。

「…………」

 静寂の中に一人残されると、リアは自分の中から不気味で、抗いようのない恐怖や苦しみが込み上げてくるのを感じた。

「っ…………」

 こんな時、誰かに支えてもらっていた気がするのに、それが誰であったか思い出せない。
 誰かに優しく微笑んでもらっていた気がするのに、その顔が思い出せない。

「っ、っ……! ぁ、ぅ、ぁぁっ……!」

 リアは込み上げる苦しみを逃がそうと、左手の手錠を硬い石壁に叩きつけた。凄まじい痛みが手首から腕に走る。リアは痛みで正気を取り戻そうとした。何度も何度も手錠を壁に打ち付け壊そうとする。手首の皮が剥がれても、リアは涙を流しながらそれを続けた。血が飛び散っても、リアは他人事のようにそれを繰り返した。

「何をしている!」

 ゼルドリックの大声が響いた。

 リアは後ろに引っ張られ彼に抱き留められた。ゼルドリックはリアの腕に滴る大量の血を認め、ざっと顔を青褪めさせた。震える手で治癒魔法を施した後、涙を流すリアを抱き締めた。

「……たすけて……」

「……リア」

「たすけて……おかしくなる、こわい……たりない、の……わたしのなか……なにか、が……」

 か細い声でぶつぶつと助けを求めるリア。うつろな赤い瞳がゼルドリックを乞うように見つめる。ゼルドリックは顔を強張らせ、リアを抱えて寝台に優しく寝かせた。

「ぅっ……ぅ……う、ううっ……」

 リアの啜り泣く声が響く。ゼルドリックが落ち着かせるようにリアの髪を撫で、何度も何度も声をかけても、リアは泣き止まなかった。


 ――――――――――


 ゼルドリックは眠れなくなってしまった。

 リアに魔法をかけ眠らせた後は、彼女の隣に寝転がって眠ろうとした。だが手首から血を流すリアの姿が蘇り、目を閉じることが怖ろしくなってしまった。自分が眠っている間に、もしリアが死んでしまったらと思うと怖くて堪らなかった。リアと自分の手を紐で結び、少しでもリアが身動きを取れば、すぐに彼女の様子を見た。

 ゼルドリックは体力の限界にあった。まともな睡眠も取らず、限界まで魔力を行使し、リアを見守るために何十もの魔法をかけ続けている。ゼルドリックは朦朧とした意識の中で、リアの痩せ細った身体を抱き寄せた。

 ふと、リアが寝返りをうち、ゼルドリックの顔を悲しそうに見つめた。

「……起きてしまったか。……もう一度魔法をかける、お休み……」

 リアは首を振り、伸ばされたゼルドリックの指を絡め取った。噛み痕だらけの彼の指をそっとなぞり、そこに優しく口付ける。

「…………こ、こ……い、たいの……?」

 不安定なリアは、酷く泣き叫んだり呆然とすることもあれば、こうして少しだけ正気に戻ることもある。優しいリアの言葉にゼルドリックは悔いるように目を閉じた。

「……いいんだ、俺のことは」

「……よ、くないよ……」

 リアはゼルドリックを抱き締めた。彼のぼさぼさとした黒髪を、震える指で整えるように梳いていく。

「……しん、で……ほしく、ないの……」

「……リア」

 リアは目を潤ませた。赤い瞳から涙がぽたぽたと溢れ落ちる。

「ごめん、ね……」

 リアは啜り泣き、そして大声を上げて泣き沈んだ。ゼルドリックは錯乱したリアに魔法をかけて眠らせ、そして彼女の身体をしっかりと抱き寄せた。


 ――――――――――



 リアはなお痩せ細り、ゼルドリックもまた幽鬼のように力の入らない身体を引きずった。

「ん、ん……く……」

 リアの唇を奪い栄養液を流し込む。命を繋ぐそれを大量に飲ませても、リアはどんどんと痩せていく。

「リア……」

 ゼルドリックはリアの腿にそっと手を這わせた。動くことのないそれを摩り、そしてリアを優しく姫抱きにする。ゼルドリックの魔法により四肢の感覚を奪われ、リアはもう自分で歩くことが出来ないでいた。

「……リア……いたく、ないか……?」

 ゼルドリックはぼやけた目を細め、必死に傷付いたリアの身体へ治癒の魔法を施した。

 彼女は度々自死を試みるようになった。以前のように手首を壁に打ち付けることもあれば、牢の片隅の石を拾い、脚や首を深く突き刺そうとすることもあった。

 動き回り、自らの命を断とうとするリアを止めるために、ゼルドリックはやむを得ず彼女の身体の自由を奪った。膝から下、および肘から上が消えたように見せかけ、リアを留めておこうとした。

「リア……リア、リアっ……」

 生命力に呼応してその効力を発揮する治癒魔法は、リアの身体の上で虚しく光るだけだった。生々しい傷跡は、消えることがない。それはリアの命の灯火が、もうすぐで尽きようとしていることを示していた。

「…………」

 リアは必死に呼びかけるゼルドリックに反応を示すことなく、硝子のような瞳を己の腕に向けた。肘から上が消えたそれを見て、リアは何もかもを諦めた悲しい笑みを浮かべた。


 ――――――――――



 泣き叫ぶことこそなくなったが、リアはうつろな目で自分からゼルドリックを求めるようになった。

「……からだ……うずうず、するの……おねが、い……」

 リアは目の前のゼルドリックに甘えるようにすり寄った。桃色の唇が、ゼルドリックの黒く長い耳に寄せられ、ちろちろと彼の耳を舐めた。

「リア……」

 栄養液を飲ませても飲ませても、なお痩せていくリアの身体。リアはとうにゼルドリックの相手が出来るような身体では無かった。ゼルドリックは壊れ物を扱うかのようにそっとリアを抱え、寝台に寝かせ直した。

「駄目だ、俺は……君を抱く気はない……。リア、お願いだ……このまま休んでくれ……」

「……どうして……?」

 リアは悲しそうに顔を歪めた。

「……ど、うして? あついの……ほしい、よ……ねえ、おねがっ……だいて……?」

 骨ばった腕がゼルドリックに伸ばされる。小刻みに震える腕には全く力が入っていない。ゼルドリックはリアの髪を撫で、額にひとつキスを落とした。

「……リア、君が……大事なんだ。だから今はどうか休んでくれ、頼む……!」

「……い、や」

 リアはぽろぽろと泣きながらゼルドリックに身を寄せた。

「ひとりに、しないで……」

「……リア」

「こわいの、こわくて……たまらないの。ふれられ、ていないと、わたし……」

 啜り泣く声はあまりにも悲痛なもので、ゼルドリックは思わずリアの唇を塞いだ。優しく触れるだけのキスに、リアは微笑みを浮かべた。

「……もっと、ちょうだい……」

 リアはゼルドリックにもたれ掛かった。ゼルドリックはリアを落ち着けるように、身体に口付けを落としていく。リアはゼルドリックの黒い肌にぴとりと顔を寄せた。

「……だい、すき」

 幼い呟きが落ちた。ゼルドリックは弾かれたように顔を上げ、リアを見た。

「……すき、だいすきよ……」

 リアの口から漏れる甘美な言葉に、ゼルドリックは自分の心が跳ねるのを感じた。喜びと、大きな悲しみが押し寄せてくる。

(リア……。君は嫌う男に愛を囁くまでに……壊れきってしまったのだな)

 そうしたのは紛れもない自分であるというのに、ゼルドリックは辛くて仕方がなかった。今のリアは空っぽだった。媚びるように空虚な愛の言葉を吐くだけの人形だった。

 自分が好きだった、美しく複雑な内面を持つ聡明な女の姿は失われてしまったのだ。
 だが、それでも決して手放すことは出来なかった。偽りの愛の言葉でも、確かに自分の胸は高鳴った。ゼルドリックは掌から、青い契りの薔薇を出した。

「リア……俺も君のことが好きだ。愛している……」

 骨ばった指にそっと薔薇を握らせる。リアは青い薔薇を嬉しそうに胸に抱いた。

「うれしい……あい、してるわ……」

 リアが愛の言葉を薔薇に囁いても、薔薇は何も変わらない。つぼみのまま、リアの胸元で輝いている。ゼルドリックは綻ぶことのない薔薇を見て、ぽたり、ぽたりと涙を流した。

(ああ、そうか……)

 ゼルドリックは悲しく笑った。無理やりな方法で契りを交わそうとしても、契りの薔薇が咲くことはないのだと思い知った。

(……薔薇は、咲かない。君の心は得られない。リア、君と契りを交わすことは出来ないのだ、どうしたって……)

「……だいすき……」

 リアの身体が伸し掛かってくる。ゼルドリックは痩せ細った、愛しい女の身体を抱き締めた。

「大好きだ、リア。ずっと愛してる……」

 ゼルドリックはリアの指に握らせた薔薇をそっと消した。そして込み上げる切なさのまま、滂沱の涙を流した。


 ――――――――――



 リアの命の灯火は今にも尽きようとしていた。
 リアは寝台の上で横になっていた。手錠が緩むほどに痩せ細り、ぐったりと目を瞑る様は、ただ死を待つだけに見えた。

「…………リ、ア」

 ゼルドリックは骨ばった手を伸ばし、リアを優しく抱き締めた。

(このまま、では……リアが死ぬ)

 くすんだ赤い髪を撫で、ゼルドリックは悲痛に泣いた。

(精神世界にリアを連れて行こう……。そうすれば、俺が生きている限りはリアが死ぬことはない。あの城に、リアを住まわせるのだ……)

 リアの魔力の器はオリヴァーによって一度空にされたにもかかわらず、己が加えた苛烈な凌辱によって凄まじい勢いで満たされていった。そして今、リアの胸元に在る魔力の器から、己の魔力が溢れ出ている。

 精神世界にリアを連れ去る準備は整ったのだとゼルドリックは判断した。

 リアの胸元に唇を寄せる。リアと己の精神を共鳴させていく。ゼルドリックは己に残された魔力で、必死に魔法を紡いだ。体力の限界をとうに迎えた身体に、精神の共鳴という高度な魔法は大きな負担だった。血痰を吐きながらも、ゼルドリックは歯を食いしばってリアの身体に魔法を掛けた。

(俺は、このためにリアの身体に魔力を纏わせてきた……。諦めない。二人だけの世界で生きるんだ。誰にも邪魔されることなく、ただ一人の姫君と、愛おしい女と、ずっとずっと生きるんだ。リア……!)

 リアの精神が、記憶が、ゼルドリックの中に流れ込み始める。

 ゼルドリックが最初に見たのは、赤く輝く夕日だった。

(……?)

 強い夕焼けの光に、辺り一面が赤く染まっている。さらさらと穏やかな風がそよぐ音だけが聞こえる。そこは、はずれの村の高台のようだった。黒い肌に強い夕日が当たり、黄金色に煌めく。空から光の粒が降り注ぎ、その横顔を彩る。

(……これは、リアから見た、俺……?)

 青い瞳がこちらに向けられる。自分がリアに向ける顔は、こんなにも優しいのだとゼルドリックは驚いた。

 ゼルドリックの中に次々とリアの記憶が流れ込んで来る。

 青く綺麗な瞳。大きな手。艷やかな黒い肌。高い鼻筋。筋肉質の硬い腕。広い背中。美しい字。膨大な知識量。頭の回転の速さ。照れるとひくつく長い耳。甘い微笑み。低くも優しい声。赤く長い舌。ミントの香り。夕焼けに照らされ黄金色に輝く横顔。

「あ、これ……何だ、これは……? ……リアから見た俺が、こうだとでも言うのか……?」

 ――リア。

 記憶の中の自分が、甘い微笑みを向けている。

 ――リア。赤い髪の姫君。君の愛をくれないか。

 とくとくと、胸が切なく跳ねる。リアの記憶の奔流がゼルドリックに注がれる。

「……!」

 心を優しく引っかかれるような、だが決して不快ではない気持ちが込み上げてくる。ゼルドリックは衝撃に戦慄いた。リアから流れ込む感情は、優しくも己がよく知る感情と似ていた。

「リア、君は……」

 リアの心に咲き誇る恋の花が、ゼルドリックを包み込んでいく。自分への想いに悩み、涙を流すリアの顔が見える。切なさとやり切れない気持ちが、ゼルドリックの心に満ちる。

「リア……リア……? 嘘だろ……? 君はレントの奴が好きなはずでっ……」

 ゼルドリックは戦慄く唇から、呆然とリアの名をこぼした。

 ――こんな美しい人から嫌われていることが……悲しい。

 ――どうして、会えなくて寂しいって思うんだろう?

 ――彼のことが、気になる。

 ――私の髪が赤くなかったら。私が痩せていたら。あのエルフたちの様に、すらりとして美しい姿をしていたら。ブラッドスター様は私を好いてくれたのだろうか?

 ――彼が好き。彼に好かれたい。彼と仲良くなりたいのに。どうすれば、好かれる資格を得られるのだろう。

 毎日の食事。薔薇が咲き誇る庭園での散歩。毎夜見る甘い夢。ゼルドリックの心を満たしたのは、日向のように明るく、柔らかくどこまでも幸福な感情だった。

 ――あなたが認めてくれたから。好きな人が、私の髪を好きって褒めてくれたから。だからもう平気なの。あなたが認めてくれるのなら、もう泣かない。

 ――高慢で、嫌味たらしくて。でも実は素直で。優しくて、甘く笑う顔がとても素敵で。低い声も、黒い髪も、料理が上手なところも、毎朝私を見送ってくれるところも、全部好き。黒い肌に光が当たって、きらきら金色に輝くのを見るのが好き。青い瞳に見つめられると、心が擽ったくなる。好き、好き、好き……。

 ――ゼルのことが好き。だから、何を考えているのか知りたい。知らないから怖いのよ、ゼルのあの昏い瞳が……。ゼルが何を考えているのか、何を不安に思っているのか知ることが出来たら、あの瞳も真っ直ぐ見られそうな気がする。私は、彼の深いところに触れたい……。

「う、あ……! そんな、そんな……」

 リアの記憶が、またゼルドリックの中に流れ込む。黄金の塔。菓子屋。大樹。雪の薔薇。肌を寄せ合った夜。苦く切ない触れ合い。喜びと悲しみが入り交じる、複雑な感情がゼルドリックを支配する。

 ――ゼルが変……。私を、縛り付けようとしている気がする。……どうして?

 ――これからも一緒に笑って過ごしたいから。彼が、心の内を話してくれるまで。もう少しだけ待ってみよう……。

 ――綺麗な雪の薔薇。ゼルがこんなに優しく、こんな愛に溢れた魔法を、自分のために使ってくれたことが心の底から嬉しい……!

 ――彼のことが好きなのに。一歩近づけた気がするのに。また遠く離れてしまう気がする。彼の悩みが分からない。彼が分からない。一体どうすれば……。

 ――たとえ、恋が叶わなくても。許される限り彼といたい。

 ――私は、モノ扱いなの?  今まで優しくしてくれたのは、もしかして私の身体目当てだったの? 好きだって言ってくれたことはないのに、なぜ私を縛り付けるようなことを言うの? ……ゼルは、私を飼うつもりでこんなことを?

「俺、は……」

 凄まじい罪悪感が込み上げる。ゼルドリックは身体の力が抜けるのを感じた。

 そしてゼルドリックは、灰色の無機質な部屋を見た。

 ――レントさん。私は……。ゼルのことを愛しているのです。心から愛しているのです。彼と、この未来について話すことはできないのでしょうか?

 そしてゼルドリックは理解した。
 リアが自分を突き放した理由を。頑なだった理由を。

 ――未来を変えるためにも、貴様とゼルドリックは一緒に居てはならない。あの未来を回避すれば、貴様も、ゼルドリックも、貴様の家族も、皆救われるのだ。理解しろ。

 オリヴァーの硬い声が、頭の中にがんがんと響き渡る。

(そうか……リアは、レントから未来を聞いて、そしてその未来から俺を救うために……)

 ――私は……いつまでも好きよ、ゼルのことが……。でも、あなたの破滅の原因が私であって欲しくないから。あなたに生きていてほしいから……。

 ――だからゼル。あなたも、あなたも……私のことを忘れて……。

「リ……ア、リアっ……そんな……! 俺は、なんてことを……!」

(まさか、リアの王子は……!)

 ゼルドリックはその答えに至る前に魔法を解いてしまった。
 目が霞み、ごぽりと血が込み上げる。思考がまとまらない。これ以上、リアに魔法をかけ続けることは出来なかった。分厚い鎖も、牢全体に施した遮蔽魔術も、何もかもが消えていく。そしてゼルドリックは、血を吐いた後リアの横に倒れ込んだ。

「……俺は、馬鹿……だ……どうしようも、なく……」

 リアは自分を愛してくれていたのだ。そして自分が死ぬ未来を避けるために、痛みを我慢して必死に突き放し、嫌われようとした。それなのに自分は見当違いな嫉妬に支配されて、リアを手酷く傷付けた。罪悪感とリアへの想いに、ゼルドリックの心が拉げ、ひび割れ、壊れ、砕け散っていく。

「……リア」

 リアの頭を抱き寄せ、乾いた唇に血濡れた唇を合わせる。何の反応も示すことのないリアに、ゼルドリックは己が取り返しのつかない、怖ろしいことを彼女にしてしまったのだと思い知った。強い後悔と絶望が押し寄せる。

(アンジェロの忠告を聞くべきだった。そうしたらリアを喪うことはなかったのだ。俺は、女神が引き合わせてくれた何よりも愛おしい女を……奇跡を……自らの手で傷付け、殺してしまったのだ)

 ゼルドリックは解っていた。リアはあと数刻で死ぬと。そして自分も魔力を使い果たしてしまった。エルフにとって魔力は命そのもので、使い果たせば避けようのない死が待っている。

(……力が、入らない……)

 ゼルドリックはリアの赤い髪に顔を埋め、そして目を瞑った。
 ゼルドリックの目から涙が溢れ、リアの髪を雨のように濡らしていく。

「リア……リア……」

 ゼルドリックはリアの名を呼び続けた。

「済まない……リア……済まない……」

 やがて、ゼルドリックの意識は深い闇の中に沈んでいった。










「……痛ましい」

 寝台の上に重なり合うようにして横たわる二人を見て、来訪者は眉を寄せ呟いた。
 低くも、透き通る美しい声だった。

「……」

 リアはその声に誘われるようにして、ゆっくりと目を開けた。

 ぼやけた視界の中で、ゆらゆらと揺れる銀色が見える。来訪者はリアの痩せ細った手をそっと握り、労るように撫でた。ひんやりとした滑らかな手の感触はリアに心地よさを与えた。

「もう大丈夫だよ」

 来訪者がリアの耳元にそっと囁くと、リアはことりと深い眠りに落ちた。来訪者はリアとゼルドリックの身体を抱き寄せ、そしてその場から砂のように消え去った。
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