離婚しようとしたら将軍が責任とれ?

エイプリル

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第三十六話 血の竹林

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第三十六話:血の竹林

夜が明けきらぬ将軍府の中庭に、冷えた空気が張り詰めていた。
報せが届いたのは、明け方のことだった。将軍の罪状が正式に下され、北の荒地への追放が決まった――と。
瑶華はその瞬間、怒りも嘆きも越えて、心の奥で何かが静かに折れる音を聞いた。けれど、その後に訪れたのは、思いもよらぬほどの冷静だった。

「……こうなったからには、私が守らなければなりません」

誰に言うでもなく呟いたその声は、まるで凍った刃のように鋭く、強い。憔悴しきった顔に、決意の光が宿る。
瑶華は帯を締め直すと、裾を翻して将軍府の門へと歩み出る。門前には、墨霖寅のいなくなった主家に不安を抱えた使用人たちが集まっていた。ざわめきは抑えきれず、まるで荒れる前の嵐のようだった。

「静まりなさい!」

瑶華の一声が響く。風が吹き抜けると、紅い飾りがひらりと舞い、空に吸い込まれた。

「今、この将軍府に最も必要なのは忠義と覚悟です。去りたい者は去りなさい。無理に引き止めはしません」

誰も動けなかった。震えながら見つめる使用人たちの前で、瑶華は凛と背を伸ばした。

「だが、残ると決めた者は、命に代えても将軍府を守るのだと、今ここで誓いなさい。二度と迷いがないように」

沈黙が続く。やがて、年長の女中が一歩前に出た。
「……お慕いしております、奥さま。命じてください。私ども、従います」
続いて、若い下男たちも頭を下げた。彼らの瞳には、恐怖の中にわずかな希望の光が灯っていた。
瑶華は深く頷くと、侍女・明蘭の肩にそっと手を置いた。
「しばらく、府のことは任せます。今はまだ、良からぬ者たちが近づいてくるでしょう。甘言に惑わされぬよう、皆の目を覚ましておいてください」
「……お任せくださいませ」
そう言って深く頭を下げる明蘭の額に、ひと雫の涙がこぼれた。瑶華はそれを見ずに、振り返ると一気に馬車へと乗り込んだ。
次に向かうは――第六王子の居所。
主を失った府に、心を置き去りにしたまま、車輪の音が乾いた道に響き渡った。
(私はもう、守る側に立たねばならない)
揺れる馬車の中、瑶華の目は強い光を宿していた。その瞳の奥には、将軍への深い愛情と、理不尽な状況への静かな怒りが燃えていた。
第六王子の居所に戻った瑶華は、すぐに身の回りの整理を始めた。将軍府に戻る準備をしつつ、心のどこかで「その日」をただ静かに待っている自分に気づく。――刑の執行日。
将軍、霖寅が北の荒地に追放される――それは処刑こそ免れたものの、生きて帰る保証のない過酷な運命だった。
「……彼は、黙って受け入れるのだろうか」
ふと立ち止まり、円卓に置いた風呂敷をじっと見つめる。誰よりも潔癖で、武人としての誇りに生きた将軍が、罪人として北の荒地に追放されようとしている。この国を守るために幼い頃から軍に入り、誰よりもこの国を愛したからこその功績も、今や何の役にも立たないのか。無情な決定に、今更ながら怒りがこみ上げてくる。
その陰に潜む者が誰かも、晨を狙った理由も、まだ掴めていない。
「あれから……晨には会っていない」
第六王子は慎重だった。「今はまだ、表には出せない」と言い、晨をどこかに匿ったままだ。晨は無事なのか。あの夜、子供の頃のように「お姉さま」と呼んだ姿が思い出され、胸が潰れる思いがした。
「大丈夫でいて……お願いだから」
手が震える。荷物を整えようとしても指がかじかみ、うまく結べない。胸の奥に広がる不安を必死に押し込み、表情を整えると、再び包みに手を伸ばした、その時だった。
障子の向こうから激しい足音と女の怒声が響いた。
「妾(わらわ)を止めるなどお前は何者だッ!」
次の瞬間、障子が乱暴に開け放たれ、ひとりの侍女が吹き飛ぶように倒れ込んだ。駆け寄ると、その頬には赤い手形が残っていた。呆然とする瑶華の前に、豪奢な衣を身にまとった女がゆっくりと入ってくる。
――貴姫。
第二皇女の母であり、宮中でも特に気性が激しいことで知られる女傑。部屋の空気が一瞬で凍りついた。
「止めきれず、申し訳ありません……!」と膝をついて詫びる侍女の姿に、瑶華は背筋を正した。だが貴姫は、それを意にも介さず、冷たい目で瑶華を見下ろした。
「お前のせいで、あの将軍も、――妾の娘に手をかけた」
怒気を孕んだその声は、部屋の隅々にまで響いた。
瑶華は立ち上がり、強い眼差しで貴姫を見返した。彼女の心には、貴姫への怒りと、将軍の無実を信じる揺るぎない確信があった。
「……先に刃を向けたのはそちらの方では?娘があのような凶行をなさるのを、母としてお止めにならなかったのですか?すでに婚姻している男性に横恋慕など、それこそ王族の恥ではございませんか?」
部屋の外では風が強まり、遠くで雷のような音が鳴った。激しい嵐の前触れのように、心にも冷たい予感が忍び寄る。
(嵐が来る。だけど――退かない)

次の瞬間、貴姫の唇が冷たく吊り上がった。
「なに?こやつ!……王族が、望めば白は黒になるもの。王族に逆らった覚悟、見せて貰おうか」



――闇が、すぐそこにあった。


刑の執行日。
灰色の雲が低く垂れこめ、風は湿った冷気を運んでいた。瑶華は第六王子が貸してくれた馬車に乗り、城門を出て、将軍を見送るため竹林まで出ていた。道中の官道は静まり返り、唯一の音は馬車の車輪が乾いた砂を擦る音と、風に揺れる竹のざわめき――それだけだった。
この先、彼は二度と都へ戻ることはない。北の地、雪と荒廃の果てへ。
瑶華は袖の内で強く拳を握った。せめて最後に、笑顔を見せよう。あの人が安心して旅立てるように。不安で、苦しくて、心が張り裂けそうだったが、それでも気丈に振る舞おうと努めた。
やがて遠くに囚人輸送用の木枠の檻が見えてきた。
墨霖寅――痩せたように見えたが、その目にはまだ闘志が宿っていた。

「将軍……」

瑶華は涙をこらえ、精一杯の笑顔を作り、檻に向かって手を振った。将軍は目を見開き、わずかに表情を崩した。「こんな所まで来るな」とでも言いたげな口元。その瞳に、一瞬の戸惑いと、そして深い愛情がよぎったように見えた。
しかしその瞬間――

「伏せてください!」

叫び声が響いたかと思うと、竹林の陰から黒装束の刺客たちが一斉に飛び出してきた。矢が飛び交い、警護兵が次々と倒れる。馬が嘶き、御者が射殺された馬車が横転した。

「瑶華様、お早く!」

侍女たちが叫び、彼女を馬車に押し込もうとしたが、瑶華は振り返った。将軍の檻が割れ、木片が弾ける。彼は既に手に剣を握り、敵をなぎ倒していた。墨影兵たちも地面から這い出るように現れ、無音のまま敵へと斬りかかる。
その瞬間、瑶華の視界がぶれた。後ろから腕を捕まれ、喉元に冷たい刃が当てられていた。

「動くな!女がどうなってもいいのか!」

刺客の声が響くと、戦場の空気が一変した。律が将軍を見て、刹那、視線を交わす。次の瞬間、律は短剣を投げた――刺客の腕に突き刺さり、呻き声。瑶華はその隙に将軍のもとへ駆け出した。
墨霖寅は即座に瑶華を背に庇い、剣を構える。だが、弓を持った別の刺客が笑った。
「守ってるつもりか?矢は二人まとめて貫けるぞ?」
その時、瑶華が将軍の背から腕を回し、心臓の前で手を組んだ。将軍の瞳が鋭く、氷のように冷たく光る。一瞬の沈黙――緊張が爆発寸前まで膨れ上がる。
そして――

「やれやれ、最期に登場するのが主役ってもんだろ?」

高らかな声とともに、第六王子が馬を駆って現れた。華やかな衣を翻し、馬の蹄が地を蹴る。軽口を叩きながらも、彼は刺客と将軍たちの間に馬を滑り込ませ、その身体で壁となった。

「惚れ直したか?」

と片目をつぶる王子に、瑶華は驚きのまま見つめ返す。

「泰!頼む」

王子が背後の護衛に命じると、泰が瑶華を抱えて後方へ引いた。
その間も、将軍は静かに剣を構え直す。竹林が風でうねり、戦の合図を告げるようにざわめいた。空気は裂け、血の匂いが漂う。
死屍累々の中から、将軍と墨影兵が生存者をとらえていた。
王子が瑶華に、怪我は無いかと問いかける。
頷きながら、瑶華は震える声で疑問を投げかける。

「あの将軍は……追放されるのでは……?」

「ああ、あれねー、お芝居よー」

おどけて言う第六王子。
「陛下と相談してね?黒幕を誘き出すためのお芝居なの」
瑶華は、しばらく思考が追いつかなかった。

………………、…、追放されない?
無実ってこと?

思考がやっと追いついたら、安堵と共に、激しい怒りが沸き上がった。

(私、騙されてた!あんなに心配したり、せめて差し入れをと跪いて懇願したりしたのに~~!)

後始末の指揮に忙しい将軍に駆け寄り、

「酷い!騙すなんて!」

と叫んだ。振り上げられた手は止まることなく、将軍の胸を叩いた。
将軍は瑶華を、強く抱き寄せた。彼の腕の中に閉じ込められ、瑤華の抵抗は意味をなさなくなる。 

「すまなかった」

小さく呟かれたその言葉は、彼の胸に顔を埋めた瑶華の心に、静かに響いた。
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