​『完璧な契約書の落とし穴 ~中立国の薬学王女は、氷の王の「合理的」な愛から逃げられない~』

エイプリル

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第二話:サインの前の再確認は必須です! ~一週間後の強制連行と、第十七条三項の罠~

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第二話:サインの前の再確認は必須です! ~一週間後の強制連行と、第十七条三項の罠~


「ふふん、ふふふ~ん♪」

セントラル王宮の一角、使い慣れた実験室にリーゼの軽やかな鼻歌が響く。
窓から差し込む柔らかな陽光を浴びながら、彼女は研究ノートを広げ、未来への展望にうっとりと胸を躍らせていた。

「辺境の地にお嫁に行かなくて済んだし、外交問題も解決。おまけにノルディアの純度の高い氷や寒冷技術が手に入るなんて。これで春にしか咲かない希少植物の研究も劇的に進むわ。ああ、楽しみだなぁ……!」

あの冷徹そうなエイルヴィルケン王を「共同研究」という名目で手玉に取り、政略結婚を回避した自分の知略が誇らしい。リーゼがまさに人生の絶頂を噛みしめていた、その時だった。

「姫様! 姫様! 何をのんびりされているんですか!」

侍女が血相を変えて飛び込んできた。

「え? 何って、いつもの研究よ。平和になったんだから、これからは思う存分……」

「何を言ってるんですか! 早くお着替えを! ご出立の刻限ですよ!」

「ええっ、お見送り? エイル様、もうお帰りになるのね。大事なビジネスパートナーですもの、盛大にお見送りしなくちゃ♪」

リーゼは適当に返事をしながら、大切な研究ノートを引き出しの奥にしまい込んだ。もっと研究していたかったのに、とブツブツ不満を漏らす彼女を、侍女は文字通り引きずるようにして連れ出していく。
門前に着くと、そこには白銀の馬が四頭繋がれた、あまりにも立派で威厳に満ちた馬車が控えていた。
その美しさに目を奪われていると、馬車から降りてきた正装のエイルヴィルケンと視線がぶつかる。

「……それでは、参ろうか」

彼の冷徹なまでの美貌と、王としての圧倒的な威圧感に気圧され、リーゼは声も出ない。導かれるままに彼の手をとり、エスコートされるがまま馬車へと足を踏み入れた。

――はっ!

豪華な内装の椅子に深く沈み込んだ瞬間、リーゼの思考が急速に回転し始める。

(……なんで、私、馬車に乗っちゃったの?)

「待っ、待ってください! 降ります! なんで私も乗ってるんですか!?」

慌てて立ち上がろうとした瞬間、風のような速さで馬車が走り出した。
窓の外を流れる景色が、どんどん加速していく。

「何故? これから我が国で婚礼を挙げるというのに」

エイルヴィルケンが、心底不思議そうに首を傾げた。

「えええええええーーーっ!?」

車内にリーゼの絶叫が響き渡る。

目の前の男は、困惑した表情を浮かべながらも、その氷色の瞳でまっすぐにリーゼを見つめていた。

「落ち着いてください、ルミナリア王女。婚礼はまだ先の予定でした。これは単なる、ノルディアへの移動です」

「そういう問題じゃありません! 婚礼って何ですか、婚礼って! 私たちは対等な『契約関係』のはずでしょう!?」

「ええ。ですから、契約に基づけば婚礼は避けられません。両国の発展のためです。準備は既に、万端に整っています」

「なんで整ってるのよぉぉぉーーー!」

リーゼの混乱と焦燥をよそに、エイルヴィルケンは至って冷静に、一枚の書類を提示した。

「……何か問題でも? あの契約書、第十七条三項を読み飛ばしたのですか?」

「第十七条……? いえ、私は自分の権限のことばかり確認して……」

リーゼの指が震えながら、契約書の写しを辿る。
そこには、彼女がドヤ顔でサインした署名のすぐ近くに、確かにこう記されていた。

『技術提携の円滑な遂行のため、主任責任者は当面の間、共同研究先であるノルディアに滞在し、その身分を保証するため速やかに正妃としての儀を執り行うものとする』



「……えっ」





頭の中が真っ白になる。
権限を握ることに執念を燃やすあまり、その「前提条件」として埋め込まれた一行を、単なる形式的な事務文言だと思い込んでスルーしてしまったのだ。

「待ってください! 私は、中立国から遠隔で指示を出すつもりで……!」

「我が国の寒冷技術と、あなたの薬学。これらを融合させるには、膝を突き合わせた密な議論が不可欠です。それに……」

彼は少しだけ声を落とし、リーゼの手を優しく、けれど鉄の拘束のように逃がさない強さで握り締めた。

「……あなたという『予測不能な資源』を、誰にも渡したくないと判断した。これはノルディアの王としての、極めて合理的な決断です」 

「合理主義の皮を被った、ただの強引な誘拐じゃないですかーーー!!」

絶望に打ちひしがれるリーゼを乗せて、馬車は住み慣れた温かな王都を離れ、白銀の雪嶺へと突き進んでいく。

「不満は言わせないつもりです。あなたの研究室も、ノルディアの王宮内に『最高水準』のものを設えましたから」


「研究室……最高水準……っ……!」
ごくっ



怒り狂うべき場面なのに、その甘美な響きに一瞬だけ心が揺らいでしまった自分に、リーゼはさらに頭を抱える。

「……着くまでに、もう一度契約書の条項を精査しましょうか、ルミナリア王女。今度は、一文字も逃さぬように」

氷色の瞳に宿る、隠しきれない独占欲。
平和のために知略を巡らせたはずの王女は、自ら仕掛けた「完璧な契約書」の罠にハマり、北の国へと文字通り「お持ち帰り」されてしまったのである。
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