​『完璧な契約書の落とし穴 ~中立国の薬学王女は、氷の王の「合理的」な愛から逃げられない~』

エイプリル

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第6話:侍女の策略と「ヘタレ」な王の誤算

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第6話:侍女の策略と「ヘタレ」な王の誤算
~嫉妬の嵐を隠し持った、強引(?)な個人授業の始まり~


1. 侍女、立ち上がる
「……はあ、陛下。情けないにもほどがありますわ」
ノルディア王宮の王妃付き侍女——かつてセントラルからリーゼに付き添い、今やこの凍てつく国で誰よりも早く「火」を点けるべき場所を心得ている彼女は、深夜の執務室で深々と溜息をついた。
デスクの向こうでは、この国の絶対君主であるエイルヴィルケンが、氷色の瞳を複雑に揺らめかせながらペンを握りしめている。その指先が白くなるほど力が入っているのは、先ほどまで脳裏にこびりついて離れなかった、研究室での「光景」のせいだ。
「……何か言いたいことがあるのか」
「ありますとも! 陛下、ただ影から壁の花のように見守ってばかりでは、何も伝わりません! あのフィアンとかいう研究員、なかなかの食わせ物ですわよ? あのままでは王妃様を『研究の理解者』という椅子ごと奪われてしまいますわ!」
侍女の言葉に、エイルヴィルケンの眉間に深い皺が刻まれる。「奪われる」という不穏な響きが、彼の合理的な思考をかき乱す。
「いいですか、陛下。王妃様は……あの方は、研究のことになると周りが見えなくなる『研究バカ』です。そこを逆手に取るのです! リュミエールの製品化にかこつけて、二人きりの個室に誘い出すのです。そこで王妃様の好奇心を刺激する新たなネタを投下し、ついでに甘いお菓子でも勧めて、胃袋と心根を同時に掴む。よろしいですか、これは戦争ですわよ?」
「……好意を、得る……か」
エイルヴィルケンは低く呟き、思考の海に沈んだ。しばらくの黙考の後、彼はゆっくりと顔を上げた。
「……興味深い。あなたの助言、採用しよう」
2. 「強引な」お誘いの果てに
翌日。作戦は実行に移された。
研究室の扉を、普段よりも強い足取りで開けたエイルヴィルケンは、窓際で談笑するリーゼとフィアンを見つけた。
(……また、笑い合っている)
胸の奥で燻る黒い靄を押し殺し、彼は深呼吸をしてリーゼに向き直る。
「王妃様、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか。検討すべき重要な『新資料』があります」
「まぁ! 新しい資料? それはなんですの?」
案の定、リーゼの目がキラキラと輝く。彼女はフィアンの方を向き、「あ、フィアン! ここ、お願いね?」と柔らかく笑いながら、彼の腕に軽く触れて立ち上がった。
その瞬間、エイルヴィルケンの氷色の瞳に戸惑いと、隠しきれない鋭い嫉妬の火花が散った。
(……触れた。私以外の男の腕に、あのように自然に……!)
「お待たせしました、陛下。それで、その新資料とは?」
目の前に寄ってきたリーゼの香りに、エイルヴィルケンは慌てて姿勢を正す。「……待たせて、すみません。実は侍女から……いや、私から提案がありまして。北地域で採取される特殊な薬草の報告書を、あなたと共に精査したいと考えたのです」
彼は震える手で、極寒地での医療効果が期待される極秘資料を広げた。
3. 計算外の「密着」
「まぁ! 素晴らしいわ、陛下! これ、この成分の組み合わせ……!」
リーゼは興奮のあまり、無意識にエイルヴィルケンの腕に手を添えた。
「っ……!」
その体温が伝わった瞬間、エイルヴィルケンの全身が硬直した。心拍数が跳ね上がり、頬が自分でも分かるほど熱くなる。普段は冷徹な王として知られる彼の耳までが、林檎のように赤く染まっていく。
「陛下、見てください! ここにこの配合を加えれば、安価で携帯可能な粉末になりますわ! これは革命です、ノルディアの名が世界に轟きます!」
リーゼの熱意は最高潮に達し、彼女は無意識にエイルヴィルケンの手をぎゅっと握りしめていた。
「……あ、ああ。確かに、粉末化は盲点だった……」
エイルヴィルケンは声が上ずり、視線が泳ぐ。手のひらから伝わる彼女の柔らかさと熱に、脳内の「合理性」が完全にショートしていた。
「あなたの情熱は……常に私を、驚かせる……」
彼は精一杯の勇気を振り絞り、資料を持つ手で彼女の肩を軽く、壊れ物を扱うように触れた。
「この研究、共に進めてもよろしいでしょうか」
「はい! もちろんですわ、陛下! それでは明日から早速!」
リーゼの輝くような満面の笑みに、エイルヴィルケンは今日初めて、勝利の予感に包まれて満足げな微笑みを浮かべたのだった。
4. 侍女の冷ややかな一言
リーゼが意気揚々と研究室へ戻った後、影からすべてを見ていた侍女が、エイルヴィルケンの前に音もなく現れた。
「……陛下」
「見たか。彼女は喜んでくれた。手も……握られたぞ」
どこか得意げなエイルヴィルケンに対し、侍女の視線は冷ややかだった。
「陛下、ダメじゃないですか! フィアンは王妃様お気に入りの研究員なんですよ? なんであそこで『また明日』なんて言わせて、彼女を彼のもとへ帰すんですか! もっと上手く、そのまま夕食に誘うとか、二人きりの時間を引き伸ばせなかったのですか?」
「え……?」
「王妃様は今、陛下を『最高のビジネスパートナー』だとしか思っていませんわ。このままでは、『自分はお飾りの后で、研究さえしていればいいんだわ』と誤解したまま関係が固まってしまいます! 最悪の場合、王妃様が陛下という個人を、完全に『放棄』して研究に永住してしまいますよ!」
侍女はビシッと指を突きつけた。
「陛下、一言申し上げますが……陛下は、ヘタレです! そんなんじゃ一生、彼女の心は掴めませんわ!」
「……ヘタレ、か」
エイルヴィルケンは自嘲的に呟き、机の上の資料を見つめた。
自分では精一杯の「アクション」を起こしたつもりだった。だが、彼女が自分に見せたあの情熱的な瞳は、あくまで「研究」に対するものであって、自分個人に向けられたものではないという事実に、今更ながら打ちのめされる。
「私に足りないものは……強引さか……」
彼は机の上の拳に力を込めた。
窓の外では、リーゼがフィアンと「陛下に貰った資料」について楽しげに話し合っている声が微かに聞こえてくる。
エイルヴィルケンの瞳に、これまでにない激しい嫉妬と、そして「ヘタレ返上」を誓う、青白い炎が静かに灯った。

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