8 / 8
最終話 そして本能寺から天王山
しおりを挟む
翌日。
織田信長は家臣たちを集めた。羽柴秀吉、明智光秀、柴田勝家、前田利家、黒田官兵衛以下、織田家に仕える大勢の家臣をだ。
「これより評定を始める」
信長が言うと、飛びつかんばかりに秀吉が声をあげる。
「信長様ッ! ついに真犯人がわかったのですか!」
「うるさい。それをこれから話すのだ。黙っていろ」
「はは、ごもっとも!」
平伏する秀吉。誰もが固唾をのんで見守る中、織田信長は此度の結末を告げる。
「桶狭間の合戦において、皆の者、大儀であった」
「ごもっとも! それも、この羽柴秀吉が今川を討ち取ったから――」
「黙っていろと言ったはずだッ!」
調子づく秀吉を一喝する信長。真犯人がわかった以上、なんと浅ましい発言か。
「しかし、織田家の躍進はこれからである。今川義元如き、木っ端のひとつに過ぎん。これに満足することなく、おぬしらのより一層の働きに期待しておる」
信長が合図をした。すると、小間使いたちが数多の千両箱を持ってくる。そのあまりの量に、家臣たちが色めき立つ。
「の、信長様、そ、それは?」
前田利家が前のめりになる。
「褒美である。武功を治めた者には当然であろう」
「だ、誰がそれを受け取るのですか?」
――当然、これは真犯人・黒田官兵衛の権利である。信長としては、不本意な結末であるが、奴こそが最大の功労者である以上、文句は言えまい。
だが――。
「この褒美は……皆に配ることにした」
家臣たちが一様にざわついた。
「信長様。……今川義元を討ち取った真犯人の件はいかがなさるのですか?」
明智光秀が、冷静に尋ねた。
「犯人は概ねわかっておる。だが、推察を述べてもカドが立つ。証拠も出てこん。おぬしらとて、水掛け論を繰り返し、喧嘩ばかりだ。――ならばと、ここが落とし所である。この褒美を、皆に配ることによって、桶狭間の授与式を終わりにしたい」
そう言うと、家臣たちがどよめき、言葉を交錯させる。
「やはり、信長様でもわからなかったのか」「真犯人は誰なんだ?」「いいのかよ。最大の功労者を差し置いて、俺たちまで褒美をもらって――」
「ちょっと待ってくださいッ! 昨日、おっしゃったじゃないですかッ! 犯人が誰かわかったと!」
前田利家が食ってかかる。
「真犯人はわかっておる。わかった上で、平等に配ると決めたのだ」
――これが、黒田官兵衛が褒美として要求したことであった。自分に与えられるはずの褒美を、羽柴秀吉、明智光秀、柴田勝家、前田利家の四人を中心に分配すること。そして、真犯人を明らかにしないこと。
――さらに、黒田官兵衛の罪を帳消しにすること。
悔しいが、その要求は織田家にとっても魅力的であった。官兵衛を殺せば、それは同時に真犯人を明かすことになり、虚言を吐いた家臣たちの信用が失墜する。諍いも続くだろう。しかも、最大の功労者を殺したという汚名を、信長は被ることになる。
だが、褒美を分配して配ることで、具合の良い『落としどころ』となった。
癪だったが、提案を飲むしかなかった。いや、織田信長だからこそ、官兵衛は飲むと踏んだのだろう。
――超合理主義。普通の武将であらば、義理や人情、感情で物事を断する。だが、信長は理と利を重んじる。結果、官兵衛の提案が最良であったからこそ、この桶狭間殺人事件を迷宮入りさせることにした。
事実、秀吉たち家臣団は、どこかホッとしたような表情を浮かべておる。
「いやあ、まあ、信長様がおっしゃられるのであれば、こういう結末もしかたあるみゃあな」
「う、うむ。本来なら、この柴田勝家がいただくものであるが、これが織田家の躍進に繋がるのであれば、仕方あるまい」
「黙れ。言ったであろう。誰が真犯人かわかっておると。適当なことをほざくと、浅ましく見えるぞ」
「いや、は、はは……」
苦々しい笑みをこぼす勝家。
「うう、さすがは信長様だぁ……」
前田利家も、納得してくれているようだ。
「良いご判断です。諍いをするのも疲れました」
「言っておくが、次はない。偽りを申し、手柄を独り占めしようとする輩は、即刻焼き討ちである。……わかっておるな?」
「「「「ははぁッ!」」」」
惜しむらくは、せっかく真犯人を見つけたというのに、それを誇れぬということか。家臣団からは幾分かの落胆を受けることであろう。
「これにて評定は終わりだ。皆の者、これからも織田家のためにより一層の努力をせよ」
まあ、黒田官兵衛に貸しができたのは大きい。奴の知略は日ノ本一である。今後も変わらぬ貢献をしてくれたら、織田家の地位も盤石な者となるだろう。裏切りには、警戒しておかなければならぬが――。
☆
「いやあ、官兵衛の口車に乗ってよかったわい」
その日の夜。柴田勝家は、己の屋敷でひとり酒を飲んでいた。実に美味く感じた。これも、黒田官兵衛のおかげだと思った。
あの日――桶狭間の合戦後、評定が始まる前。黒田官兵衛が、勝家のところにやってきた。そして、こう吹聴したのである。
『誰が、今川義元を殺した者がわからないそうです。ここは柴田様が名乗りを挙げることで、騒動は落着するのでは? それこそが織田家のためになるのでは? 柴田様の人望であれば、容易いことではないでしょうか?』
勝家は不思議に思った。秀吉の懐刀と呼ばれた官兵衛が、なにゆえ勝家に入れ知恵するのかと。実際、問うてみたところ、奴はこう言った。
『たしかに、拙者は秀吉様の家来にございます。されど、織田家のためを思えば、柴田様が出世した方が良いと思っております。柴田様こそ、織田家を支える大黒柱にございます。――ああ、拙者の発言は、どうかご内密に』
たしかに、このままでは織田家が揉めると思った。ゆえに、勝家が真犯人の栄誉をもらってやることにした。その方が、良いと思ったし、サルや明智に手柄を奪われるのが嫌だったというのもある。
黒田官兵衛は見所のある男だ。たしかにサルでは織田家を支えるに頼りない。官兵衛としても、苦慮の末の提案だったのだろう。
礼というか義理として、官兵衛のことだけは絶対に告げ口しないと柴田は誓った。墓まで持っていく覚悟もあった。感謝もあるし、柴田とて官兵衛との関係が知られたら、虚吐きの汚名を被る。
まあ、少し予定は狂ったが、結果として大量の褒美をもらえることになったのだから上出来である。
「酒が美味い……。くくっ、官兵衛の奴、わしの家来にならんかのう。あいつのような頭の良い奴をひとりぐらい側に置いておくのも悪くないな」
もし、秀吉が亡き者になれば、奴は柴田についてくれるだろうか――。
☆
同時刻。前田屋敷。
「やったぜ! なにもしてないのに褒美をくれるなんて、さすがは信長様だぜ!」
なんだかよくわからないけど、黒田官兵衛の言うとおりにしたら、なぜか褒美をもらえることができた前田利家。
今川義元が死んだあの日、合戦の最中、秀吉と明智がいがみ合い、都合の良いことに殺害現場を離れた。そこへちょうど現れた前田利家。見つけたのは義元の遺体。そして、黒田官兵衛の姿。
『おまえがやったのか?』と、利家は問いかけた。すると、官兵衛はこう答えた。
『……さて? 秀吉様は殺したとおっしゃってはいますが、どうやら明智様も自分が殺したと言い張るご様子。ここはひとつ、前田様も名乗りを挙げてみては?』
『バレたらどうするんだよ』
『なに、証拠はありますまい。それに、この黒田官兵衛、前々から前田様こそ織田家の筆頭家臣であってほしいと願っておりました。ここで、前田様が首を持ち帰れば、褒美は思いのまま。たしかに、我が主秀吉様も優秀には違いありませんが、格が違いまする。前田様が、大将首を掲げてはいかがでしょうか?』
たしかに、今川の首を戦場へと持ち帰れば、それこそ褒美は前田利家のもの。
黒田官兵衛とて、同じことができたはずなのに、その権利を譲ってくれたのである。官兵衛は『良い奴』だ!
『よっしゃ! その代わり、俺のことは内密だぜ? もし、信長様にいいつけたら、切腹だぞ?』
『ええ、もちろんですとも。しかし、拙者が提案したことも内密に。その時は、前田様こそ切腹ものでございますよ?』
勝家と揉めるし、信長様に焼き討ちにされるし、とんでもないことになったが、黒田官兵衛のおかげで、褒美をもらうことができた。大将首を取ったわけでもないのに、これだけの恩賞をもらえたら十分だ。
「いやあ、黒田様々だぜ!」
☆
「此度の一件、まこと残念でございましたな。本来であれば、真犯人である秀吉様こそ第一武功を与えられるはずでございましたのに」
羽柴秀吉の屋敷。黒田官兵衛が、口惜しそうにつぶやいた。
「まあ、良いではないか。これ以上、織田家が荒れるのもよくにゃあ。褒美も十分もらえたし、これで満足せにゃ」
――犯人でもないのに、褒美をもらえるだけでも上々。いやあ、あの時、とっさに嘘をついてよかった。
官兵衛が勘違いしたからこそ、今川義元を討ち取ったと言ってしまった。完全に勢いでしかなかったのに、結果として言い張って良かった。信長の機嫌も悪くない。
――しかし、本当に今川義元を討ち取ったのは誰だったのだろう?
秀吉の知略を巡らせても、犯人がわからない。明智も柴田も前田も、そのような気配はない。他に候補が――。
「のう、官兵衛、おまえは……っと――」
知略家の官兵衛に問うてみたいところであった。しかし彼は、秀吉が真犯人と信じてやまないのであった。真実を話せば信頼を失うことになる。
秀吉は言葉を止める。口惜しい――。
――ん? もしかして、官兵衛が真犯人……?
そんなハズはない。もし彼が殺したのなら、名乗りを挙げないはずがない。
「どうかなさいましたか、秀吉様?」
秀吉に手柄を譲るため? いや、それならとぼける必要がない。正々堂々と譲れば良いだけである。ともすれば――。
「な、なんでもにゃあよ。おみゃあも、よう働いてくれた。褒美も分けたるでよ」
「ありがたき幸せ」
うん。官兵衛は関係ない。――関係ないが、もし万が一彼が犯人だとしたら、それはおそらく織田家転覆にも繋がる壮大な陰謀に繋がっていただろう。だが、結果として、こうして織田家は持ち直している。うむ、官兵衛が犯人であるわけがない。
「では、秀吉様。……拙者はこれにて」
「うむ。信長様は、これから天下統一を目指すために討って出る。柴田や明智には負けとられんでよ。おぬしには、これからもより一層働いてもらうからのう」
「はっ、お任せあれ」
そう言って、黒田官兵衛は屋敷を出て行った。
☆
「……きましたか」
明智屋敷に、ひとりの訪問客。ふすまの向こうから、声が届けられる
「黒田官兵衛にございます」
言って、ふすまが開いた。
「夜分遅くに来訪いただき、感謝しますよ官兵衛」
「……同じ織田家臣とはいえ、あなたは秀吉様の敵。こうして呼び出されるのは、あまりいい気がしませんな」
「ご安心ください。秀吉殿には、内密にしておきますので」
警戒する様子を見せながら、黒田官兵衛が明智の正面へと座る。
「要件は?」と、問いかけてくる官兵衛。気の早いことだと明智は思った。まあ、主の好敵手とあっては、おいそれと心を開くことなどできぬのだろう。
「……黒田官兵衛、あなたが真犯人ですね?」
「なにを戯れ言を」
「しらばっくれてもらっても結構。……勝手に話を進めさせてもらいます」
明智光秀には、ある程度確信があった。今川討伐のあの日、遺体の前にいる官兵衛と秀吉を見つけたが、秀吉が明らかに狼狽しているのに対し、官兵衛は落ち着いていた。そして、織田家の混乱。官兵衛が裏で絵を描いていたのなら理解できる。
そして、幽閉されていたはずの柴田勝家を解き放った犯人。あの時、それで利があるのは誰か――。犯人の目的を考えると、自ずと犯人候補は浮かび上がる。
「あなたが秀吉殿を…………織田家臣を排除し、上に立とうという野望があるのはわかります」
「愚弄する気ですか、明智様?」
怒りを滲ませるが、それもおそらく演技であろう。光秀は勝手に話を進めさせてもらう。
「ここだけの話……私は、織田家そのものを排除しようと思っています。――いかがですか? ……手を組みませんか?」
「謀反のお誘いですか」
「上杉、武田、毛利――。今後、織田家は強敵との戦いになる。ですが、最後に勝つのは信長様です」
「……でしょうな」
「しかし、信長様の振る舞いはあまりに天下人にはほど遠い。此度の事件で、それも浮き彫りになりました。疑わしき家臣を焼き討つ始末。まさに魔王の所業。このままだと、日本は恐怖に包まれるでしょう」
「随分な物言いですな」
「……織田信長が天下統一を成し得ようとする瞬間、私は動きます。ぜひ、どうかあなたにも協力願いたい」
「…………」
「返事はできませぬ、か……。結構。私が野心を抱いていると知ってくれたらそれでいい。黒田官兵衛は、日ノ本一の知略家です。ここで示し合わせなくても、時代の流れに沿って、動いてくれると信じております。もし、あなたの働きで、この明智光秀が天下人となった暁には、相応の礼を尽くしたいと考えております。九州でも奥州でも、好きなところを差し上げたいかと」
黒田官兵衛は、じっと明智を睨みつけていた。睨みつけて――鼻で笑った。
「ふん。明智殿は、冗談がお好きでござるな」
「ええ」
「此度の話は聞かなかったことにしておきます」
「そうですか」
「しかし、喉が渇いたでござる。すまぬが、茶を一杯いただけますかな?」
明確な言葉にしない。示し合わせることもしない。だが、茶を『飲む』という行為が、明智の提案を『飲む』という言葉遊びとしてなぞらえたのであろう。
黒田官兵衛に茶を点てると、彼はそれを一気に飲み干すのであった――。
魔王探偵織田信長の冥推理
桶狭間殺人事件 終幕
織田信長は家臣たちを集めた。羽柴秀吉、明智光秀、柴田勝家、前田利家、黒田官兵衛以下、織田家に仕える大勢の家臣をだ。
「これより評定を始める」
信長が言うと、飛びつかんばかりに秀吉が声をあげる。
「信長様ッ! ついに真犯人がわかったのですか!」
「うるさい。それをこれから話すのだ。黙っていろ」
「はは、ごもっとも!」
平伏する秀吉。誰もが固唾をのんで見守る中、織田信長は此度の結末を告げる。
「桶狭間の合戦において、皆の者、大儀であった」
「ごもっとも! それも、この羽柴秀吉が今川を討ち取ったから――」
「黙っていろと言ったはずだッ!」
調子づく秀吉を一喝する信長。真犯人がわかった以上、なんと浅ましい発言か。
「しかし、織田家の躍進はこれからである。今川義元如き、木っ端のひとつに過ぎん。これに満足することなく、おぬしらのより一層の働きに期待しておる」
信長が合図をした。すると、小間使いたちが数多の千両箱を持ってくる。そのあまりの量に、家臣たちが色めき立つ。
「の、信長様、そ、それは?」
前田利家が前のめりになる。
「褒美である。武功を治めた者には当然であろう」
「だ、誰がそれを受け取るのですか?」
――当然、これは真犯人・黒田官兵衛の権利である。信長としては、不本意な結末であるが、奴こそが最大の功労者である以上、文句は言えまい。
だが――。
「この褒美は……皆に配ることにした」
家臣たちが一様にざわついた。
「信長様。……今川義元を討ち取った真犯人の件はいかがなさるのですか?」
明智光秀が、冷静に尋ねた。
「犯人は概ねわかっておる。だが、推察を述べてもカドが立つ。証拠も出てこん。おぬしらとて、水掛け論を繰り返し、喧嘩ばかりだ。――ならばと、ここが落とし所である。この褒美を、皆に配ることによって、桶狭間の授与式を終わりにしたい」
そう言うと、家臣たちがどよめき、言葉を交錯させる。
「やはり、信長様でもわからなかったのか」「真犯人は誰なんだ?」「いいのかよ。最大の功労者を差し置いて、俺たちまで褒美をもらって――」
「ちょっと待ってくださいッ! 昨日、おっしゃったじゃないですかッ! 犯人が誰かわかったと!」
前田利家が食ってかかる。
「真犯人はわかっておる。わかった上で、平等に配ると決めたのだ」
――これが、黒田官兵衛が褒美として要求したことであった。自分に与えられるはずの褒美を、羽柴秀吉、明智光秀、柴田勝家、前田利家の四人を中心に分配すること。そして、真犯人を明らかにしないこと。
――さらに、黒田官兵衛の罪を帳消しにすること。
悔しいが、その要求は織田家にとっても魅力的であった。官兵衛を殺せば、それは同時に真犯人を明かすことになり、虚言を吐いた家臣たちの信用が失墜する。諍いも続くだろう。しかも、最大の功労者を殺したという汚名を、信長は被ることになる。
だが、褒美を分配して配ることで、具合の良い『落としどころ』となった。
癪だったが、提案を飲むしかなかった。いや、織田信長だからこそ、官兵衛は飲むと踏んだのだろう。
――超合理主義。普通の武将であらば、義理や人情、感情で物事を断する。だが、信長は理と利を重んじる。結果、官兵衛の提案が最良であったからこそ、この桶狭間殺人事件を迷宮入りさせることにした。
事実、秀吉たち家臣団は、どこかホッとしたような表情を浮かべておる。
「いやあ、まあ、信長様がおっしゃられるのであれば、こういう結末もしかたあるみゃあな」
「う、うむ。本来なら、この柴田勝家がいただくものであるが、これが織田家の躍進に繋がるのであれば、仕方あるまい」
「黙れ。言ったであろう。誰が真犯人かわかっておると。適当なことをほざくと、浅ましく見えるぞ」
「いや、は、はは……」
苦々しい笑みをこぼす勝家。
「うう、さすがは信長様だぁ……」
前田利家も、納得してくれているようだ。
「良いご判断です。諍いをするのも疲れました」
「言っておくが、次はない。偽りを申し、手柄を独り占めしようとする輩は、即刻焼き討ちである。……わかっておるな?」
「「「「ははぁッ!」」」」
惜しむらくは、せっかく真犯人を見つけたというのに、それを誇れぬということか。家臣団からは幾分かの落胆を受けることであろう。
「これにて評定は終わりだ。皆の者、これからも織田家のためにより一層の努力をせよ」
まあ、黒田官兵衛に貸しができたのは大きい。奴の知略は日ノ本一である。今後も変わらぬ貢献をしてくれたら、織田家の地位も盤石な者となるだろう。裏切りには、警戒しておかなければならぬが――。
☆
「いやあ、官兵衛の口車に乗ってよかったわい」
その日の夜。柴田勝家は、己の屋敷でひとり酒を飲んでいた。実に美味く感じた。これも、黒田官兵衛のおかげだと思った。
あの日――桶狭間の合戦後、評定が始まる前。黒田官兵衛が、勝家のところにやってきた。そして、こう吹聴したのである。
『誰が、今川義元を殺した者がわからないそうです。ここは柴田様が名乗りを挙げることで、騒動は落着するのでは? それこそが織田家のためになるのでは? 柴田様の人望であれば、容易いことではないでしょうか?』
勝家は不思議に思った。秀吉の懐刀と呼ばれた官兵衛が、なにゆえ勝家に入れ知恵するのかと。実際、問うてみたところ、奴はこう言った。
『たしかに、拙者は秀吉様の家来にございます。されど、織田家のためを思えば、柴田様が出世した方が良いと思っております。柴田様こそ、織田家を支える大黒柱にございます。――ああ、拙者の発言は、どうかご内密に』
たしかに、このままでは織田家が揉めると思った。ゆえに、勝家が真犯人の栄誉をもらってやることにした。その方が、良いと思ったし、サルや明智に手柄を奪われるのが嫌だったというのもある。
黒田官兵衛は見所のある男だ。たしかにサルでは織田家を支えるに頼りない。官兵衛としても、苦慮の末の提案だったのだろう。
礼というか義理として、官兵衛のことだけは絶対に告げ口しないと柴田は誓った。墓まで持っていく覚悟もあった。感謝もあるし、柴田とて官兵衛との関係が知られたら、虚吐きの汚名を被る。
まあ、少し予定は狂ったが、結果として大量の褒美をもらえることになったのだから上出来である。
「酒が美味い……。くくっ、官兵衛の奴、わしの家来にならんかのう。あいつのような頭の良い奴をひとりぐらい側に置いておくのも悪くないな」
もし、秀吉が亡き者になれば、奴は柴田についてくれるだろうか――。
☆
同時刻。前田屋敷。
「やったぜ! なにもしてないのに褒美をくれるなんて、さすがは信長様だぜ!」
なんだかよくわからないけど、黒田官兵衛の言うとおりにしたら、なぜか褒美をもらえることができた前田利家。
今川義元が死んだあの日、合戦の最中、秀吉と明智がいがみ合い、都合の良いことに殺害現場を離れた。そこへちょうど現れた前田利家。見つけたのは義元の遺体。そして、黒田官兵衛の姿。
『おまえがやったのか?』と、利家は問いかけた。すると、官兵衛はこう答えた。
『……さて? 秀吉様は殺したとおっしゃってはいますが、どうやら明智様も自分が殺したと言い張るご様子。ここはひとつ、前田様も名乗りを挙げてみては?』
『バレたらどうするんだよ』
『なに、証拠はありますまい。それに、この黒田官兵衛、前々から前田様こそ織田家の筆頭家臣であってほしいと願っておりました。ここで、前田様が首を持ち帰れば、褒美は思いのまま。たしかに、我が主秀吉様も優秀には違いありませんが、格が違いまする。前田様が、大将首を掲げてはいかがでしょうか?』
たしかに、今川の首を戦場へと持ち帰れば、それこそ褒美は前田利家のもの。
黒田官兵衛とて、同じことができたはずなのに、その権利を譲ってくれたのである。官兵衛は『良い奴』だ!
『よっしゃ! その代わり、俺のことは内密だぜ? もし、信長様にいいつけたら、切腹だぞ?』
『ええ、もちろんですとも。しかし、拙者が提案したことも内密に。その時は、前田様こそ切腹ものでございますよ?』
勝家と揉めるし、信長様に焼き討ちにされるし、とんでもないことになったが、黒田官兵衛のおかげで、褒美をもらうことができた。大将首を取ったわけでもないのに、これだけの恩賞をもらえたら十分だ。
「いやあ、黒田様々だぜ!」
☆
「此度の一件、まこと残念でございましたな。本来であれば、真犯人である秀吉様こそ第一武功を与えられるはずでございましたのに」
羽柴秀吉の屋敷。黒田官兵衛が、口惜しそうにつぶやいた。
「まあ、良いではないか。これ以上、織田家が荒れるのもよくにゃあ。褒美も十分もらえたし、これで満足せにゃ」
――犯人でもないのに、褒美をもらえるだけでも上々。いやあ、あの時、とっさに嘘をついてよかった。
官兵衛が勘違いしたからこそ、今川義元を討ち取ったと言ってしまった。完全に勢いでしかなかったのに、結果として言い張って良かった。信長の機嫌も悪くない。
――しかし、本当に今川義元を討ち取ったのは誰だったのだろう?
秀吉の知略を巡らせても、犯人がわからない。明智も柴田も前田も、そのような気配はない。他に候補が――。
「のう、官兵衛、おまえは……っと――」
知略家の官兵衛に問うてみたいところであった。しかし彼は、秀吉が真犯人と信じてやまないのであった。真実を話せば信頼を失うことになる。
秀吉は言葉を止める。口惜しい――。
――ん? もしかして、官兵衛が真犯人……?
そんなハズはない。もし彼が殺したのなら、名乗りを挙げないはずがない。
「どうかなさいましたか、秀吉様?」
秀吉に手柄を譲るため? いや、それならとぼける必要がない。正々堂々と譲れば良いだけである。ともすれば――。
「な、なんでもにゃあよ。おみゃあも、よう働いてくれた。褒美も分けたるでよ」
「ありがたき幸せ」
うん。官兵衛は関係ない。――関係ないが、もし万が一彼が犯人だとしたら、それはおそらく織田家転覆にも繋がる壮大な陰謀に繋がっていただろう。だが、結果として、こうして織田家は持ち直している。うむ、官兵衛が犯人であるわけがない。
「では、秀吉様。……拙者はこれにて」
「うむ。信長様は、これから天下統一を目指すために討って出る。柴田や明智には負けとられんでよ。おぬしには、これからもより一層働いてもらうからのう」
「はっ、お任せあれ」
そう言って、黒田官兵衛は屋敷を出て行った。
☆
「……きましたか」
明智屋敷に、ひとりの訪問客。ふすまの向こうから、声が届けられる
「黒田官兵衛にございます」
言って、ふすまが開いた。
「夜分遅くに来訪いただき、感謝しますよ官兵衛」
「……同じ織田家臣とはいえ、あなたは秀吉様の敵。こうして呼び出されるのは、あまりいい気がしませんな」
「ご安心ください。秀吉殿には、内密にしておきますので」
警戒する様子を見せながら、黒田官兵衛が明智の正面へと座る。
「要件は?」と、問いかけてくる官兵衛。気の早いことだと明智は思った。まあ、主の好敵手とあっては、おいそれと心を開くことなどできぬのだろう。
「……黒田官兵衛、あなたが真犯人ですね?」
「なにを戯れ言を」
「しらばっくれてもらっても結構。……勝手に話を進めさせてもらいます」
明智光秀には、ある程度確信があった。今川討伐のあの日、遺体の前にいる官兵衛と秀吉を見つけたが、秀吉が明らかに狼狽しているのに対し、官兵衛は落ち着いていた。そして、織田家の混乱。官兵衛が裏で絵を描いていたのなら理解できる。
そして、幽閉されていたはずの柴田勝家を解き放った犯人。あの時、それで利があるのは誰か――。犯人の目的を考えると、自ずと犯人候補は浮かび上がる。
「あなたが秀吉殿を…………織田家臣を排除し、上に立とうという野望があるのはわかります」
「愚弄する気ですか、明智様?」
怒りを滲ませるが、それもおそらく演技であろう。光秀は勝手に話を進めさせてもらう。
「ここだけの話……私は、織田家そのものを排除しようと思っています。――いかがですか? ……手を組みませんか?」
「謀反のお誘いですか」
「上杉、武田、毛利――。今後、織田家は強敵との戦いになる。ですが、最後に勝つのは信長様です」
「……でしょうな」
「しかし、信長様の振る舞いはあまりに天下人にはほど遠い。此度の事件で、それも浮き彫りになりました。疑わしき家臣を焼き討つ始末。まさに魔王の所業。このままだと、日本は恐怖に包まれるでしょう」
「随分な物言いですな」
「……織田信長が天下統一を成し得ようとする瞬間、私は動きます。ぜひ、どうかあなたにも協力願いたい」
「…………」
「返事はできませぬ、か……。結構。私が野心を抱いていると知ってくれたらそれでいい。黒田官兵衛は、日ノ本一の知略家です。ここで示し合わせなくても、時代の流れに沿って、動いてくれると信じております。もし、あなたの働きで、この明智光秀が天下人となった暁には、相応の礼を尽くしたいと考えております。九州でも奥州でも、好きなところを差し上げたいかと」
黒田官兵衛は、じっと明智を睨みつけていた。睨みつけて――鼻で笑った。
「ふん。明智殿は、冗談がお好きでござるな」
「ええ」
「此度の話は聞かなかったことにしておきます」
「そうですか」
「しかし、喉が渇いたでござる。すまぬが、茶を一杯いただけますかな?」
明確な言葉にしない。示し合わせることもしない。だが、茶を『飲む』という行為が、明智の提案を『飲む』という言葉遊びとしてなぞらえたのであろう。
黒田官兵衛に茶を点てると、彼はそれを一気に飲み干すのであった――。
魔王探偵織田信長の冥推理
桶狭間殺人事件 終幕
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
【戦国時代小説】 甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助
蔵屋
歴史・時代
わたしは、以前、甲斐国を観光旅行したことがある。
何故、甲斐国なのか?
それは、日本を象徴する富士山があるからだ。
さて、今回のわたしが小説の題材にした『甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助』はこの甲斐国で殆どの戦国乱世の時代を生き抜いた。そして越後の雄•上杉謙信との死闘は武田信玄、山本勘助にとっては人生そのものであったことだろう。
そんな彼らにわたしはスポットライトを当て読者の皆さんに彼らの素顔を知って頂く為に物語として執筆したものである。
なお、この小説の執筆に当たり『甲陽軍鑑』を参考にしていることを申し述べておく。
それでは、わたしが執筆した小説を最後までお楽しみ下さい。
読者の皆さんの人生において、お役に立てれば幸いです。
【最新版】 日月神示
蔵屋
歴史・時代
最近日月神示の予言本に不安を抱いている方もあると思うがまったく心配いらない。
何故なら日月神示では「取り越し苦労や過ぎ越し苦労はするな!」
「今に生きよ!」
「善一筋で生きよ!」
「身魂磨きをせよ!」
「人間の正しい生き方」
「人間の正しい食生活」
「人間の正しい夫婦のあり方」
「身も心も神さまからお借りしているのじゃから夜になって寝る前に神さまに一旦お返しするのじゃ。そうしたら身と心をどのようにしたらよいか、分かるじゃろ!」
たったのこれだけを守れば良いということだ。
根拠のない書籍や情報源等に惑わされてはダメだ。
日月神示も出口王仁三郎もそのようなことは一切言っていない。
これらの書籍や情報源は「日月神示」が警告する「臣民を惑わすものが出てくるから気をつけよ!」
という言葉に注目して欲しい。
今回、私は読者の皆さんに間違った解釈をされている日月神示を分かりやすく解説していくことにしました。
どうか、最後までお読み下さい。
日月神示の予言については、私が執筆中の「神典日月神示の真実」をお読み下さい。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
下級武士の名の残し方 ~江戸時代の自分史 大友興廃記物語~
黒井丸
歴史・時代
~本作は『大友興廃記』という実在の軍記をもとに、書かれた内容をパズルのように史実に組みこんで作者の一生を創作した時代小説です~
武士の親族として伊勢 津藩に仕える杉谷宗重は武士の至上目的である『家名を残す』ために悩んでいた。
大名と違い、身分の不安定な下級武士ではいつ家が消えてもおかしくない。
そのため『平家物語』などの軍記を書く事で家の由緒を残そうとするがうまくいかない。
方と呼ばれる王道を書けば民衆は喜ぶが、虚飾で得た名声は却って名を汚す事になるだろう。
しかし、正しい事を書いても見向きもされない。
そこで、彼の旧主で豊後佐伯の領主だった佐伯權之助は一計を思いつく。
不屈の葵
ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む!
これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。
幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。
本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。
家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。
今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。
家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。
笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。
戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。
愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目!
歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』
ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる