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5.春風
しおりを挟むそっとドアを開けてリビングに入り、オレは取ってきた膝掛けを片手に兄に近づいた。
柔らかなベージュの膝掛けは兄からの誕生日プレゼントだった。安眠を妨げぬように、愛用しているそれをふわりと兄の両肩にかける。
「……兄さん、いつもお疲れさ――……っえ?」
囁きかけて、膝掛けから手を離した直後――オレの右手首は、座ったまま振り返った兄の右手に捕らえられていた。
背からずり落ちた膝掛けを、兄は左手で回収し膝の上に置く。
息が、できない。
見上げてくる兄は強張った表情で。予期せぬできごとに背筋が凍り。オレは絶望の底に投げ出され、理解する。兄はさっき、目を覚ましていた。もはや頭の中は真っ白で少しも働かない。
やっとのことで硬直する体を動かし兄から目をそらす。けれども痛いくらいに静まり返った空気からは逃れられなかった。
「――桧理」
そして無情にも時は進む。
聞こえてくる硬質な声。オレの体には震えが走り、それが繋がれた兄の右手にまで移った。
……どうしたらいい? 逃げたい。なんであんな軽率な行いを、オレはっ。
いいや、とにかくっ、謝らないと。浅くぎこちない呼吸をどうにか整えて、それから……。
オレは自らを奮い立たせ、兄のほうを見た。
「あのっ、兄さ――」
「――僕も! ……僕も。桧理が、ずっと好きだった」
不意に放たれた言葉とその意味が、上手く頭に入ってこない。
呆然とするオレを置いてけぼりに。いつのまにか視線の先にいる兄は、照れくさそうに顔を紅潮させオレを見つめていた。
かくしてオレの頬も、つられてピンク色に染められていくのだった――。
近所ではちらほら桜も咲きだした三月も中旬。
長く長くあり続けた暗い淀みをかき消すように、オレの心にも爽やかな春の風が吹きこんでくる。
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