初恋の香りに誘われて

雪白ぐみ

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第二十一話〜金木犀の想い出②〜

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「どうしたの?」

 身を翻した瞬間――

 あの頃よりも、そして想像よりもずっと広い胸の中に閉じ込められた。

 今日はいつもの甘い香りはしない。
 その代わり柔軟剤の良い香りと、かすかに汗の匂いが鼻先を掠める。


「あ、おやま君?」

「帰らないで」

 肩を震わせて、苦しそうに絞り出した掠れ声。
 

「急にどうしたの? やっぱり具合悪い? それか、この部屋寒過ぎるんじゃないかな。設定上げる?」

 もしかしたら、体調が悪くて心細いのかもしれない。
 一人暮らしなら、誰かの温もりが恋しくなるのは当たり前の事。
 
 急に母性本能でもくすぐられたのか、そんな彼を慰めてあげたくなって、背中をさすり大丈夫? と声をかける。


「俺のそばにいて」

「分かった。寝るまでそばにいるよ。だからベッドに入って休ん――」

「友達じゃ嫌だ」

 背中に回された腕の力がギュッと強くなった。
 耳元に響く声は、微かに震えてる気がする。
 
「急にどうしちゃったの? 苦しいよ……」

「スイが好きだ。もうどうしようもないくらい、好きで好きで仕方ない。どうしたって、思い出なんかに出来ない」

「え、だって……花火大会の時、私とは付き合えないって……」

 あの夜言われた事、一言一句しっかりと覚えてる。
 あの時の、困ったように目を背けた彼の表情だって。
 あれほどの冴えない表情を見せられては、自分に気持ちがあるなんて全く思えなかった。
 それなのになぜ?

「あの時、本当はすごく嬉しかったよ。でも俺は……」

 一度言葉に詰まった後、少し間を開けて今度は私の瞳をしっかり見つめてから彼は続ける。


「俺はスイを傷つけるから。泣かせて嫌がる事して、だから俺は……」

「違う、違うよ! 傷つけたのは私で、青山君は悪い事してないよ!」

「だって、俺とは目も合わせたくないほど嫌になったんだろ? それに悪い事だよ、嫌がる女の子にあんな事するなんて」

「違うの。確かにあの時はすごく恥ずかしくて、それにビックリしちゃって……後になってちゃんと話をしなきゃ、謝らなきゃって思ってたのに、どうしたら良いのか分からなかっただけなの」

 子供ぽくてごめんなさい、ずっと伝えたかったこの言葉も付け足して再度謝った。

「子供だったのは俺。だからもう謝らないで」

「でも!」

「じゃあ……あの頃はお互い子供だっただけで、どっちも悪くなかった。これなら大丈夫?」

「うん」

 優しく宥めるような言葉は、三年間積もりに積もった重い気持ちをスッと軽くしてくれた。

「聞いて。スイが嫌がる事は二度としないって約束するから、もう一度俺の彼女になってください」

「喜んで!」

「本当に? 俺、またスイの彼氏になれるの?」

「うん!」

「後からやっぱ嫌だって言うのはナシだからね?」

 中学の時と同じ事言うから、
思わずふふっと笑っちゃった。

 拗ねた顔で「何で笑う?」と訊く彼が可愛くて、今度は意地悪心までムクムクと湧いてきちゃう。

「教えない」

「何だよそれ……」

 あ、まだ拗ねてるの?
 可愛い。

「サキ君好き」

「ちょ、それは不意打ち過ぎ……」

 今度は照れてる。
 可愛い。好き。
 さっきからサキ君の顔が赤いのは、また熱がぶり返したんじゃないよね?


「キス、してもいい?」

 病み上がりの少し掠れた声が、鼓膜を震わせ身体の奥まで突き抜ける。
 掠れてるのに甘い声が逆に色っぽい。
 頷く前に、ややフライング気味で唇を塞がれたけど、まぁいっか。

 キスってこんなに柔らかくて、優しくて気持ちいいものだった?

 なんか変なの。
 キスなら前もした事あるのに、今は変なところまでキュンキュンしちゃう。
 もっと、ずっと、いつまでもこうしていたいような。





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