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第一話 宴
一尾の狐として生まれ、長い月日をかけて成長し、およそ百の年毎に尾を増やしながら千年を生きる妖狐。
最高位の九尾の狐にまで成長すれば神仏にも比肩する力を持つと言われる。
しかしそれ故に恐れられ、力未熟なうちに人に狩られ、鳥獣妖魔に追われ、無事に九尾にまで成長できる妖狐は数少ないという。
時は初平二年(西暦一九一年)。
約四百年前に高祖劉邦が統一した中華の地。
一時は王莽に簒奪されたものの、光武帝劉秀によって命脈長らえたこの国は当時『漢』と呼ばれていた。
だが光武帝の次代明帝が四十八歳で病没して以降は代々早逝、そして若くして後継する皇帝が続いた。
それに伴って皇太后が強い発言力を持ち、若き皇帝を取り巻く宦官や外戚が政争を繰り広げる。
朝政や民情は閑却され、そこにあるのは己の権威や財の欲。
公然と官位が売買され、その資金の埋め合わせは民衆からの搾取で賄われた。
度重なる羌族や鮮卑ら異民族の侵攻、偶発した天災も相まって民衆は疲弊し、世情は乱れ、人心は定まらず。
妖を呼び、魔は笑み、怪が踊る。
人に害を為す者もいれば、益を為す者もいる。
あるいは人に悪事を唆す者や罰する者、そして寄生する者。
それらは多種多様。
妖魔や物の怪が潜むのは都雒陽も例外ではない。
先年太平道の教祖張角が起こした大規模な農民反乱、黄巾の乱は鎮められたが、それでも政治腐敗、苛政が改まる事はない。
それどころか乱の五年後に皇帝劉宏が後継者を明確に定めぬまま崩御した事により、宦官と外戚の政争は更なる混乱を向かえるにいたった。
宦官達は外戚派の総帥である大将軍何進の暗殺に成功するも軍権の掌握にまでは及ばず、逆に逆上して宮中に押し入った外戚派によって一掃された。
そんな混乱に乗じて力を得たのが隴西の梟雄、董卓である。
暗殺された何進によって地方から招聘され、雒陽郊外に駐屯していた董卓は、宦官によって宮中を連れ出されていた皇帝を保護し、そのまま何進の残した軍勢を吸収。
更に執金吾丁原の配下であった呂布を篭絡した。
呂布に丁原を殺害させて、その軍勢を吸収した事で雒陽で最も軍事力を持ち、そして朝廷の実権を握る事になる。
一方旧外戚派だった諸侯は名門袁家出自で何進の側近だった袁紹を総大将に連合軍を結成し、雒陽へ進軍を開始した。
それに対して董卓は多くの反対意見を押し切り、防衛に適さない雒陽から自らの出身地にも近い旧都長安への遷都を強行。
自身は雒陽に駐屯しつつも歴代皇帝の陵墓を暴いて金品財宝を略奪し、一部市街に火を放った。
過日使徒(行政の最高官)に就任した、王允の邸宅ではささやかな酒宴が開かれていた。
招かれたのは董卓の猛将で中郎将の徐栄。
徐栄は反董卓連合軍に対する尖兵として、若く血気に逸る曹操と鮑信、次いで連合屈指の武闘派と知られ『江東の虎』の異名をとる孫堅を破るなど大功をあげていた。
その祝いと労いの酒宴だった。
先だって徐栄は郷里の友人を遼東郡の太守(長官)に推挙し、王允がそれを後押しした経緯もあり、徐栄としても単に司徒就任祝いだけではなくその謝礼も兼ねた訪問だった。
家妓が楽曲を奏で、酒をつぐ。
季節の旬な食材が湯気をたて、鼻孔をくすぐる。
これが仲のよい同僚との酒宴であればどれほど気軽で楽しいか。
だがさしもの猛将も司徒王允の席を隣にして、緊張の面持ちを隠せない。
今でこそ董卓が四百年弱の空位を解禁した相国に就いているが、それまでは司徒は三公と呼ばれる人臣の極みの一角であった。
相国の配下とはいえ、一介の将卒が単独でその自宅に招かれるなど、そうそうない。
何か粗相をしては、主である董卓の顔に泥を塗り先の武功も台無しである。
「これ、一つ舞いでも披露して幽州の英傑におもてなしをせよ」
「お、王司徒、この凡将を英傑などとは、およしくだされ」
おだてられて恐縮する一方で、徐栄は内心驚いていた。
この王允はかつて気骨の儒士としても知られ、先の黄巾の乱の折りには豫州刺史として自ら馬上で剣を振るった事もあるという。
柔和な笑みを絶やさぬ、今の姿からはとても想像できない。
さすがに歳を重ねて丸くなったのか、あるいはそれ程までに司徒就任を喜んでいるのか。
そんな事を考えていた徐栄の目は舞を踊る一人の妓女に釘付けになった。
雪のように白い肌、牡丹のように赤い唇。
緩く弧を描く眉は三日月のように細く、切れ長の瞳は朝露のように輝く。
足取りは風に舞う薄絹のように軽やかで繊細。
袖振る腕は大空を飛ぶ鶴のようにしなやかで優美。
徐栄はしばし言葉を忘れ、食い入るように妓女に見とれた。
ひとしきり舞が終わると、王允は『貂蝉』と妓女の名を呼び、徐栄の杯に酒をつがせた。
「拙い舞でお目汚し致しました」
紅潮した頬、ほんのりと汗が滲む首筋、少し乱れた襟元から覗く胸元、息の乱れを努めて抑える声がなんとも艶めかしい。
「いやいや、実に素晴らしい舞でした」
貂蝉の挨拶に対して、喉から絞り出すように労う。
酒を受ける杯が微かに震える。
辺境の地に産まれ、異民族との戦いの中で育った徐栄には、地上に舞い降りて万人を魅了する天女か、魔性の美貌で色欲を誘って人を誑かす狐狸精の様に映った。
徐栄はやがて王允からの視線に気付き、慌てて向き直る。
「これは失礼致しました。
幽州の辺境で育った田舎者ゆえ……これ程美しい女性は初めてでございまして」
しどろもどろに弁明する徐栄に対して王允は笑みを絶やさない。
「何を言われますか。
幽州は私の郷里である并州と並び、北狄東夷より中原の盾となる要所。
郷里を辺境などと卑下するものではありませぬぞ。
そして徐中郎将は長く、その役目を果たしてこられた国の宝です」
董卓からでさえもここまで功を労われ、歓待され、褒めあげられた事はない。
「なんと……いや、私はそのような大層な者では……」
恐縮しきりの徐栄に対して王允は言葉を続ける。
「河に阻まれた涼州とは違い并州と幽州は地続きで隣り合い、私は徐中郎将とは同郷にも近い間柄と思っております。
この通り私は老いた身ではありますが、共に漢の治世を支えていきましょう」
美女に注がれて進む酒の酔いも手伝い、それまでの緊張が徐々に緩んでいく。
その後も王允におだてられ、持ち上げられ、徐栄は舞い上がらん心地で感激と感謝の言葉を繰り返し、家路についた。
最高位の九尾の狐にまで成長すれば神仏にも比肩する力を持つと言われる。
しかしそれ故に恐れられ、力未熟なうちに人に狩られ、鳥獣妖魔に追われ、無事に九尾にまで成長できる妖狐は数少ないという。
時は初平二年(西暦一九一年)。
約四百年前に高祖劉邦が統一した中華の地。
一時は王莽に簒奪されたものの、光武帝劉秀によって命脈長らえたこの国は当時『漢』と呼ばれていた。
だが光武帝の次代明帝が四十八歳で病没して以降は代々早逝、そして若くして後継する皇帝が続いた。
それに伴って皇太后が強い発言力を持ち、若き皇帝を取り巻く宦官や外戚が政争を繰り広げる。
朝政や民情は閑却され、そこにあるのは己の権威や財の欲。
公然と官位が売買され、その資金の埋め合わせは民衆からの搾取で賄われた。
度重なる羌族や鮮卑ら異民族の侵攻、偶発した天災も相まって民衆は疲弊し、世情は乱れ、人心は定まらず。
妖を呼び、魔は笑み、怪が踊る。
人に害を為す者もいれば、益を為す者もいる。
あるいは人に悪事を唆す者や罰する者、そして寄生する者。
それらは多種多様。
妖魔や物の怪が潜むのは都雒陽も例外ではない。
先年太平道の教祖張角が起こした大規模な農民反乱、黄巾の乱は鎮められたが、それでも政治腐敗、苛政が改まる事はない。
それどころか乱の五年後に皇帝劉宏が後継者を明確に定めぬまま崩御した事により、宦官と外戚の政争は更なる混乱を向かえるにいたった。
宦官達は外戚派の総帥である大将軍何進の暗殺に成功するも軍権の掌握にまでは及ばず、逆に逆上して宮中に押し入った外戚派によって一掃された。
そんな混乱に乗じて力を得たのが隴西の梟雄、董卓である。
暗殺された何進によって地方から招聘され、雒陽郊外に駐屯していた董卓は、宦官によって宮中を連れ出されていた皇帝を保護し、そのまま何進の残した軍勢を吸収。
更に執金吾丁原の配下であった呂布を篭絡した。
呂布に丁原を殺害させて、その軍勢を吸収した事で雒陽で最も軍事力を持ち、そして朝廷の実権を握る事になる。
一方旧外戚派だった諸侯は名門袁家出自で何進の側近だった袁紹を総大将に連合軍を結成し、雒陽へ進軍を開始した。
それに対して董卓は多くの反対意見を押し切り、防衛に適さない雒陽から自らの出身地にも近い旧都長安への遷都を強行。
自身は雒陽に駐屯しつつも歴代皇帝の陵墓を暴いて金品財宝を略奪し、一部市街に火を放った。
過日使徒(行政の最高官)に就任した、王允の邸宅ではささやかな酒宴が開かれていた。
招かれたのは董卓の猛将で中郎将の徐栄。
徐栄は反董卓連合軍に対する尖兵として、若く血気に逸る曹操と鮑信、次いで連合屈指の武闘派と知られ『江東の虎』の異名をとる孫堅を破るなど大功をあげていた。
その祝いと労いの酒宴だった。
先だって徐栄は郷里の友人を遼東郡の太守(長官)に推挙し、王允がそれを後押しした経緯もあり、徐栄としても単に司徒就任祝いだけではなくその謝礼も兼ねた訪問だった。
家妓が楽曲を奏で、酒をつぐ。
季節の旬な食材が湯気をたて、鼻孔をくすぐる。
これが仲のよい同僚との酒宴であればどれほど気軽で楽しいか。
だがさしもの猛将も司徒王允の席を隣にして、緊張の面持ちを隠せない。
今でこそ董卓が四百年弱の空位を解禁した相国に就いているが、それまでは司徒は三公と呼ばれる人臣の極みの一角であった。
相国の配下とはいえ、一介の将卒が単独でその自宅に招かれるなど、そうそうない。
何か粗相をしては、主である董卓の顔に泥を塗り先の武功も台無しである。
「これ、一つ舞いでも披露して幽州の英傑におもてなしをせよ」
「お、王司徒、この凡将を英傑などとは、およしくだされ」
おだてられて恐縮する一方で、徐栄は内心驚いていた。
この王允はかつて気骨の儒士としても知られ、先の黄巾の乱の折りには豫州刺史として自ら馬上で剣を振るった事もあるという。
柔和な笑みを絶やさぬ、今の姿からはとても想像できない。
さすがに歳を重ねて丸くなったのか、あるいはそれ程までに司徒就任を喜んでいるのか。
そんな事を考えていた徐栄の目は舞を踊る一人の妓女に釘付けになった。
雪のように白い肌、牡丹のように赤い唇。
緩く弧を描く眉は三日月のように細く、切れ長の瞳は朝露のように輝く。
足取りは風に舞う薄絹のように軽やかで繊細。
袖振る腕は大空を飛ぶ鶴のようにしなやかで優美。
徐栄はしばし言葉を忘れ、食い入るように妓女に見とれた。
ひとしきり舞が終わると、王允は『貂蝉』と妓女の名を呼び、徐栄の杯に酒をつがせた。
「拙い舞でお目汚し致しました」
紅潮した頬、ほんのりと汗が滲む首筋、少し乱れた襟元から覗く胸元、息の乱れを努めて抑える声がなんとも艶めかしい。
「いやいや、実に素晴らしい舞でした」
貂蝉の挨拶に対して、喉から絞り出すように労う。
酒を受ける杯が微かに震える。
辺境の地に産まれ、異民族との戦いの中で育った徐栄には、地上に舞い降りて万人を魅了する天女か、魔性の美貌で色欲を誘って人を誑かす狐狸精の様に映った。
徐栄はやがて王允からの視線に気付き、慌てて向き直る。
「これは失礼致しました。
幽州の辺境で育った田舎者ゆえ……これ程美しい女性は初めてでございまして」
しどろもどろに弁明する徐栄に対して王允は笑みを絶やさない。
「何を言われますか。
幽州は私の郷里である并州と並び、北狄東夷より中原の盾となる要所。
郷里を辺境などと卑下するものではありませぬぞ。
そして徐中郎将は長く、その役目を果たしてこられた国の宝です」
董卓からでさえもここまで功を労われ、歓待され、褒めあげられた事はない。
「なんと……いや、私はそのような大層な者では……」
恐縮しきりの徐栄に対して王允は言葉を続ける。
「河に阻まれた涼州とは違い并州と幽州は地続きで隣り合い、私は徐中郎将とは同郷にも近い間柄と思っております。
この通り私は老いた身ではありますが、共に漢の治世を支えていきましょう」
美女に注がれて進む酒の酔いも手伝い、それまでの緊張が徐々に緩んでいく。
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