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第3話、運命の番
しおりを挟む告げられた時間通りだ。
息を潜めて気配を断つ。ガチャリ、と扉が開いたのと同時に正宗の胸部を狙って思いっきりナイフを突き立てる。いや、突き立てた筈だった。
「嘘……っ、だろ」
想定外な事が起きたのである。
雷が落ちたような衝撃が全身に走り、振り上げたナイフを自ら下に落としてしまった。
愕然と正宗を見つめる。それは正宗も同じだったようで、呆気に取られたような見たこともない表情を浮かべていた。
「あ……」
体が痺れて甘い疼きが酷くなる。
聞こえてきそうなほどに心音が激しくて、歓喜が全身を蝕んだ。
磁石でもついているかのように、否応なく正宗の方へと意識ごと引き寄せられる。
運命の番。そんな言葉が脳裏をよぎった。
——やめろ。そんな事あってたまるか。自ら縋りつこうとなんてするな。
相反する心と体の動きを合わせようとするのに必死だった。
「ククク、はははは。これはこれは、つくづく面白いな。まさか運命の番だったとはな。あんなシステムなんぞくだらんと思っていたが、お前が運命ならば悪くない。なあ、我が妻よ」
嬉々とした声を上げる正宗とは対照的に、碧也は体を硬直させたまま動けずにいる。
「何で……。さっきまでは……何ともなかっただろが」
「さっきまでのお前はアルファだったからな。しかし今はオメガだ。美味そうな雌の香りがしているぞ。ちゃんと子宮も作られているようだな」
アルファとオメガの間でのみ成立する番関係にはもう一段階上にある繋がりがあった。
抗えない程の本能で感じ取る運命的な繋がり。それが運命の番と呼ばれている。
普通に生活して天寿を全うしたとしても出会う確率は極めて低い。
「くそ……っ」
心の奥底から喜びにも似た感情が湧き上がっていて、自分の体ではないみたいだ。
思っていた以上にオメガ化に馴染んできているとしても、いま自らに訪れている感覚は異常としか思えない。
心と体がそれぞれ別の意思を持っているかのように噛み合わず、脳が混乱してくる。それに正宗が運命の番だなんて悪い冗談にも程がある。夜の生活方面でも正宗には良い噂が皆無だ。
本能の喜びとは相反して、碧也は絶望の淵に立たされていた。微動だに出来ずにいると、頬に正宗の手が伸びてくる。
「触る、な」
手を弾き落としはしたものの、碌に力さえこめられない。
今起こっている事象全てを受け止められなくて、碧也の思考回路は完全に停止していた。
「拒んだところで運命は変えられんぞ。俺が欲しくて堪らんだろうに」
正宗の声に体が打ち震える。
ゾクゾクとした悪寒めいた甘い疼きが体中を駆け巡り、今すぐにでも正宗に体をあけ渡したい欲求が膨れ上がった。と同時に、先程自分がしようとしていた事を思い出して吐き気を催す。
運命の番をこの手で殺そうとしてしまった事への拒絶反応で気分が悪くなった。
「お……ぇ」
座り込んでえずきはしたが、口からは何も出て来なくて気分の悪さだけが体中を支配する。
「あーあー。番が居なくなる恐怖で気分が悪いなあ?」
背を摩られてあやされた。たったそれだけの行為で気分さえもふわりと持ち上げられる。
「こんなの……、あり得ない……」
口をついて出た言葉は弱々しいものだった。
「ククク、気の毒に。もう一生俺から離れられなくなってしまったな」
引き起こされそのまま腕の中に捕らわれてしまい、抱きしめられる。少し口を開いた瞬間に唇を塞がれ、すぐに舌を絡ませられた。
「……っ、は」
甘ったるく漏れた吐息が正宗を煽ったようで、角度を変えて何度も口内を蹂躙される。
「ん……、ぁ」
脳が痺れる程に気持ち良くて、いつまでもこうしていたいくらいだった。
惜しむように離され、俵担ぎにされる。
「あー、美味美味」
正宗は上機嫌に喉を鳴らしてずっと笑っていた。
抱え上げられたまま事務所内をつき進んでいく。奥にはエレベーターがあった。
中に入り下向する。
しかもやたら長い。どれだけ深い地下室なんだ、と碧也はボンヤリと考えていたが、あまりにも長過ぎるので口を開いた。
「何なんだよ、この建物。一体何処まで地下がある? 降ろせ!」
「地上にあるのはハリボテに近い仮住居兼事務所だ。普段は魔力で結界を張っている。うちは完全招待制なんでな、通常の人間には単なる空き地にしか見えない仕組みにしているんだ。あそこではお前はすぐに脱出しようとするだろうから、お前がどう足掻いても出れない下の本拠地へ連れて行く。まあ、そこが本当の俺の住処だ。エレベーターは本拠地と地上を繋げる転移装置だとでも思っておけ」
知れず舌打ちする。魔力? 転移装置? ふざけているとしか思えない。
「ふざけるな。体もろとも今すぐオレを元に戻せ!」
「せっかく得た嫁をこの俺が手放すとでも思っているのか? 五千年は待ったんだぞ。待ちくたびれていたところだ。後百年ほど待ってみて現れんかったら、上の世界諸共消し炭にするとこだったわ」
「五千年……?」
——こいつはさっきから何を言っている?
「お前を思う存分に可愛がった後には祝言をあげよう」
——冗談じゃない!
思考を巡らせている内にエレベーターが漸く止まる。そこは小さな灯り一つない真っ暗闇の世界で、目を凝らしても何も見えなかった。
なのに周りにはナニカの気配が蠢いていて、視認出来ないものの観察されているような視線の多さで気持ちが悪い。
——何だ……? 一体何が潜んでいる?
正宗は躊躇なく歩を進めていく。
真の闇の中で何とか道順くらいは覚えられないかと思い、碧也は神経を尖らせた。
しかし、視界が全く無い反対向きの状態ではいくつか角を曲がっている内に方向感覚が狂わせられ、把握出来なくなった。
もう五分以上は歩いている。
やっと足を止めたかと思いきや、重厚な音を響かせて扉が開いた。
入った瞬間に暖色系の明かりが次々と灯っていったが、ずっと真っ暗闇の中にいたせいで目が痛い。
「何だ……ここ」
剥き出しの岩が視界に入る。どう見ても洞穴の中にしか見えずに瞬きもせずに見つめた。
茶色や小麦色、赤土らしきものが所々混ざった岩肌が剥き出しで凹凸を描いている。3LDKの部屋の壁を全て取り払ったくらいの広さはあった。
扉も岩にしか見えない。洞穴に見立てて部屋を改装したとかの生優しいレベルじゃなかった。やたら広い洞穴そのものだ。
——何なんだよ、此処……。
治安が悪いながらも今まで暮らしていた所ではない。
視界にはキングサイズのベッドだけが異常な程にういて映っていた。
悪趣味な事に、ベッドの下から伸びた鎖には手枷と足枷がくっついていて、碧也はその中心に下ろされた。
靴を脱がされている時間を利用し、よろけた振りをして死角を作って枕の下にナイフを忍ばせる。
これだけクッションや枕が置かれていれば隠すのは容易かった。
「上の世界で最も気に入ったのがこのベッドというやつだ。実に寝心地が良い」
言葉の指す意味が先程からおかしい。正宗をジッと見つめ続けた。
「お前は一体……、何なんだ?」
その聞き方が一番的を得る。一度にいくつかの質問が出来るからだ。
一気に得体の知れない人物へとなってしまった正宗からの言葉を待つ。
「地上に突然アルファやオメガが現れるようになったのはどうしてだと思う?」
正宗は含み笑いを携えたまま、碧也の質問には答えずに逆に問いかけた。
「質問に質問で返すな」
「お前からの質問への回答にも繋がるから言ったまでだ。それとも辞めるか?」
髪の毛に触れようと伸ばされた正宗の手を叩き落とす。
「クク、毛を逆立てた猫のようだな」
「ち……っ。……そんな事、オレに分かるわけがないだろう」
生まれて二十年。生を受けた時にはもう既にバース性は存在していた。それが当たり前の世界だったので、今まで気にした事もなかった。
寧ろバース性がなかった時代が存在していたかもしれない事に驚きを隠せない。
正宗はスーツジャケットとシャツを脱ぎ捨て、ズボンのフロント部分を寛げた。
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