9 / 23
9
しおりを挟む
「な……」
何で陛下がここにいるの? と思わず言いそうになって、あわてて言葉を飲み込んだ。
「殺されるかもしれない敵国で、精霊猫と戯れる余裕があるのか。ますますおもしろい」
言いながらずかずかと近づいてきた。
やっぱりカルロスにはルカの姿が見えるらしい。
「陛下。これは、その、ちが……」
オリヴィアが動揺している間にルカはするりと手から抜け出て床に着地した。追いかけようと少し屈んで手を伸ばす。
「そこの侍女、下がれ」
カルロスの一言で、その場の空気が一瞬で重くなった。
顔を上げてマーラを見ると、彼女は初めて会ったカルロスに怯え、青い顔をしていた。全身が小さく震えて固まっている。
「下がれと言っているのが聞こえないのか?」
目の前にいる男は目にも止まらない速さで相手を瞬殺する人だ。一段低くなったカルロスの声に、オリヴィアはあわてた。
「マーラ。何か用事があったら呼ぶわ」
私は大丈夫。という意味を込めて、彼女の目を見て、にこりとほほえみかけた。
「……はい。かしこまりました」
思いが伝わったのか、固まっていたマーラはようやく動き出し、深く頭を下げてから退室した。
彼女を無事に逃がすことができて、内心ほっとしながら振り返る。
気を揉んでいるオリヴィアとは違い、カルロスのほうは威圧感を消して、対面にいるルカをひょいと抱き上げていた。
「これ、姫の精霊猫?」
「陛下! ルカを返してください」
彼が猫の首に手を回したのを見て、オリヴィアは思わず駆け寄った。
「……何、その反応。別に殺したりしないよ」
カルロスは眉尻を下げて笑っているが、信用できないと思った。
「精霊猫のルカは友だちです。私の飼い猫ではありません」
「ふーん、友だちね」
カルロスとルカが見つめ合っている。その様子をオリヴィアは、はらはらしながら見守る。
「きみの精霊猫じゃないのなら、別に返さなくてもいいよね?」
「戯れていた私が言うのもはばかれますが、猫は束縛を嫌います。精霊獣でもそうです。どうか、自由にしてあげてください」
「自由か、どうしようかな」
なんだがルカを人質に、いいように翻弄されているみたいだった。
「姫君。俺を睨んでも無駄だよ。怖くない。むしろかわいい、かな」
カルロスは、「もっといじわるしたくなる」と、口角を上げた。
オリヴィアは目を見開いた。その反応がおもしろかったのかカルロスはくすっと笑った。
「どうぞ」と言いながら手を伸ばしてルカを差し出してきた。
「ありがとうございま……、」
受け取ろうと手を差し出した瞬間、ルカはするりとまた手から逃れて床へ逃げ落ちた。急いでしゃがんだが捕まえられなかった。動きは素早く、寝台の下へ潜り込んでしまった。
「ははっ。残念、逃げられたね」
寝台の下を覗き手を伸ばしていたオリヴィアが顔を上げると、カルロスもしゃがんでいた。にこにこ笑顔を向けられている。
「きみも、俺から逃げてみたら?」
オリヴィアの後ろは寝台だ。ちらりと視線を彼の背後に向ける。ドアまでは遠く、逃げ切れるとは思えない。
「どうして逃げる必要があるんですか?」
「ん? つまり、逃げないってこと?」
カルロスの手が伸びてくる。オリヴィアは警戒して思わず肩を竦めた。
「逃げたそうに見えるよ?」
――大型獣に遊ばれている気分。
彼は、獲物が弱るまでいたぶるネコ科の動物みたいだ。
「陛下は私と戯れたいようですね。お暇なのでしょうか?」
精いっぱい強がって、笑みを添えて言い返した。
「いや、暇じゃない。だけどね、自ら迷い込んできた猫が気になってしかたがないんだ。だからここにいる」
「ご冗談がお上手ですね」
「冗談なんかじゃないよ。だから認めよう。きみと戯れたい」
オリヴィアの発言は不敬だといって、その場で殺されてもしかたがないものなのに、カルロスは怒るどころか喜んでいる。
――この人、普通じゃない。何を考えてるのか読めない。
「今、俺のこと、変なやつだと思っただろう」
言い当てられて内心どきっとした。
「よく言われる。俺からしたら、みんなが真面目でつまらないんだけどね」
「つまり、陛下は不真面目ということですね」
「政にユーモアは大事だろ? わくわくしないと誰もついてこない」
驚きのあまり、開いた口が塞がらなくなった。
オリヴィアは国を治める王は兄と、先代である父王しか知らない。ふたりともとても実直で、ふざけるのが嫌いな真面目な人だった。
カルロスは兄たちとタイプが真逆だ。
――ここまで考え方が違う相手は初めて。だから戦争を回避できなかったし、ミディルは負けたんだわ。
「俺が何を考えているか知りたい?」
「ええ。興味深いです」
――仲良くはなりたくないし、なれないけれど。
彼の性格や思考パターンを知ることが目的で、ここまできた。どんな些細なことでもいい、彼をわかりたい。
「本当に? 露骨な反発と、警戒心むき出しの猫に見えるよ」
「……未来の夫ですもの。知りたいに決まっています」
「きみ、いいね。おもしろい」
オリヴィアは何もおもしろくないし、おもしろくしようともしていない。困惑していると、カルロスは立ち上がった。
「とりあえず、床じゃないところに座ろうか。精霊猫もそのうち警戒を解いて寝台の下から出てくるだろう」
「ルカと、私に指一本触れないと約束してくれますか?」
カルロスはにっと笑って「善処しよう」と答えた。
テーブル席に移動すると、皇帝であるカルロス自らが、オリヴィアのために椅子を引いてくれた。
「姫、どうぞ」
紳士的な彼に、オリヴィアはぎょっとした。
「お、畏れ多いです」
「我が未来の妻に、敬意を示すのはあたりまえだろう?」
「……ありがとう、ございます」
オリヴィアは動揺しながらも椅子に座った。
着席したのにカルロスはオリヴィアのそばから離れない。戸惑いながら顔を上げると、目が合った瞬間、彼は片ひざをついた。
「陛下?」
本気で彼の行動が読めない。
動揺するオリヴィアと違ってカルロスは余裕の笑みを浮かべている。
「先ほどの非礼を謝りたいんだ」
「非礼って、どの非礼ですか?」
心当たりが多すぎてわからない。つい本音を零してしまった。
カルロスはふっと吹き出すように笑った。
「……失礼。そうだね、全部謝りたいが、一番謝らなければならないのは、きみに剣を向けたことかな」
二度とも初対面で剣を突きつけられた。彼はすぐに剣を振りまわす人だと、オリヴィアは認識していた。
この人にも謝るという常識があるんだと、少し意外だった。
「謝らなくてもいいです。あなたはきっと、必要あればまた次も躊躇なく私に剣を突きつけるでしょう?」
カルロスは一瞬目を見開いたあと、意味ありげに細めた。
「次、きみに剣を突きつける事態が起こらないことを願う」
立ち上がったカルロスは、テーブルを挟んで真向かいではなく、オリヴィアに対して直角に座った。
テーブルに肘をつき、じっとこちらを見ている。
――観察、されている……。
宿敵とテーブルを挟んでじろじろと見られるのは、はっきり言って気持ちのいいものではない。
馬車移動と緊張で今日はいつも以上に疲れている。正直今すぐ寝台に倒れ込んで、ゆっくりと休みたい。
けれど、これは早期にやってきたチャンスだと、自分に言い聞かせた。
――どう切り出したらいいかしら?
前回殺された恐怖や恨みがそう簡単には消えてくれない。媚を売ったり、従って気に入られて探りを入れたほうが楽なのに、そうしたくないのだ。
「こうしてみると、ウエル王に似ているね」
話しかけられて、逸らしていた視線を彼に戻した。
何で陛下がここにいるの? と思わず言いそうになって、あわてて言葉を飲み込んだ。
「殺されるかもしれない敵国で、精霊猫と戯れる余裕があるのか。ますますおもしろい」
言いながらずかずかと近づいてきた。
やっぱりカルロスにはルカの姿が見えるらしい。
「陛下。これは、その、ちが……」
オリヴィアが動揺している間にルカはするりと手から抜け出て床に着地した。追いかけようと少し屈んで手を伸ばす。
「そこの侍女、下がれ」
カルロスの一言で、その場の空気が一瞬で重くなった。
顔を上げてマーラを見ると、彼女は初めて会ったカルロスに怯え、青い顔をしていた。全身が小さく震えて固まっている。
「下がれと言っているのが聞こえないのか?」
目の前にいる男は目にも止まらない速さで相手を瞬殺する人だ。一段低くなったカルロスの声に、オリヴィアはあわてた。
「マーラ。何か用事があったら呼ぶわ」
私は大丈夫。という意味を込めて、彼女の目を見て、にこりとほほえみかけた。
「……はい。かしこまりました」
思いが伝わったのか、固まっていたマーラはようやく動き出し、深く頭を下げてから退室した。
彼女を無事に逃がすことができて、内心ほっとしながら振り返る。
気を揉んでいるオリヴィアとは違い、カルロスのほうは威圧感を消して、対面にいるルカをひょいと抱き上げていた。
「これ、姫の精霊猫?」
「陛下! ルカを返してください」
彼が猫の首に手を回したのを見て、オリヴィアは思わず駆け寄った。
「……何、その反応。別に殺したりしないよ」
カルロスは眉尻を下げて笑っているが、信用できないと思った。
「精霊猫のルカは友だちです。私の飼い猫ではありません」
「ふーん、友だちね」
カルロスとルカが見つめ合っている。その様子をオリヴィアは、はらはらしながら見守る。
「きみの精霊猫じゃないのなら、別に返さなくてもいいよね?」
「戯れていた私が言うのもはばかれますが、猫は束縛を嫌います。精霊獣でもそうです。どうか、自由にしてあげてください」
「自由か、どうしようかな」
なんだがルカを人質に、いいように翻弄されているみたいだった。
「姫君。俺を睨んでも無駄だよ。怖くない。むしろかわいい、かな」
カルロスは、「もっといじわるしたくなる」と、口角を上げた。
オリヴィアは目を見開いた。その反応がおもしろかったのかカルロスはくすっと笑った。
「どうぞ」と言いながら手を伸ばしてルカを差し出してきた。
「ありがとうございま……、」
受け取ろうと手を差し出した瞬間、ルカはするりとまた手から逃れて床へ逃げ落ちた。急いでしゃがんだが捕まえられなかった。動きは素早く、寝台の下へ潜り込んでしまった。
「ははっ。残念、逃げられたね」
寝台の下を覗き手を伸ばしていたオリヴィアが顔を上げると、カルロスもしゃがんでいた。にこにこ笑顔を向けられている。
「きみも、俺から逃げてみたら?」
オリヴィアの後ろは寝台だ。ちらりと視線を彼の背後に向ける。ドアまでは遠く、逃げ切れるとは思えない。
「どうして逃げる必要があるんですか?」
「ん? つまり、逃げないってこと?」
カルロスの手が伸びてくる。オリヴィアは警戒して思わず肩を竦めた。
「逃げたそうに見えるよ?」
――大型獣に遊ばれている気分。
彼は、獲物が弱るまでいたぶるネコ科の動物みたいだ。
「陛下は私と戯れたいようですね。お暇なのでしょうか?」
精いっぱい強がって、笑みを添えて言い返した。
「いや、暇じゃない。だけどね、自ら迷い込んできた猫が気になってしかたがないんだ。だからここにいる」
「ご冗談がお上手ですね」
「冗談なんかじゃないよ。だから認めよう。きみと戯れたい」
オリヴィアの発言は不敬だといって、その場で殺されてもしかたがないものなのに、カルロスは怒るどころか喜んでいる。
――この人、普通じゃない。何を考えてるのか読めない。
「今、俺のこと、変なやつだと思っただろう」
言い当てられて内心どきっとした。
「よく言われる。俺からしたら、みんなが真面目でつまらないんだけどね」
「つまり、陛下は不真面目ということですね」
「政にユーモアは大事だろ? わくわくしないと誰もついてこない」
驚きのあまり、開いた口が塞がらなくなった。
オリヴィアは国を治める王は兄と、先代である父王しか知らない。ふたりともとても実直で、ふざけるのが嫌いな真面目な人だった。
カルロスは兄たちとタイプが真逆だ。
――ここまで考え方が違う相手は初めて。だから戦争を回避できなかったし、ミディルは負けたんだわ。
「俺が何を考えているか知りたい?」
「ええ。興味深いです」
――仲良くはなりたくないし、なれないけれど。
彼の性格や思考パターンを知ることが目的で、ここまできた。どんな些細なことでもいい、彼をわかりたい。
「本当に? 露骨な反発と、警戒心むき出しの猫に見えるよ」
「……未来の夫ですもの。知りたいに決まっています」
「きみ、いいね。おもしろい」
オリヴィアは何もおもしろくないし、おもしろくしようともしていない。困惑していると、カルロスは立ち上がった。
「とりあえず、床じゃないところに座ろうか。精霊猫もそのうち警戒を解いて寝台の下から出てくるだろう」
「ルカと、私に指一本触れないと約束してくれますか?」
カルロスはにっと笑って「善処しよう」と答えた。
テーブル席に移動すると、皇帝であるカルロス自らが、オリヴィアのために椅子を引いてくれた。
「姫、どうぞ」
紳士的な彼に、オリヴィアはぎょっとした。
「お、畏れ多いです」
「我が未来の妻に、敬意を示すのはあたりまえだろう?」
「……ありがとう、ございます」
オリヴィアは動揺しながらも椅子に座った。
着席したのにカルロスはオリヴィアのそばから離れない。戸惑いながら顔を上げると、目が合った瞬間、彼は片ひざをついた。
「陛下?」
本気で彼の行動が読めない。
動揺するオリヴィアと違ってカルロスは余裕の笑みを浮かべている。
「先ほどの非礼を謝りたいんだ」
「非礼って、どの非礼ですか?」
心当たりが多すぎてわからない。つい本音を零してしまった。
カルロスはふっと吹き出すように笑った。
「……失礼。そうだね、全部謝りたいが、一番謝らなければならないのは、きみに剣を向けたことかな」
二度とも初対面で剣を突きつけられた。彼はすぐに剣を振りまわす人だと、オリヴィアは認識していた。
この人にも謝るという常識があるんだと、少し意外だった。
「謝らなくてもいいです。あなたはきっと、必要あればまた次も躊躇なく私に剣を突きつけるでしょう?」
カルロスは一瞬目を見開いたあと、意味ありげに細めた。
「次、きみに剣を突きつける事態が起こらないことを願う」
立ち上がったカルロスは、テーブルを挟んで真向かいではなく、オリヴィアに対して直角に座った。
テーブルに肘をつき、じっとこちらを見ている。
――観察、されている……。
宿敵とテーブルを挟んでじろじろと見られるのは、はっきり言って気持ちのいいものではない。
馬車移動と緊張で今日はいつも以上に疲れている。正直今すぐ寝台に倒れ込んで、ゆっくりと休みたい。
けれど、これは早期にやってきたチャンスだと、自分に言い聞かせた。
――どう切り出したらいいかしら?
前回殺された恐怖や恨みがそう簡単には消えてくれない。媚を売ったり、従って気に入られて探りを入れたほうが楽なのに、そうしたくないのだ。
「こうしてみると、ウエル王に似ているね」
話しかけられて、逸らしていた視線を彼に戻した。
応援ありがとうございます!
1
お気に入りに追加
30
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる