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三、日暮れて客遠し 三
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家名を復活させる機会も、あるにはあった。
茶家見川の埋めたてから十三年後。明和の大火が起きた。旧茶家見川流域は現場の風上にあったので、被害は免れたかに思えた。しかし、鎮火してから数日して、突然の出火で数十人の犠牲者を出してしまう。はっきりした原因はわからず、大火の残り火による突発事故という結論で検分は終わった。
そこから、茶家見川の存在意義が再検討され、大火から二年後……現在からすれば十年前に『再生』される運びとなったのである。
しかし、一度消滅した川が復活したからといって、失われた職務まで思いどおりになるとは限らない。復活した茶家見川の川舟改役は、櫛田家とまったく無関係な武士に割り当てられてしまった。
「それは嬉しい。もっとも、とうに関係ない立場だ」
龍左衛門は、腕組みしつつ天井を仰いだ。河童が舟に鯉を投げこんだのも、彼が『流れ左衛門』となったのも、茶家見川とかかわりがある。立場を無視していいなら、いっそ溢れんばかりの複雑な思いをぶちまけたい。
「それではどうして、櫛田様は生死にかかわると仰せなのです」
おふみが、話を戻した。龍左衛門は黙っている。
「私には、家が決めた結婚相手とは別に、想いを寄せた殿方がいた。相手からも、それと心が通じていた」
武家屋敷でなら、口が裂けても表に出来ない台詞を、堂々と『客』こと櫛田は放った。だからやたらに霧が出たのか、などと龍左衛門は心の中で皮肉混じりな冗談を思いつき、上辺は無言無表情を装っている。
「しかし、殺された」
「殺された……誰に」
おふみは目を丸くした。
「婿養子先。武州金沢藩米倉家の末席家老、桐塚 重斎」
武州金沢藩とは、武蔵にある金沢を意味する。北陸のそれではない。
「ま、まさか、あなた様お一人で仇討ちを……。いえ、それ以前に、どうして殺されることに……」
おふみでなくとも同じ答えを返すだろう。もっとも、龍左衛門には若干異なる気持ちも湧いていた。
彼の両親は、茶家見川の増水で死んだ。ある意味では、川に殺された。殺された、という櫛田の言葉が、流されていく両親の顔を嫌でも思いださせた。
「順を追って話す。その殿方は、婿養子にいったあとも、私を忘れられなかった。もちろん、私もだ。そんな私にも、自分の親から縁談がきた。そこで忍耐の限界がきた。その殿方と、日を決めて駆けおちする手はずだった」
記憶とは無関係に、次から次へと絶句させられる。
「詳細は分からないままだが、計画が先方に漏れた。怒った桐塚は殿方をお手討ちにした。私のことは、一言も漏らされてない。密かに送られてきた殿方からの手紙で、私は失敗を知った。蛇足だが、手紙には殿方が貯えたお金もあった。十両あったが、不浄なお金でないとも明言されている」
「十両……」
おふみは、開いた口をどうにか開閉して、ようやく繰り返した。龍左衛門からすれば、まるまる半年分の収入になろうか。
清貧を地でいくような格好と言動からすれば、大いに噛みあわない金額。龍左衛門は、強い危うさを感じている。
彼女は銭の使い方を……少なくともおふみのような形では……知らないのだろう。だからこそ、十両という金額を馬鹿正直に伝えたのだ。淡々と語る櫛田の表情には、悲哀も悔しさも浮かんでない。むしろ龍左衛門の方が、やきもきしつつあった。
「私は家をでて、桐塚の動静を探った。まさに今日、宵五つ(午後八時頃)に、この川の一番下流にある船着場にお忍びでやってくる。桐塚は、岡場所に入りびたっているそうだ」
櫛田は、念入りに侮蔑をこめて吐きすてた。
舟を使う人間は、ある程度以上、金回りがいい。家老ともなればなおさら。にもかかわらず、桐塚の噂は龍左衛門の耳に入ってない。いささかの違和感を覚えはしたものの、ここで口にする話ではない。
「それで、どうして私どもなのです」
おふみが、重要な質問を差しこんだ。
「ここは茶家見川の最上流にある船着場だ。ここを含めて、最後まで、五つの船着場がある。一つ一つに、上がっては線香を上げたい。そのくらいの時間はあるだろう。夜になるから人目にもつかない」
おふみとそろって首をひねった。訳がわからない。
「お線香を上げるとおっしゃいましたが、ご先祖様のご供養でもなさるのですか」
おふみは、さらに踏みこんだ。
「私は、もう家を捨てた。離縁状も置いてきた。ただ、家よりもむしろ、櫛田家という血そのものを断ちきる必要がある。だから、お願いし申す」
武家の揉めごとに首を突っこむなど、ただでさえ建てなおしに追われる舟宿の事情からすると愚の骨頂というほかない。と、いいたいところだが、櫛田の冷静極まる表情がかえって放っておけないものを感じさせた。
先祖。ご供養。そして、血。武家が血眼になる三大要素。祥月命日を意識して、河童との相撲を断った龍左衛門だが、彼ら……いや、櫛田ほどこだわったことはない。まして仇討ちとはまるで無縁な人生だ。
仇討ちは武士の名誉というが、聞いた限りでは、逆恨みだと主張されて終わりだ。櫛田家にしても、離縁状一枚でどうにかなるほど甘いものではない。
「お気持ちは分からなくもございませんが……どうして、いちいちお線香を上げねばならないのですか」
「船着き場は、川と陸の接点だ。家を捨てるからには、川舟改役の一族だった過去を完全に断ちきりたい。幸か不幸か、どのみち五つしか船着き場が残ってないなら、それほど時間もかかるまい」
「ご自分で、歩いてなされば良いではありませんか」
「舟で一つ一つ回るということ自体に意義がある」
彼女の説明には、相変わらず淀みがない。悪意がないのは明白だが、それだけに、世間の何たるかが……そう表現してまずければ、他人の事情の何たるかが……まるで理解できてないのも明確だった。緻密な段取りをたてている……であろう……反面、ひどくもろい。
「お言葉を返すようで大変恐縮でございますが、家を捨てられるのでしたら、そこまで血筋にこだわることもないでしょうに」
そこは、龍左衛門も同感だった。舟を出す出さないはまだしも。
仮に櫛田の志を実行するなら、のんびり線香を焚くのは馬鹿げている。
「血筋に、というより川にこだわっているのは父の方だ。現に、私を櫛田家再興の道具として、縁談を押しつけてきた。それを清算せずして私に明日はない。川と血がもたらす因縁を、名実ともに断ち切らねば気がすまない」
「おっしゃりようは分からなくもありませんが、心の中でそう思っていればいいじゃありませんか」
龍左衛門は、どうしても一言踏みこまざるを得なかった。櫛田のいいぐさだと、何やら茶家見川の悪口を聞いているような気にもなる。
「幼稚なわがままと受けとられるのは、百も承知している。だからこその三両だ」
「失礼ですが、いつ家を出られましたか」
おふみは、歴戦の女将らしく、攻め口を少し変えた。
「その……少し前に」
いきなりずぼらな話になってしまった。これには、さすがのおふみも毒気を抜かれた。
一番簡単なのは、説得して元の家に帰すことだ。幸か不幸か、おふみに頼まれれば先方まで使い走りになるのもやぶさかではない。
しかし、わざわざ線香を上げるなどというところからして、後追い心中まで意識している可能性もある。強硬に突っぱねると、この場で懐剣を抜いて自分の喉を突きかねない。そうなったが最後、この船宿はおしまいだ。
「家を出てからここに来られるまで、どこにいらっしゃったんですか」
「近所の潰れた神社」
ピンと来た。
茶家見川の埋めたてから十三年後。明和の大火が起きた。旧茶家見川流域は現場の風上にあったので、被害は免れたかに思えた。しかし、鎮火してから数日して、突然の出火で数十人の犠牲者を出してしまう。はっきりした原因はわからず、大火の残り火による突発事故という結論で検分は終わった。
そこから、茶家見川の存在意義が再検討され、大火から二年後……現在からすれば十年前に『再生』される運びとなったのである。
しかし、一度消滅した川が復活したからといって、失われた職務まで思いどおりになるとは限らない。復活した茶家見川の川舟改役は、櫛田家とまったく無関係な武士に割り当てられてしまった。
「それは嬉しい。もっとも、とうに関係ない立場だ」
龍左衛門は、腕組みしつつ天井を仰いだ。河童が舟に鯉を投げこんだのも、彼が『流れ左衛門』となったのも、茶家見川とかかわりがある。立場を無視していいなら、いっそ溢れんばかりの複雑な思いをぶちまけたい。
「それではどうして、櫛田様は生死にかかわると仰せなのです」
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「私には、家が決めた結婚相手とは別に、想いを寄せた殿方がいた。相手からも、それと心が通じていた」
武家屋敷でなら、口が裂けても表に出来ない台詞を、堂々と『客』こと櫛田は放った。だからやたらに霧が出たのか、などと龍左衛門は心の中で皮肉混じりな冗談を思いつき、上辺は無言無表情を装っている。
「しかし、殺された」
「殺された……誰に」
おふみは目を丸くした。
「婿養子先。武州金沢藩米倉家の末席家老、桐塚 重斎」
武州金沢藩とは、武蔵にある金沢を意味する。北陸のそれではない。
「ま、まさか、あなた様お一人で仇討ちを……。いえ、それ以前に、どうして殺されることに……」
おふみでなくとも同じ答えを返すだろう。もっとも、龍左衛門には若干異なる気持ちも湧いていた。
彼の両親は、茶家見川の増水で死んだ。ある意味では、川に殺された。殺された、という櫛田の言葉が、流されていく両親の顔を嫌でも思いださせた。
「順を追って話す。その殿方は、婿養子にいったあとも、私を忘れられなかった。もちろん、私もだ。そんな私にも、自分の親から縁談がきた。そこで忍耐の限界がきた。その殿方と、日を決めて駆けおちする手はずだった」
記憶とは無関係に、次から次へと絶句させられる。
「詳細は分からないままだが、計画が先方に漏れた。怒った桐塚は殿方をお手討ちにした。私のことは、一言も漏らされてない。密かに送られてきた殿方からの手紙で、私は失敗を知った。蛇足だが、手紙には殿方が貯えたお金もあった。十両あったが、不浄なお金でないとも明言されている」
「十両……」
おふみは、開いた口をどうにか開閉して、ようやく繰り返した。龍左衛門からすれば、まるまる半年分の収入になろうか。
清貧を地でいくような格好と言動からすれば、大いに噛みあわない金額。龍左衛門は、強い危うさを感じている。
彼女は銭の使い方を……少なくともおふみのような形では……知らないのだろう。だからこそ、十両という金額を馬鹿正直に伝えたのだ。淡々と語る櫛田の表情には、悲哀も悔しさも浮かんでない。むしろ龍左衛門の方が、やきもきしつつあった。
「私は家をでて、桐塚の動静を探った。まさに今日、宵五つ(午後八時頃)に、この川の一番下流にある船着場にお忍びでやってくる。桐塚は、岡場所に入りびたっているそうだ」
櫛田は、念入りに侮蔑をこめて吐きすてた。
舟を使う人間は、ある程度以上、金回りがいい。家老ともなればなおさら。にもかかわらず、桐塚の噂は龍左衛門の耳に入ってない。いささかの違和感を覚えはしたものの、ここで口にする話ではない。
「それで、どうして私どもなのです」
おふみが、重要な質問を差しこんだ。
「ここは茶家見川の最上流にある船着場だ。ここを含めて、最後まで、五つの船着場がある。一つ一つに、上がっては線香を上げたい。そのくらいの時間はあるだろう。夜になるから人目にもつかない」
おふみとそろって首をひねった。訳がわからない。
「お線香を上げるとおっしゃいましたが、ご先祖様のご供養でもなさるのですか」
おふみは、さらに踏みこんだ。
「私は、もう家を捨てた。離縁状も置いてきた。ただ、家よりもむしろ、櫛田家という血そのものを断ちきる必要がある。だから、お願いし申す」
武家の揉めごとに首を突っこむなど、ただでさえ建てなおしに追われる舟宿の事情からすると愚の骨頂というほかない。と、いいたいところだが、櫛田の冷静極まる表情がかえって放っておけないものを感じさせた。
先祖。ご供養。そして、血。武家が血眼になる三大要素。祥月命日を意識して、河童との相撲を断った龍左衛門だが、彼ら……いや、櫛田ほどこだわったことはない。まして仇討ちとはまるで無縁な人生だ。
仇討ちは武士の名誉というが、聞いた限りでは、逆恨みだと主張されて終わりだ。櫛田家にしても、離縁状一枚でどうにかなるほど甘いものではない。
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「船着き場は、川と陸の接点だ。家を捨てるからには、川舟改役の一族だった過去を完全に断ちきりたい。幸か不幸か、どのみち五つしか船着き場が残ってないなら、それほど時間もかかるまい」
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そこは、龍左衛門も同感だった。舟を出す出さないはまだしも。
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「失礼ですが、いつ家を出られましたか」
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「その……少し前に」
いきなりずぼらな話になってしまった。これには、さすがのおふみも毒気を抜かれた。
一番簡単なのは、説得して元の家に帰すことだ。幸か不幸か、おふみに頼まれれば先方まで使い走りになるのもやぶさかではない。
しかし、わざわざ線香を上げるなどというところからして、後追い心中まで意識している可能性もある。強硬に突っぱねると、この場で懐剣を抜いて自分の喉を突きかねない。そうなったが最後、この船宿はおしまいだ。
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