霧にさおさしあやかしつく夜(完結)

堅他不願@お江戸あやかし賞受賞

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十七、岩に柔肌 五

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 龍左衛門は、磯女の語る話を聞くにつけ、猛烈な勢いで頭を働かせた。

 そもそも、大鮫のことは河童や鐙口も知らなかった。人間の魂を集めているというが、それも磯女から聞くまで知られてない。

 磯女にもたらしたやり口からしても、よほど狡猾で残忍なあやかしなのだろう。

「俺の両親は、本当に『茶家見川大鮫縁起』を手にしたのか」
「分からない。ただ、あたしの術は、相手の記憶を種に発揮する。その意味で、お前がありもしない本に行きついたとは思えない」

 ならば、自分にも直接かかわる。正確には、川の主が、自分にも近山にも櫛田にも結びついているのが明らかになった。

 本来なら、龍左衛門は船頭として、ただ櫛田を運べば良かった。櫛田の一途さと、あやかしを知る者同士としての親しみからして、通り一遍の建前は怪しくなっていた。

 桐塚は、川の主について、まだ何も知らないはずだ。知っていれば、忍び宿より優先して手に入れようとするのは間違いない。

 近山が生きていたら、櫛田は桐塚に仇討ちする理由がない。つまり、順番として、近山の生死を改めてはっきりさせねばならなくなった。

「近山様は、他のあやかしと会ったのか」
「そんなことをちらっと口にしたな」
「いつ、どこで」
「あたしと会った日に、十日ほど前だったか、その日の内に一つ一つの船着き場を回って似たような取引きをするとか何とか」
「近山様は、歩いてここに来たのか」
「ああ、そうだよ」

 近山が、武州金沢藩からここに来たなら、茶家見川をさかのぼる形になる。しかし、自分やおふみはもちろん、小豆とぎも近山を知らなかった。つまり、近山の足跡はここで途切れる可能性が高い。

 同時に、近山は磯女に忍び宿の話もしている。ならば、ここの忍び宿に潜伏している可能性もある。

「お前、いろいろ喋ったが、一つでも嘘があると容赦しないぞ」

 龍左衛門は、しめくくりとして釘を刺した。

「どうせあたしはしくじった。川の主からは捨てられたろうし、こんな体たらくで逃げも隠れもできやしない。だから、嘘をついても意味がない」
「ふん。俺や櫛田様の嫌な思い出をつつき回しといて良くいうぜ。櫛田様、長々と申し訳なかったです」
「ああ」

 龍左衛門が脇に退くと、櫛田が代わりに入った。脇差を抜いたまま。

 斬れば血が出る……のではないが、傷ついて苦しむのは実証されている。さすがに、首を跳ねれば死ぬだろう。

 磯女が磯女になってしまった境遇は……本人の説明を信じるなら……同情の余地はある。が、自分達にやったことは許しがたい。

 だというのに、龍左衛門はハラハラしながら二人を見守っている。左右冠者も河童も、固唾を飲んでいた。

 一度は上げかけた切っ先を、櫛田は降ろし、鞘に収めた。

「もういい。血判状を置いて、どこにでも行け」

 冷たくはあるが、寛大な判断でもあった。

「え……」
「お前の話から、かなり詳しいことが分かった。それに、大した力は残っていないだろう。川の主が、二度もお前に機会を与えるとは思えない」

 磯女のようなやり方は、一度破られたら終わりだ。強力なようでいて、浅く脆い。

 脆いといえば、鯉志に来たばかりの櫛田にも似たような危うさがあった。今や、脆いどころか分厚い度量を備えつつある。ほんのわずかな時間でこうなるとは、予想だにしなかった。

「どうした。まだやるつもりか」
「いや……もう充分」

 磯女は、懐から箱を出した。最初に手に入れた血判状の入れ物と同じだ。いわれなくとも血判状があるのは想像できる。

 磯女は、箱を残し、両手で桟橋を這っていった。煙だった下半身はとうに消えており、どこへ行くにもそうするしかない。

 龍左衛門達が見守っていると、磯女は桟橋と岸の境目から、川に落ちた。人間が落ちたのと同じような音がして、波飛沫が散ったのも束の間、すぐに浮かびあがる。なくなった下半身の代わりに、無数のしゃれこうべが積みかさなっていた。

 磯女は、岸を固める石積みにもたれた。胸元から、灰色の……ところどころ、干からびた青黒い藻のついた……しゃれこうべを一個出して両手で包む。

「ようやく許す気になれたよ」

 磯女は、自分の出したしゃれこうべに語りかけた。すると、彼女も、足元のしゃれこうべも、あっという間に灰黒色の岩になってしまった。水面からは、人の頭二つ分くらいな大きさが出ている。事情を知らない者からは、ただの岩としか思われないだろう。

「私の想いを、私利私欲から歪めて用いたのは、八つ裂きにしたいくらい腹がたつ。さりとて、男に裏切られて自害に追いつめられ、あやかしとなってからは川の主に操られていたのは哀れに思う」

 櫛田は、磯女だった岩を見据えていった。

「俺も、自分の両親をネタにされて、むちゃくちゃに腹がたちました。でも、こいつを煮ろうが焼こうが、問題の根っこを突きつめたことにはならないんですよね」

 龍左衛門も、磯女への複雑な心境を口にした。

「お二人とも邪魔して悪いんだけど、どうにかして甲羅を直せないかな」

 河童が、まるで噛みあわない希望を持ちだした。龍左衛門は苦笑しかけたものの、彼のお陰で命拾いしたこともあり、無視できない。

「そういえば、龍左衛門からは、まだ詳しい話を聞いてなかった」

 櫛田も、ようやく本来の目的に立ちかえったようだ。

「時間が惜しいんで、ここの忍び宿に行く道すがらとしませんか」
「うむ。忍び宿なら、使える道具が残っているかもしれん」

 右冠者も同意する。

「そうしよう。また道案内を頼む」
「かしこまりました」
「おいらは一人で歩けるよ」

 河童が龍左衛門の疑問を先回りしたのを境に、一同は次の忍び宿を目指した。

 隠し通路までの時間は、一つ前のそれとさほど変わらなかった。右冠者が説明した通り、半壊した蔵に行きつく。その間、龍左衛門は、いきさつをあらかた語りおえていた。

「そこの壁の、断面の前に立て」

 右冠者の指示に従い、龍左衛門は蔵の(北)の方角にある壁の断面を前にした。

「断面に沿って、指を滑らせろ。突起がある」
 
 すぐに見つけられた。

「それをつまんで引っぱれ」

 実行すると、意外にも軽い手応えがした。対照的に、ごろごろと重い音がして、床の中央に地下へと続く螺旋階段が現れた。

「中身はさっき入った忍び宿と変わらない」
「じゃあ、左冠者が案内しておくれ。龍左衛門達は、外で待ってた方がいいだろ」
「そうだな。龍左衛門が良ければそうしよう」
「俺も異存ないです」

 話はまとまり、河童と左冠者は階段を降りた。

「龍左衛門、あの時、良くぞ私を止めてくれた。礼をいう」

 ややあって、櫛田は龍左衛門に頭を下げた。

「い、いや、そんなことわざわざ改まっていわなくとも……」
「河童にも迷惑をかけた。いや、それをいうなら左右冠者にもか」
「おやめ下さい。わしらは、約定に沿っているだけです」
「私は、血の因縁で人を縛る、武士の在り方を最低最悪な価値観だと考えている」

 ある意味で、公儀に逆らうよりも、はるかに重大な過激思想だった。

「だからといって、庶民が自由で素晴らしいとも思えない。いや、龍左衛門達を愚弄しているのではない」
「分かってます」

 重くなってばかりの税に、何かと生活へ干渉してくる細かいお触れ。それらは武士……引いては公儀から降りてくる。

 ならいっそ、将軍にでもなればいいのか。龍左衛門は、親が商売道具として持っていた本を読んで、遠く鎌倉の執権や、室町の足利将軍が滅んだり没落したりする様子を知っている。公儀がそうならないという保証はない。

 もっとも、龍左衛門にとって、頭を悩ませるほどのものではなかった。わずらわしくはあっても、大なり小なり世間の全員が向きあっていることだろう。

 櫛田にしても、個人的に自分の境遇をどうにかしたいと思っているだけで、世直しやら謀反やらをするつもりがないのは明確だ。

 そんなことより、日々の生活がある。少なくとも、庶民は働かねば飢え死にする。

「その癖、左右冠者のように、祖先の約定を律儀に守ってくれたあやかしのお陰で助けられてもいる。近山様が生きているにせよ死んでいるにせよ、ゆっくり考える時間が欲しい。桐塚と対決して、生還できればの話だが」
「櫛田様ほどしっかりした方なら、大丈夫ですよ」

 龍左衛門は、心からそう答えた。

「血といえば……私の父も、桐塚の陰謀を食いとめていた」
「はい」
「家名にばかりこだわって、人の気持ちを理解しない男かと思っていた。多分、私が家出したところで、反対側の性格にはならないだろう。それでも、私にできなかった……というより、思いもしなかったことを成しとげていた。祖先が遺した品を用いて」
「……」
「血の因縁とは、人に有害なのか有益なのか」

 龍左衛門が答えるより早く、螺旋階段から左冠者が現れた。珍しくも息を切らしている。
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