霧にさおさしあやかしつく夜(完結)

堅他不願@お江戸あやかし賞受賞

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三十二、最後の風魔 四

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「わ、わしとて風魔衆に……」
「黙っていろ」

 櫛田が、桐塚のうなじに当て身を打った。ずるずると、だらしなく桐塚は倒れた。

「近山様」

 もう遮るものはない。櫛田は、近山へと駆けつけた。左右冠者は、気を利かせて自分達から外れた。そうして近山もまた、両手を広げ、彼女を抱きとめた。

「ち、近山様こそ……死んだだなんて嘘を……」
「すまない。どうしても、ああせざるを得なかった。それに、まだ片づけるべき問題が残っている」

 ゆっくりと、近山は櫛田を離した。

「そこにいる人は、龍左衛門だね」
「えっ。どうしてご存知で」
「君らが出発した少し後、私は鯉志に行ったんだ。一足違いだったよ」
「一足違い……」

 にわかには話を飲みこめず、龍左衛門は首を傾げた。一方で、どうやら自分の推察が誤ってないようだと理解出来て、安心した。

「左右冠者と桐塚がいるということは、もう血判状も川の主も知っているようだ」

 近山は、全員というよりは龍左衛門個人に尋ねた。

「ええ。そりゃあ、もう」

 ただの川下りが、命のやり取りを何度も体験する破目になった。

「私は、風魔衆をわざと焚きつけ、四人組の中だけで同士討ちするように仕向けたかったんだ。その過程で、風魔衆の里が壊滅したのは、私の不手際だ」

 簡潔に、かつ自発的に、近山は認めた。血迷った四人組が、同胞を皆殺しにするとは、さすがの近山も予想出来なかった。少なくとも龍左衛門は、責めるつもりはない。責められるとしたら、桐塚と死んだ四人組だろう。

「ともかく、血判状はあやかしに保全を頼んだところもあれば、一時的に四人組の手に渡らせるところもあった。私が一枚一枚集めるのは大変だし」
「赤口みたいな奴も、近山様が頼んだんですか」
「いいや。赤口が出たということ自体、初耳だ」
「川沿いの霧は、良いあやかしも悪いあやかしも呼びよせますからな」

 右冠者が補った。

「その、霧って奴は……」
「龍左衛門。まさに、私が懸念したところだ。霧は、川の主が起こした」
「ええっ」
「もちろん、わしらは、約定に基づき霧があろうとなかろうと櫛田様をお助けした」
「当然じゃ」

 左右冠者が、そこは妥協できないといわんばかりに合いの手を入れた。

「おいらも。いや、暇潰しだったけど」

 河童も、主の意向に右左されているとは思われたくないだろう。

「良く分かっているとも。さておき、私の策で、風魔衆四人組が血判状を探しはじめた。それに、主が反応した。主からすれば、善良なあやかしだろうと邪悪なあやかしだろうと構わない。とにかく風魔衆とぶつかって、恨みや敵意を重ねてくれたらいい」
「それならそれで、せめて磯女には話を通しておいて欲しかったですねぇ」

 両親の幻覚が心によみがえり、つい龍左衛門は恨み節になってしまった。

「すまない。あの段階では、君らがそこまで首を突っこむとは考えてなかった」
「磯女もそうですが、小豆とぎも哀しいあやかしでしたよ」
「小豆とぎ……。そうだ、この際、君らのいきさつも知っておこう」
「ええ、もちろん」

 龍左衛門は、近山にここまでの筋道を明かした。

「そうか……。磯女も、主の誘いに耐えられなかったのか。蛇足だが、簪は誤って落とした物だ」
「でも、私を救いました」

 櫛田が力を込めて説明すると、近山も嬉しそうにうなずいた。

「それもこれも、主の力が強すぎたんですよねぇ」
「本当に、常軌を逸した化け物だ。こういっては何だが、桐塚が忍び宿にだけ熱中してくれていたお陰で助かった」

 龍左衛門に、近山はしみじみと語った。

「ふ、ふふふ……。忍び宿にだけ、か。わしも安く見積もられたものだ」

 いつの間にか、桐塚は意識を取りもどしていた。喝も入れられてないのに、不可解である。

「桐塚。何度も……」
「ふんっ」

 桐塚は、両腕に力をこめた。縄がばらばらにちぎれて床に落ちる。

「こ、こんな力……ありえない……」

 櫛田は、近山へと後ずさった。こんな芸当が出来るなら、大人しく連れてこられる理屈が立たない。

「主の誘いで人を捨てたか」

 近山は、刀を抜いた。

「人を捨てただと。馬鹿者っ。人をはるかに上回る存在となったのだ。もう幕閣などにぺこぺこしない。風魔衆もいなくなって結構」

 桐塚の身体が、本人の台詞とともに膨れあがった。

「わしは、わしこそが、海の帝。そして、日ノ本の帝。万物を統べるのだーっ」

 高らかな、誇らしげな……同時に、人間性の欠片もなくなってしまった台詞とともに、桐塚の衣服は引きさかれて床に落ちた。もはや、人間としての裸体など存在しない。熊のような足が生えた、いびつな鮫の姿に成りはてた。せっかくの銃も、二丁そろって弾丸や火薬入れごと床を滑って転がっていく。

 両腕は消滅したが、鮫の口は腹側についている。つまり、対面した相手……近山に、ギザギザの牙が並んだ大きな口を誇示する形となる。全体的な体格は、龍左衛門より少し大きいくらいだが、甘く見て良い敵でないのは明らかだ。

「精神にふさわしく、肉体も化け物になりおおせたか」

 櫛田は、顔つきも厳しく脇差を抜いた。

「通路が狭すぎる。ここはまず、私がやる。龍左衛門、奴の注意を引きつけてくれ」
「任せて下さい」

 櫛田と交代した近山が、刀を上段に振りかぶった。龍左衛門は、突進して鮫の背中に組みつこうとした。

「危ないっ」

 河童が叫んだのも束の間、鮫の背びれが短くしなり、龍左衛門はしたたか脛を叩かれた。

「ぐうーっ」

 弁慶の泣きどころを叩かれると、力士でもひるむ。

「でやーっ」

 気合いとともに、近山が刀を鮫の喉元に斬りつけた。しかし、がちんと音がして、刃は宙に止まった。

「こ、こやつ……」
「近山様の刀が鮫の口で……」

 龍左衛門からは見えないが、鮫が近山の刀に噛みついたのは明らかだった。

 龍左衛門は、痛みをこらえて立ちあがった。尻尾が襲ってくるなら尻尾を潰すのみ。あえてもう一度試みると見せかけて、尻尾が脛にやって来る瞬間、真上に飛びはねた。空振りに終わった尻尾を、着地と同時に左足で踏みつけ、ついで右足でも踏みつける。

 鮫は、悲鳴を上げた。弾みで近山の刀は自由になった。

「死ねぃっ」

 近山が、中段から突きを繰りだし、鮫の内臓をえぐろうとした。ずぶりと切っ先が食いこむ音こそしたものの、浅いままびくともしない。

「筋肉に力を入れて、無理やり刃を防いでいる」
「うわわっ」

 左冠者の説明も虚しく、尻尾が波うつようにしなって龍左衛門は後ろへ倒れてしまった。

 さらに、信じがたいことが起きた。鮫は、振りかえりもせずに、身体の前半と後半をそっくり入れかえた。床を踏みならしながら歩くことで、そのまま近山の刃を……背中側になっていたのだが……抜き、龍左衛門が起きあがる前に彼の両足を踏みつけた。

「痛ーっ」

 ぼきん、と嫌な音がした。両足の脛が折れたと、嫌でもわかる。頭から龍左衛門は倒れた。

「よくも龍左衛門を」

 河童が突進し、鮫に殴りかかった。さらに、近山も、がら空きになった鮫の背中に改めて斬りつける。

 また信じられないことが起きた。鮫は、背中と腹の両側に、同時に口と尻尾を生じさせた。河童は尻尾でぶちのめし、近山の刀はまたしてもくわえられる。さらに、鮫の牙は刀をへし折ってしまった。

 龍左衛門は両足の骨折で脱落し、河童も壁に叩きつけられ、すぐには復帰できない。近山は脇差を構えたものの、刀が効かない相手に脇差ではどうひいき目に見ても勝利は覚束ない。

「近山様、お下がりを」

 ずっと蚊帳の外だった櫛田の一言で、近山は反射的に後ろへと跳ねた。彼を押しのけるようにして、櫛田が前に出る。その両手には、桐塚が持っていた銃が握られていた。

 一切の躊躇ちゅうちょなく、櫛田はまず一発撃った。鮫の胴体を直撃したらしく、鼓膜が破れそうな悲鳴が轟く。怒りに任せたものか、鮫は櫛田へ突進しようとした。

「させるかーっ」

 両足の痛みをこらえ、龍左衛門は、腕だけで這って鮫の両足にしがみついた。鮫は、尻尾で龍左衛門の上半身を左右に乱打した。

「龍左衛門、助勢だっ」

 河童が走って来て、鮫の尻尾を両腕で抱える。怪力二人に抑えられては、さしもの鮫も思うように進めなくなった。

 好機を逃さず、櫛田は二丁めを撃った。至近距離の止まった的である。当然のごとく命中したのが、二度めの絶叫から察せられた。

 しかし、鮫はまだ暴れている。床には血溜まりが広がっているものの、衰える気配がない。

「良くやった。お千栄、合図したら、後ろから私を押してくれ」
「はいっ」

 近山は、ふたたび櫛田の前に来た。

「おおっ、銃創に切っ先を」

 左冠者が感嘆し、近山は体当たりせんばかりに脇差で鮫を刺したようだった。

「今だっ」
「はいっ」

 櫛田が、近山の背を押した。反対側では、龍左衛門と河童が頑張っている。鮫は、これまでよりはるかに多量の血を傷口から流した。断末魔を喚きながら、わずかに身体をよじったものの、進退窮まったのは確実だ。

 徐々に鮫から力が抜けていき、しまいには、壁にもたれこんだ。

「やったぞ。倒した」

 近山の宣言で、ようやく龍左衛門は河童ともども手を離した。とたんに、両足の痛みで気が遠くなりかける。

「いけねっ。龍左衛門、すぐに治してやるからな。櫛田、脇差を貸してくれよ」
「今、投げる」

 櫛田から放たれた脇差を、河童は片手で掴んだ。これまでと同じ要領で、龍左衛門の口に自分の血を含ませる。

 たちまち骨が繋がり、痛みも消えた。大きく溜め息をつき、龍左衛門は鮫の背を押しのけるようにして立ちあがった。

「皆の助勢、心より痛みいる」

 近山は、一同に最敬礼して感謝した。
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