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EP 10
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「新たなる任務」
お白洲は、時が止まったかのように静まり返っていた。
悪党二人は、腰を抜かし、焦点の合わない目で、目の前に立つ「仁王」を見上げ、意味のない呻き声を上げている。
「に、仁王……さま……」
「『真さん』が……ご、御奉行……」
蘭も、雪之丞も、同心たちも、皆、声を失っていた。
若き奉行が、背中一面に彫り物を背負う、江戸一番の「遊び人」だったという、あまりにも衝撃的な「事実」に。
その静寂を破ったのは、当の本人だった。
坂上真一(中身50歳)は、まるで任務が終わった機械のように、何の感慨も無く、はだけた着物の襟をゆっくりと戻した。
仁王の姿が、再び絹の衣の下に隠されていく。
彼は、冷え切った目で、もはや何の脅威でもない二人の悪党を見下ろした。
「雪之丞」
「は、はひぃっ!?」
雪之丞が、蛙のようにつぶれた声を出だす。
「今の『自白』。貴様の耳でも、しかと聞き届けたな」
「じ、自白……で?」
坂上は、冷たく言い放つ。
「『この背中を見た』。即ち、『昨夜、三国屋の賭場に、この大和田と三国屋が、確かに居合わせた』という動かぬ証拠だ」
あっ!と蘭が顔を上げた。
坂上の「論理(ロジック)」による「断罪」が始まった。
「第一。阿片密輸の証拠たる『台帳』」
「第二。現場に居合わせた証人、早乙女 蘭」
「そして、第三。貴様らが、今、この場で、お白洲にいる全員の前で認めた、『現場への臨場』という『自白』」
坂上は、着物の襟を直し終え、再び、完璧な「北町御奉行」の姿に戻っていた。
「……証拠(エビデンス)は、全て揃った」
彼は、段の上に座り直し、刑を宣告する。
「三国屋 惣兵衛! 民を害する阿片を密売し、暴利を貪った罪、重し! 全財産没収の上、遠島に処す!」
「大和田 備中守!」
大和田が、死人のような顔で「ひぃ」と肩を震わせる。
「貴様は、幕臣の身でありながら、己の利のために国の法を破り、同心・早乙女(蘭の父)を死に追いやった! その罪、万死に値する!」
「武士の風上にも置けぬ男よ。家禄没収、御家断絶の上、本日中の切腹を言い渡す!」
「……あ……あ……」
大和田は、声もなく崩れ落ちた。
蘭は、その裁きを、震えながら聞いていた。
父の無念が、晴らされた。
彼女は、お白洲の白砂に、手をつき、溢れ出す涙を止めることができなかった。
「御奉行さま……。父ちゃん……」
同日、夕刻。奉行所、執務室。
坂上真一は、一人、執務机に向かっていた。
彼の前には、湯呑から湯気が立っている。
雪之丞が、「これなら近いのでは」と、必死で豆を焦がしに焦がして淹れた、「焦がし豆湯」(コーヒーの代用品)だ。
(……マズい。だが、カフェインは微量に感じる)
坂上が、その苦い液体で、疲れた脳を無理やり覚醒させていると、恐る恐る、襖が開いた。
蘭と、雪之丞だった。
二人は、正座し、深々と頭を下げた。
「あ、あの……御奉行様……。本日は、その……」
蘭は、何から言っていいか分からない。
目の前の男は、冷徹な上司なのか、あの「真さん」なのか。
顔が、混乱で真赤になっていた。
雪之丞が、意を決して聞いた。
「お、恐れながら……あの、背中は……その、本物、なので?」
坂上は、その問いには一切答えず、二人を無視して、机の上に、ある物を広げた。
蘭の父の遺品である、あの「米俵と数字のメモ」だ。
「……大和田は、裁いた」
坂上の、50歳の指揮官の声が、室に響く。
「ですが!」
蘭が、顔を上げる。
「大和田は、父を殺したことを、最後まで認めませんでした!」
「当然だ」
坂上は、メモの数字を指でなぞる。
「大和田は、『トカゲの尻尾』だ。蘭、貴様の父を殺すよう命じた、真の『黒幕』が、まだ江戸の中枢にいる」
蘭と雪之丞が、息を呑んだ。
坂上は、マズい「焦がし豆湯」を最後の一滴まで飲み干すと、静かに立ち上がった。
「蘭。雪之丞」
「は、はい!」
二人は、思わず背筋を伸ばす。
「これより、我が隊の『任務(ミッション)』を、再定義する」
「……ミッション?」
「……隊?」
「我々は、これより、江戸中枢に潜み、民の生活を脅かす『真の敵性組織』の、排除行動を開始する」
二人は、坂上の言葉の意味の、半分も理解できなかった。
だが、その目、声が、今、江戸で最も信頼できる「指揮官」のものであることだけは、痛いほど分かった。
「はっ!」
蘭は、もはや混乱していない。
父の仇討ちの、その先にある「本当の戦い」を見据え、力強く平伏した。
その頃、料理屋「喜助亭」
義賊・喜助は、店の片付けをしながら、耳を澄ませていた。
客たちが、今日のお白洲の噂で持ちきりだ。
「聞いたかい! 北町の若様が、お白洲で、御開帳!」
「背中に、とんでもねえ仁王様がいたってよ!」
「大和田様、それ見てションベン漏らしちまったって!」
ピタ。
喜助が、魚を捌く手を止めた。
彼の脳裏に、昨夜、蔵で出会った、あの奇妙な男の姿が蘇る。
(……あの、お堅い『真さん』が、あの奉行様……?)
(あの『規律』だの『投降』だの言ってた男が……?)
喜助は、口元に、いつもの皮肉な笑みではない、心の底から楽しそうな、不敵な笑いを浮かべた。
「へえ……。奉行が、『真さん』で、仁王様ねえ」
彼は、包丁の切っ先を、月にかざした。
「……面白くなってきやがったじゃねえか。法の中の、『仁王様』よ」
お白洲は、時が止まったかのように静まり返っていた。
悪党二人は、腰を抜かし、焦点の合わない目で、目の前に立つ「仁王」を見上げ、意味のない呻き声を上げている。
「に、仁王……さま……」
「『真さん』が……ご、御奉行……」
蘭も、雪之丞も、同心たちも、皆、声を失っていた。
若き奉行が、背中一面に彫り物を背負う、江戸一番の「遊び人」だったという、あまりにも衝撃的な「事実」に。
その静寂を破ったのは、当の本人だった。
坂上真一(中身50歳)は、まるで任務が終わった機械のように、何の感慨も無く、はだけた着物の襟をゆっくりと戻した。
仁王の姿が、再び絹の衣の下に隠されていく。
彼は、冷え切った目で、もはや何の脅威でもない二人の悪党を見下ろした。
「雪之丞」
「は、はひぃっ!?」
雪之丞が、蛙のようにつぶれた声を出だす。
「今の『自白』。貴様の耳でも、しかと聞き届けたな」
「じ、自白……で?」
坂上は、冷たく言い放つ。
「『この背中を見た』。即ち、『昨夜、三国屋の賭場に、この大和田と三国屋が、確かに居合わせた』という動かぬ証拠だ」
あっ!と蘭が顔を上げた。
坂上の「論理(ロジック)」による「断罪」が始まった。
「第一。阿片密輸の証拠たる『台帳』」
「第二。現場に居合わせた証人、早乙女 蘭」
「そして、第三。貴様らが、今、この場で、お白洲にいる全員の前で認めた、『現場への臨場』という『自白』」
坂上は、着物の襟を直し終え、再び、完璧な「北町御奉行」の姿に戻っていた。
「……証拠(エビデンス)は、全て揃った」
彼は、段の上に座り直し、刑を宣告する。
「三国屋 惣兵衛! 民を害する阿片を密売し、暴利を貪った罪、重し! 全財産没収の上、遠島に処す!」
「大和田 備中守!」
大和田が、死人のような顔で「ひぃ」と肩を震わせる。
「貴様は、幕臣の身でありながら、己の利のために国の法を破り、同心・早乙女(蘭の父)を死に追いやった! その罪、万死に値する!」
「武士の風上にも置けぬ男よ。家禄没収、御家断絶の上、本日中の切腹を言い渡す!」
「……あ……あ……」
大和田は、声もなく崩れ落ちた。
蘭は、その裁きを、震えながら聞いていた。
父の無念が、晴らされた。
彼女は、お白洲の白砂に、手をつき、溢れ出す涙を止めることができなかった。
「御奉行さま……。父ちゃん……」
同日、夕刻。奉行所、執務室。
坂上真一は、一人、執務机に向かっていた。
彼の前には、湯呑から湯気が立っている。
雪之丞が、「これなら近いのでは」と、必死で豆を焦がしに焦がして淹れた、「焦がし豆湯」(コーヒーの代用品)だ。
(……マズい。だが、カフェインは微量に感じる)
坂上が、その苦い液体で、疲れた脳を無理やり覚醒させていると、恐る恐る、襖が開いた。
蘭と、雪之丞だった。
二人は、正座し、深々と頭を下げた。
「あ、あの……御奉行様……。本日は、その……」
蘭は、何から言っていいか分からない。
目の前の男は、冷徹な上司なのか、あの「真さん」なのか。
顔が、混乱で真赤になっていた。
雪之丞が、意を決して聞いた。
「お、恐れながら……あの、背中は……その、本物、なので?」
坂上は、その問いには一切答えず、二人を無視して、机の上に、ある物を広げた。
蘭の父の遺品である、あの「米俵と数字のメモ」だ。
「……大和田は、裁いた」
坂上の、50歳の指揮官の声が、室に響く。
「ですが!」
蘭が、顔を上げる。
「大和田は、父を殺したことを、最後まで認めませんでした!」
「当然だ」
坂上は、メモの数字を指でなぞる。
「大和田は、『トカゲの尻尾』だ。蘭、貴様の父を殺すよう命じた、真の『黒幕』が、まだ江戸の中枢にいる」
蘭と雪之丞が、息を呑んだ。
坂上は、マズい「焦がし豆湯」を最後の一滴まで飲み干すと、静かに立ち上がった。
「蘭。雪之丞」
「は、はい!」
二人は、思わず背筋を伸ばす。
「これより、我が隊の『任務(ミッション)』を、再定義する」
「……ミッション?」
「……隊?」
「我々は、これより、江戸中枢に潜み、民の生活を脅かす『真の敵性組織』の、排除行動を開始する」
二人は、坂上の言葉の意味の、半分も理解できなかった。
だが、その目、声が、今、江戸で最も信頼できる「指揮官」のものであることだけは、痛いほど分かった。
「はっ!」
蘭は、もはや混乱していない。
父の仇討ちの、その先にある「本当の戦い」を見据え、力強く平伏した。
その頃、料理屋「喜助亭」
義賊・喜助は、店の片付けをしながら、耳を澄ませていた。
客たちが、今日のお白洲の噂で持ちきりだ。
「聞いたかい! 北町の若様が、お白洲で、御開帳!」
「背中に、とんでもねえ仁王様がいたってよ!」
「大和田様、それ見てションベン漏らしちまったって!」
ピタ。
喜助が、魚を捌く手を止めた。
彼の脳裏に、昨夜、蔵で出会った、あの奇妙な男の姿が蘇る。
(……あの、お堅い『真さん』が、あの奉行様……?)
(あの『規律』だの『投降』だの言ってた男が……?)
喜助は、口元に、いつもの皮肉な笑みではない、心の底から楽しそうな、不敵な笑いを浮かべた。
「へえ……。奉行が、『真さん』で、仁王様ねえ」
彼は、包丁の切っ先を、月にかざした。
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