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EP 19
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お白洲と黒い豆
翌日。北町奉行所、お白洲。
空気は、前回の大和田の裁き以上に、異様な熱気と緊張に包まれていた。
噂の「仁王奉行」が、またもや大物を引っ据えたのだ。
白砂の上には、呉服問屋・近江屋の主人が、昨夜の威勢はどこへやら、死人のように青い顔で座らされている。
その脇には、捕縛された用心棒たちも並ぶ。
御簾が上がる。
坂上真一(奉行)が、こめかみを(カフェインが切れそうな痛みで)微かに押さえながら、無表情で上座についた。
(……早く終わらせて、あの『証拠物件』を検分せねば)
蘭が、証人として控える職人長屋の徳三を呼び出し、詮議が始まった。
罪状は、職人長屋への不法な地上げ行為、放火未遂、そして……
「――同心・秋元 雪之丞に対する、不法監禁!」
蘭の声が響く。
「待った! 待った!」
近江屋が、待っていましたとばかりに大声を上げた。
「そ、それは違います! 濡れ衣にございます!」
「何!?」
近江屋は、これが最後の勝機とばかりに、お白洲に響き渡る声で(嘘を)叫んだ。
「昨夜! 乱暴に土蔵に押し入ってきたのは、あの『真さん』と名乗るならず者と、剣術バカの小僧(赤太)の方でございます!」
「なっ!」
蘭が、息を呑む。
傍聴席の隅で(勝手に)見ていた赤太も、「(俺か!)」と身を固くする。
近江屋は、必死に(自分に)言い聞かせるように続けた。
「『真さん』は、私どもを脅し、金品を強奪! 雪之丞殿は、あの『真さん』とグルだったのです! 借金のカタに、手引きを!」
「……!」
雪之丞が、「(俺まで!)」と顔を引きつらせた。
近江屋は、奉行(坂上)を見た。
(……そうだ。この若造奉行が、あの『真さん』と同一人物であるはずがない。大和田様は、何かに怯えて自滅しただけだ)
近江屋は、自分の論理に自信を持ち、最後の一手を打った。
「御奉行! この一件は、すべて、あの、背中に彫り物があるという、ならず者の『真さん』が仕組んだこと! 私どもは、被害者にございます!」
……しん、と。
お白洲が、静まり返った。
徳三は、心配そうに坂上を見る。
蘭は、ニヤリと笑う。
雪之丞は、ブルブルと(喜びと恐怖で)震えている。
坂上は、段の上で、ただ一つ、深い、深い、ため息をついた。
(……またか)
(……学習しない奴だ)
(……この『非合理な儀式』をしないと、俺は、あのコーヒーに、たどり着けないのか)
坂上は、心底うんざりした顔で、音もなく立ち上がった。
「!?」
近江屋が、息を呑む。
(……な、なぜ立つ?)
坂上は、ゆっくりと、自分の羽織に手をかけ、そして、昨日も散々汚れた、あの「着物」の襟を、無造作に掴んだ。
ザッ……!
陽の光を浴びて、白い背中に鎮座する、極彩色の「仁王像」が、再び、お白洲に顕現した。
「あ…………」
「あ……あ……あ…………」
近江屋の顔から、血の色が、引いた。
いや、消えた。
昨日、自分の土蔵で、十を超える用心棒を(子供と二人で)叩きのめした、あの「遊び人」の、背中。
それが、今、なぜ、奉行の背中に……?
(……真さん……が、奉行……?)
(……奉行……が、真さん……?)
(……俺は、昨夜、『奉行』を、殺そうと……?)
近江屋の脳が、その「非現実」に、追いつかない。
ガチガチと、歯の根が合わなくなる。
その、絶望の淵にいる男の頭上から。
坂上真一の、この世の終わりを告げるかのような、冷たく重い「宣告」が、降り注いだ。
「――近江屋」
「は……ひ……」
「昨夜、貴様のアジトで」
「縛られた雪之丞の、あの『借金証文』が」
「(……目の前で、灰になるのを)」
「黙って、見ていた、男……」
坂上は、一呼吸置き、言い放った。
「――この仁王の背中に、見覚えがねぇとは、言わせねぇぞ!」
「あ……あ……ああああああああああああああっ!!!」
近江屋の主人は、絶叫とも悲鳴ともつかぬ声を上げると、泡を吹いて、そのまま白砂の上に崩れ落ちた。
役人たちが、彼を引きずっていく。
お白洲は、「仁王様……」と、畏怖の呟きに満ちていた。
その、混乱の背後。
奉行のすぐ後ろに控えていた、同心・秋元 雪之丞だけが。
一人、誰にも見えないように、そっと、天を仰いでいた。
彼の両目からは、大粒の、しかし、この上なく「嬉しそうな」涙が、ボロボロと流れ落ちていた。
(……しょ、証文が……燃えた……!)
(借金が……チャラに……!)
(ああ……ありがたや……! 仁王様! 奉行様! 喜助様!)
坂上は、その部下の(非常識な)歓喜には一切気づかず、静かに着物を戻すと、冷たく言い渡した。
「……次だ。証拠物件の『検分』を、始める」
彼の頭は、すでに、あの「黒い豆」でいっぱいだった。
翌日。北町奉行所、お白洲。
空気は、前回の大和田の裁き以上に、異様な熱気と緊張に包まれていた。
噂の「仁王奉行」が、またもや大物を引っ据えたのだ。
白砂の上には、呉服問屋・近江屋の主人が、昨夜の威勢はどこへやら、死人のように青い顔で座らされている。
その脇には、捕縛された用心棒たちも並ぶ。
御簾が上がる。
坂上真一(奉行)が、こめかみを(カフェインが切れそうな痛みで)微かに押さえながら、無表情で上座についた。
(……早く終わらせて、あの『証拠物件』を検分せねば)
蘭が、証人として控える職人長屋の徳三を呼び出し、詮議が始まった。
罪状は、職人長屋への不法な地上げ行為、放火未遂、そして……
「――同心・秋元 雪之丞に対する、不法監禁!」
蘭の声が響く。
「待った! 待った!」
近江屋が、待っていましたとばかりに大声を上げた。
「そ、それは違います! 濡れ衣にございます!」
「何!?」
近江屋は、これが最後の勝機とばかりに、お白洲に響き渡る声で(嘘を)叫んだ。
「昨夜! 乱暴に土蔵に押し入ってきたのは、あの『真さん』と名乗るならず者と、剣術バカの小僧(赤太)の方でございます!」
「なっ!」
蘭が、息を呑む。
傍聴席の隅で(勝手に)見ていた赤太も、「(俺か!)」と身を固くする。
近江屋は、必死に(自分に)言い聞かせるように続けた。
「『真さん』は、私どもを脅し、金品を強奪! 雪之丞殿は、あの『真さん』とグルだったのです! 借金のカタに、手引きを!」
「……!」
雪之丞が、「(俺まで!)」と顔を引きつらせた。
近江屋は、奉行(坂上)を見た。
(……そうだ。この若造奉行が、あの『真さん』と同一人物であるはずがない。大和田様は、何かに怯えて自滅しただけだ)
近江屋は、自分の論理に自信を持ち、最後の一手を打った。
「御奉行! この一件は、すべて、あの、背中に彫り物があるという、ならず者の『真さん』が仕組んだこと! 私どもは、被害者にございます!」
……しん、と。
お白洲が、静まり返った。
徳三は、心配そうに坂上を見る。
蘭は、ニヤリと笑う。
雪之丞は、ブルブルと(喜びと恐怖で)震えている。
坂上は、段の上で、ただ一つ、深い、深い、ため息をついた。
(……またか)
(……学習しない奴だ)
(……この『非合理な儀式』をしないと、俺は、あのコーヒーに、たどり着けないのか)
坂上は、心底うんざりした顔で、音もなく立ち上がった。
「!?」
近江屋が、息を呑む。
(……な、なぜ立つ?)
坂上は、ゆっくりと、自分の羽織に手をかけ、そして、昨日も散々汚れた、あの「着物」の襟を、無造作に掴んだ。
ザッ……!
陽の光を浴びて、白い背中に鎮座する、極彩色の「仁王像」が、再び、お白洲に顕現した。
「あ…………」
「あ……あ……あ…………」
近江屋の顔から、血の色が、引いた。
いや、消えた。
昨日、自分の土蔵で、十を超える用心棒を(子供と二人で)叩きのめした、あの「遊び人」の、背中。
それが、今、なぜ、奉行の背中に……?
(……真さん……が、奉行……?)
(……奉行……が、真さん……?)
(……俺は、昨夜、『奉行』を、殺そうと……?)
近江屋の脳が、その「非現実」に、追いつかない。
ガチガチと、歯の根が合わなくなる。
その、絶望の淵にいる男の頭上から。
坂上真一の、この世の終わりを告げるかのような、冷たく重い「宣告」が、降り注いだ。
「――近江屋」
「は……ひ……」
「昨夜、貴様のアジトで」
「縛られた雪之丞の、あの『借金証文』が」
「(……目の前で、灰になるのを)」
「黙って、見ていた、男……」
坂上は、一呼吸置き、言い放った。
「――この仁王の背中に、見覚えがねぇとは、言わせねぇぞ!」
「あ……あ……ああああああああああああああっ!!!」
近江屋の主人は、絶叫とも悲鳴ともつかぬ声を上げると、泡を吹いて、そのまま白砂の上に崩れ落ちた。
役人たちが、彼を引きずっていく。
お白洲は、「仁王様……」と、畏怖の呟きに満ちていた。
その、混乱の背後。
奉行のすぐ後ろに控えていた、同心・秋元 雪之丞だけが。
一人、誰にも見えないように、そっと、天を仰いでいた。
彼の両目からは、大粒の、しかし、この上なく「嬉しそうな」涙が、ボロボロと流れ落ちていた。
(……しょ、証文が……燃えた……!)
(借金が……チャラに……!)
(ああ……ありがたや……! 仁王様! 奉行様! 喜助様!)
坂上は、その部下の(非常識な)歓喜には一切気づかず、静かに着物を戻すと、冷たく言い渡した。
「……次だ。証拠物件の『検分』を、始める」
彼の頭は、すでに、あの「黒い豆」でいっぱいだった。
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