『一佐の裁き(いっさのさばき) 〜イージス艦長(50)、江戸北町奉行(25)に成り代わる〜』

月神世一

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EP 32

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『見えない壁と、サボりの忠告』
翌日。
早乙女蘭(さおとめ らん)は、例の薬屋『越後屋』の前にいた。
日本橋の一等地(いっとうち)に構えられた店は、非の打ち所がないほど立派だった。
出入りする客も、身なりの良い商人や、奥方様ばかりだ。
(……チッ。見るからに、カタギの店だよなあ)
蘭は、岡っ引きの「勘」を頼りに、周辺の聞き込みを開始した。
まずは、向かいの煙管(キセル)屋の主人に。
「越後屋ねえ。ああ、あそこは江戸一番の薬屋さんさ。店主の越後屋伝兵衛(でんべえ)様は、町の寄合(よりあい)にも熱心で、そりゃあ立派なお人だよ」
次は、斜向かいの呉服屋の番頭。
「悪い噂? とんでもない。越後屋様を、悪く言う者なんぞ、この界隈(かいわい)にはおりませんよ」
(……おかしい)
蘭は、腕を組んだ。
長屋の「噂」と、店の「評判」が、あまりにも違いすぎる。
水面下(すいめんか)で起きていることは、表の「大通り」には、まったく漏れてきていない。
これは、ただの「勘違い」では済まない、何か大きな力が働いている証拠だった。
(……こうなったら)
蘭は、奉行所(ほうぎょうしょ)に戻る道すがら、見回り(という名のサボり)中の、見慣れた背中を見つけた。
「――あ! 雪(ゆき)の旦那(だんな)! 見ーっけ!」
「げっ!?」
道の真ん中で、大きな欠伸(あくび)をしていた同心・秋元雪之丞(あきもと ゆきのじょう)が、ビクリと肩を震わせた。
「……ら、蘭ちゃんか。脅かすなよ。今、公務(こうむ)の真っ最中で……」
「嘘(うそ)つけ! どうせ、このまま酒屋にでも行くつもりだったんだろ!」
「……(ギクリ)」
蘭は、そんな雪之丞の前に、ぐいと回り込むと、真剣な顔つきになった。
「それより、雪の旦那。ちょっと聞きたいんだけどさ」
「……やだね。面倒(めんどう)ごとはお断りだ」
「まだ何も言ってないだろ!」
蘭は、日本橋の方角を、親指でクイと指した。
「……あのさ。『越後屋』って薬屋、どう思う?」
「『越後屋』?」
雪之丞は、面倒くさそうに、鼻を掻(か)いた。
「ああ、あのデカい店だろ? どうって……儲(もう)かってそうだよな。俺もあそこの『滋養強壮(じようきょうそう)の丸薬』でも飲んだら、もうちょいヤル気が出るかねえ。ツケで」
「真面目(まじめ)に聞いてよ!」
蘭は、声を潜(ひそ)め、昨日からの経緯(いきさつ)――子供たちの間で広がる「悪い噂」と、赤太の友人が倒れた一件を、手短に説明した。
「……どうも、あの店の薬が、怪しいんだよ」
雪之丞は、その話を聞いても、まだ「かったるい」という顔を崩さなかった。
「……はいはい。で? その『噂』だけで、あのデカい店を洗えと?」
「……!」
「蘭ちゃん。お前の正義感は買うがね。そいつは『仕事(しごと)』のやり方じゃねえ。証拠もねえのに、そんな店に『同心(おれたち)』が顔を出してみろ。逆に『営業妨害』で訴えられて、奉行様(ボス)のクビが飛ぶぜ」
「で、でも……!」
「ま、そういうこった。俺は忙しいから……」
雪之丞が、いつものように、その場を去ろうとした、その時。
彼の目が、ふと、記憶の中の『越後屋』の店構えを、正確に思い出した。
「…………」
雪之丞の、だらしない足が、ピタリと止まった。
「……雪の旦那?」
「……蘭」
「……なに?」
「……お前、あの店の『看板』、ちゃんと見たか?」
「看板? ……『江戸一番』とか、書いてあったような……」
雪之丞は、ゆっくりと振り返った。
その目は、もう「サボり」の同心のものではなかった。
幾多の「面倒ごと」の匂いを嗅(か)ぎ分け、生き残ってきた「プロ」の目だった。
「……あの店の、一番高いところに、金文字の『額(がく)』が、かかってただろうが」
「……?」
「――『幕府御用達(ばくふ ごようたし)』」
「……え?」
蘭は、息を呑(の)んだ。
「『幕府御用達』……。そりゃ、幕府に薬を納めてるって、ことだろ? だから、立派な店なんじゃ……」
「――逆だ、馬鹿(アホ)」
雪之丞の声が、ドスが利くほど低くなった。
「あれは、『看板』じゃねえ。『御札(おふだ)』だ」
「……おふだ?」
「『この店は、お上(かみ)が護(まも)っている。手出し無用』って意味のな」
雪之丞は、蘭の肩を、ポン、と叩いた。その手は、やけに冷たかった。
「……蘭。こいつは、ヤバいぞ」
「……」
「お前が今、首を突っ込もうとしてんのは、ただの『偽薬(にせぐすり)屋』じゃねえ。……『幕府』そのものだ」
「……!」
「……悪いことは言わねえ。今すぐ手を引け」
「……そしたら、タケ坊は!? 苦しんでる子供たちは、どうなるんだよ!」
蘭が、叫んだ。
雪之丞は、その真っ直ぐな目から、フイと視線をそらした。
「……知るかよ」
「……それが、『世の中』ってもんだろ」
雪之丞は、今度こそ、本当に背を向けた。
「……俺は、この件(けん)には、関わらねえ。……お前も、死にたくなきゃ、深追いするな」
蘭は、その場に一人、立ち尽くした。
雪之丞の「忠告」は、彼女の正義感に、冷たく、そして重い「壁」となって、立ちはだかった。
(……幕府御用達……)
(……だから、雪の旦那も、怖(お)じ気づいたのか)
蘭は、ギリ、と奥歯(おくば)を噛(か)み締めた。
(……冗談(じょうだん)じゃない)
(……だったら、あの人に、言うまでだ)
(……あの『仁王様(ごうよう)』なら、きっと……!)
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