『一佐の裁き(いっさのさばき) 〜イージス艦長(50)、江戸北町奉行(25)に成り代わる〜』

月神世一

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EP 33

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『夜鷹そばと、皮肉屋の目』
北町奉行所、執務室。
早乙女蘭は、奉行・坂上真一の前にいた。
彼女は、長屋の噂、赤太の友人が倒れたこと、そして雪之丞から受けた「幕府御用達」という重い忠告の全てを、包み隠さず報告した。
「――雪の旦那は、『幕府』が相手だから手を引けって……」
蘭は、すがるような目で上司を見上げた。
「……でも、御奉行様(おぼうぎょうさま)なら! 仁王様なら、そんな看板、関係ないですよね!?」
「…………」
坂上は、答えない。
ただ、静かに竹製の水筒を手に取り、蓋を開けた。
湯気と共に、コーヒーの苦い香りが、畳の部屋に似つかわしくなく広がる。
「……『幕府御用達』、か」
その言葉は、坂上(中身50歳)の脳裏に、封印していた記憶を呼び覚ました。
統合幕僚監部、防衛計画部(J-5)時代。
現場(イージス艦)の論理(人命)が、霞が関(市ヶ谷)の「政治」と「予算」の壁に、どれほど無力であったか。
あの「調整」という名の、妥協と欺瞞に満ちた日々。
(……江戸も、21世紀(むこう)も、同じか)
坂上は、熱いコーヒーを一口飲み、その苦味で、湧き上がる「苛立ち」を胃の底に押し込めた。
彼は、蘭を真っ直ぐに見据えた。
「……蘭」
「は、はい!」
「お前の『勘』は、おそらく正しい」
「! じゃあ!」
「だが」
坂上は、その期待を、冷たい「組織の論理」で遮った。
「――動けん」
「……え?」
「雪之丞の判断は、同心として正しい。……噂と状況証拠だけでは、『幕府御用達』の看板を背負った店を、奉行所が公(おおやけ)に捜査することは不可能だ」
「そ、そんな……! 子供たちが苦しんでるんですよ!?」
「『確たる証拠(エビデンス)』が、ない」
坂上は、非情なまでに言い切った。
「動けば、俺(わたくし)だけでなく、北町奉行所そのものが潰される。そうなれば、江戸の他の『悪』も裁けなくなる。……指揮官として、そのリスクは取れん」
「…………!」
蘭は、愕然とした。
最後の希望だった。
この「仁王様」だけは、権力など恐れず、悪を斬ってくれると信じていた。
(……雪の旦那だけじゃない)
(……御奉行様まで……!)
蘭の目から、光が消えかけた。
絶望が、彼女の肩に重くのしかかった、その時。
カラリ。
「――蕎麦(そば)の、出前だぜ」
間の抜けた声と共に、喜助(きすけ)が、岡持ちを下げて執務室にひょいと顔を出した。
「お、やってるねえ、深刻な会議。……邪魔したかい?」
「喜助……!」
坂上は、この最悪のタイミングで現れた皮肉屋を、ジロリと睨んだ。
喜助は、二人の重苦しい空気と、蘭の絶望しきった顔を(楽しそうに)見比べると、岡持ちを畳に置いた。
「……どうやら、蕎麦どころじゃねえな」
「……帰れ。公務中だ」
「へえ」
喜助は、わざとらしく、部屋の隅にある「幕府御用達」と書かれた(別の)献上品(けんじょうひん)の木箱を、ポンポンと叩いた。
「……あの『越後屋』の看板に、ビビってんのかい? あの『仁王様』が」
「……!」
蘭が、ハッと顔を上げる。
「……てめえ、聞いて……!」
「立ち聞きするまでもねえよ。お嬢ちゃんのその顔(つら)に、『絶望』って書いてある」
喜助は、坂上に向き直った。
「……あんたが『奉行』として動けねえってんなら、仕方ねえ」
「……何が言いたい」
「奉行所(おもて)がダメなら、『裏』が動けばいいだけの話だろ?」
喜助は、蘭を見た。その目は、いつもの皮肉屋ではなく、「義賊」の目だった。
「……お嬢ちゃん。その薬が、本当に『毒』なら、そいつを作ってる『大元』があるはずだ」
「……仕入れ元……!」
「ああ」
喜助は、雪之丞への当てつけのように、ニヤリと笑った。
「……雪の旦那(あいつ)は、面倒(リスク)が嫌いだから逃げただろ?」
「……」
「だが、俺(こっち)は違う。面倒(ヤマ)の匂いがするほど、ワクワクするんでね」
喜助は、蘭に、小さな声で囁いた。
「――俺の『夜鷹(ネットワーク)』を使えば、その『越後屋』が、どこから何を仕入れてるか……。今夜(こんや)のうちに、分かるかもな?」
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