『一佐の裁き(いっさのさばき) 〜イージス艦長(50)、江戸北町奉行(25)に成り代わる〜』

月神世一

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EP 36

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『田沼意次の「影」』
夜。
『越後屋』の土蔵裏は、月明かりすら届かぬ、完璧な闇に包まれていた。
三つの影が、その闇に溶け込んでいる。
「……御奉行の言う通りだ」
喜助が、忍びのように気配を殺し、囁いた。
「……表の見張りは、一人。蔵の中の気配が、二つ」
「……で、どうすんだよ」
雪之丞が、面倒くさそうに刀の柄に手をかける。
「正面から叩っきって、ガキ担いで出りゃ、終いだろ」
「馬鹿言うな!」
蘭が、その背中を小突く。
「こっちは『証拠』も盗るんだ! 騒ぎ立てたら、おしまいだろ!」
「……チッ」
喜助が、その言い合いを制した。
「……お喋りは、そこまでだ」
喜助は、雪之丞と蘭に目配せした。
「……俺が、まず、表の『目』を潰す」
「……雪の旦那は、中の『二人』。……峰でやれよ? こっちは『泥棒』だ。殺っちまったら、仁王様(ボス)のクビが飛ぶ」
「……へいへい。六分の力でな」
「蘭姉ちゃんは、ガキと『ブツ(証拠)』の確保だ。……いいな?」
蘭は、鉄の小尺を握りしめ、頷いた。
「……任せな!」
フッ、と。
喜助の気配が、消えた。
蘭と雪之丞は、息を殺し、蔵の裏戸の前で待機する。
十秒か、あるいは永遠か。
――コクン。
闇の向こうから、何かが(見張りの頭が)落ちたような、小さな音だけがした。
「……」
喜助が、音もなく戻ってくる。
「……表は、寝た。……行くぞ」
喜助が、懐から取り出した奇妙な「金串」で、蔵の古びた錠前を、音もなく開いていく。
ギ、と。
重い戸が、わずかに開いた。
「――今だ!」
喜助の声と同時。
雪之丞が、その隙間から、獣のような速さで、蔵の中へ躍り込んだ!
「――な、誰だ!?」
蔵の中では、二人の用心棒が、ぐるぐる巻きにした赤太を前に、酒盛りをしていた。
「ぐえっ! 蘭姉ちゃん!」
赤太が、救いの主に気づく。
「――おらよ!」
用心棒の一人が、慌てて刀を抜いた。
「――遅えんだよ」
雪之丞の「本気」の剣が、その刀を、鞘ごと弾き飛ばしていた。
ガキン!
「ひっ!?」
「仕事増やしやがって……!」
雪之丞の峰が、一瞬で二人の用心棒の鳩尾を捉え、二人は「ぐえっ」という声も出せずに、白目を剥いて崩れ落ちた。
「……赤太!」
その戦闘の脇を、蘭がすり抜ける。
「この、馬鹿! アホ! 助けに来てやったよ!」
「わ、悪い……!」
蘭が、赤太の縄を小刀で切り裂く。
「……証拠は!?」
「あ、あれだ!」
赤太が、蔵の隅に積まれた、異国の麻袋を指差す。
蘭は、その毒々しい紫色の薬草を、持てるだけ、布袋に詰め込んだ。
「……チッ」
雪之丞が、気絶した用心棒を蹴飛ばす。
「……面倒な、残業させやがって……」
翌朝。北町奉行所、執務室。
蘭は、勝ち誇った顔で、その『毒の薬草』が入った袋を、坂上真一の机の上に、ドサリと置いた。
「――御奉行様! これが『証拠』です!」
その後ろでは、赤太が(蘭に殴られた頬をさすりながら)バツが悪そうに立っている。
坂上は、その毒々しい薬草を一瞥し、次に、目の下にクマを作った(=徹夜明けの)雪之丞を見た。
「……よくやった」
坂上の、静かな声が響く。
「……蘭、雪之丞、喜助、そして赤太。……『私的な』大捕物、見事であった」
蘭が、胸を張る。
「これで、『越後屋』を捕まえられますよね!」
「ああ」
坂上は、頷いた。
「――これより、『越後屋』および、その背後にある『唐紅屋』の捜査を、北町奉行所の『公務』として、正式に開始する!」
蘭と赤太の顔が、輝いた。
(……やった!)
(……真さんが、ついに……!)
坂上は、即座に与力を呼び、捜査令状(に類する、強制捜査の許可書)を、奉行所の上層部に申請させた。
「証拠はある! 政治的な『看板』など、証拠(エビデンス)の前には無力だ!」
これで、全てが解決する。
蘭が、そう信じ切っていた、その時だった。
「――お待ち、願えますかな」
執務室の入り口に、いつの間にか、一人の男が立っていた。
穏やかな、しかし、底知れぬ威圧感を放つ、初老の侍。
蘭も、雪之丞も、その顔を知らなかった。
だが、その男の「紋所」を見た瞬間、部屋にいた与力たちの顔が、凍りついた。
「……!」
坂上だけが、その男の顔を(21世紀の知識で)知っていた。
(……なぜ、この男が、こんな『現場』に……)
男は、静かに部屋に入ってくると、坂上の前に、完璧な所作で腰を下ろした。
その目は、坂上が提出した「令状」と、机の上の「毒薬草」を、値踏みするように見ている。
「……坂上奉行、と、お聞きしております」
「…………」
「……初めまして。わたくしは、田沼意次と、申します」
「「「!!」」」
蘭と雪之丞が、息を呑んだ。
老中・田沼意次。
今、この江戸を、影で動かす、最高権力者。
田沼は、にこり、と笑った。
その笑みは、坂上の「正義」を、見透かすように、冷たかった。
「――その『越後屋』」
「……わたくしの、『肝煎り』の店で、ござる」
「……手を、引いていただけませぬか」
それは、「依頼」ではなかった。
坂上の「仁王」の正義に、真正面から叩きつけられた、「政治」という名の、絶対的な「命令」だった。
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