『一佐の裁き(いっさのさばき) 〜イージス艦長(50)、江戸北町奉行(25)に成り代わる〜』

月神世一

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EP 37

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政治的圧力(J-5の悪夢)
シン、と。
坂上の執務室が、凍りついた。
老中・田沼意次の、穏やかな、しかし絶対的な「命令」。
「――わたくしの、『肝煎』の店で、ござる」
「……え?」
蘭が、その言葉の意味を理解できず、目の前の最高権力者と、尊敬する上司(坂上)の顔を、交互に見比べた。
(……ウソだろ)
(……よりにもよって、最後の強敵かよ……!)
雪之丞は、顔から血の気が引き、ゆっくりと、音を立てずに、壁際まで後退った。これは「サボり」ではなく、本能的な「恐怖」だった。
「田沼、様……? な、何で……」
赤太だけが、状況を理解できずに、呟く。
坂上は、動じなかった。
その目は、かつて統合幕僚監部(J-5)で対峙した、老獪な政治家たちを射抜いた時の、冷たい「軍人」の目だった。
田沼は、その坂上の挑戦的な目を、面白い玩具でも見るかのように、細めた。
「……坂上奉行。少々、二人きりで、お話が」
その言葉は、蘭たちへの「退室命令」だった。
「! 待ってください、田沼様! この薬草は……!」
蘭が、証拠の袋を掴んで、前に出ようとする。
「――蘭」
坂上の、短く、鋭い制止の声が飛んだ。
「……雪之丞、赤太もだ。全員、ここから出ろ」
「ご、御奉行! でも!」
「『証拠』は、ここに置いていけ」
「……!」
蘭は、信じられない、という顔で坂上を見た。
だが、その目の奥にある「絶対に逆らうな」という威圧感に、押さえつけられる。
「……くっ……!」
蘭は、悔しさに唇を噛み、証拠の袋を床に叩きつけると、雪之丞と赤太を促し、執務室を後にした。
襖が、ピシャリと閉まる。
部屋には、坂上と田沼。そして、机の上の「毒薬草」だけが残された。
「……さて」
田沼は、初めて、その毒薬草を指先でつまみ上げた。
「……噂の『唐紅屋』の品ですかな。……なるほど、醜い色だ」
「……とぼけるのは、おやめ頂きたい」
坂上が、低い声で言った。
「その『唐紅屋』、そして『越後屋』は、あなたの資金源だ。違いますかな」
「左様」
田沼は、あっさりと認めた。
「驚いた。そこまで掴んでいたか。……だからこそ、困る」
田沼は、毒薬草を、まるでゴミでも捨てるかのように、指先から放した。
「坂上奉行。わたくしが今、何をしようとしているか、ご存知かな」
「……」
「この国は、病んでおる。わたくしは、それを『改革』したい。……そのためには、莫大な『金』が要る」
田沼の目が、政治家の目になった。
「その『唐紅屋』が異国から運んでくる『富』が、新しい港を造り、新しい道を造る。……ひいては、この国を、黒船から守る『力』となる」
「……その『力』とやらのために」
坂上の声に、抑え殺した「怒り」が、滲んだ。
「……江戸の子供たちを、見殺しにしろ、と?」
「――大義のための、犠牲だ」
田沼は、言い放った。
その言葉は、坂上(中身50歳)の、J-5時代の古傷を、容赦なく抉った。
(……またか)
(……『大義』だと?)
(……現場を知らぬ『上層部』が、その言葉一つで、どれだけの『命』を切り捨ててきたか……!)
田沼は、立ち上がった。
「……坂上奉行。その『証拠』は、わたくしが預かる」
「!」
「そして、『越後屋』『唐紅屋』への捜査は、これにて『中止』して頂きたい」
「……それは」
「――これは、『老中』としての、『命令』にござる」
田沼は、有無を言わさぬ威圧感を残し、証拠の袋を手に取り、部屋を出て行った。
残された坂上は、怒りに震える拳を、ただ、握りしめるしかなかった。
執務室の外では、蘭と赤太が、壁に耳を当てて、中の様子を窺っていた。
雪之丞だけが、少し離れた柱に寄りかかり、「あーあ」と、天を仰いでいた。
襖が開く。
田沼が、証拠の袋を持って、出てきた。
蘭の顔が、絶望に凍りつく。
田沼は、そんな蘭たちには一瞥もくれず、悠然と去っていった。
「…………」
坂上が、ゆっくりと、廊下に出てくる。
その顔は、能面のように、無表情だった。
「……御奉行……」
蘭が、震える声で、問いかける。
「……ウソ、だよね……? 証拠を、持って行かせたなんて……」
坂上は、蘭を見なかった。
ただ、廊下の先、江戸城の方角を見つめたまま、
「指揮官」として、告げた。
「――捜査は、中止だ」
「…………え?」
「『越後屋』および『唐紅屋』の一件は、これにて、打ち切りとする」
「ま、待ってよ! 何で!?」
「『お上』の、御命令だ」
「……!」
「俺たち、北町奉行所は、これ以上、この件に、一切関わってはならない。……以上だ」
坂上は、そう言い捨てると、蘭たちの横を、すり抜けるように通り過ぎ、自分の執務室へと戻っていった。
「…………」
蘭は、その場に、立ち尽くした。
(……うそだ)
(……あの、仁王様が?)
(……『お上』の命令、だから?)
(……雪の旦那と、同じじゃないか!)
(……『看板』に、ビビっただけじゃないか!)
雪之丞が、蘭の肩に、ポン、と手を置いた。
「……言ったろ、蘭ちゃん。これが、『壁』だ。……諦めな」
「――ふざけるな!!」
蘭の、絶叫が、奉行所に響き渡った。
彼女は、懐から、自分の「命」であり「誇り」であった、鉄の小尺を掴み出すと、
それを、坂上が消えた執務室の襖に向かって、力任せに、叩きつけた!
ガシャン! と、木が割れる、鈍い音がした。
「……もう、いい!」
蘭の目から、涙ではなく、怒りの炎が、噴き出していた。
「――岡っ引きなんか、やめてやる!」
「蘭姉ちゃん!?」
赤太が、慌てて止める。
「……奉行所が、権力に屈するってんなら!」
「――アタシは、アタシの『正義』で、やる!」
蘭は、もう割れてしまった小尺を拾い上げることなく、
奉行所を、飛び出していった。
(……『唐紅屋』……!)
(……越後屋がダメなら、その『裏』にいる、輸入商人(ほんぼし)を、叩けばいい!)
「あ! 待ってよ、蘭姉ちゃん!」
赤太が、慌てて、その後を追う。
残された雪之丞は、
「……最悪の、最悪だ……」
と、頭を振るしかなかった。
一人、執務室に戻った坂上は、
窓の外に飛び出していった「部下」の気配を感じながら、
己の無力さに、竹の水筒を握り潰さんばかりに、震わせていた。
(……J-5と、同じだ……!)
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