『一佐の裁き(いっさのさばき) 〜イージス艦長(50)、江戸北町奉行(25)に成り代わる〜』

月神世一

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EP 38

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『蘭、最後の「賭け」』
奉行所を飛び出した蘭が、どこに行くあてもなく、夕暮れの江戸の町をさまよっていた。
(……裏切者)
(……雪の旦那も、御奉行も!)
(……結局、みんな『お上』の看板が怖いだけじゃないか!)
正義を踏みにじられた怒りと、尊敬する上司に裏切られた絶望で、涙が溢れそうになる。
だが、蘭は、それを、腕で乱暴に拭った。
(……泣いて、何になる)
(……アタシが、やらなきゃ)
「――へえ。ひどい顔だね、お嬢ちゃん」
角の闇から、ぬるり、と。
皮肉な声がした。
喜助だった。『宵闇そば』の岡持ちを、肩に担いでいる。
「……喜助……」
蘭は、警戒を解かなかった。
「……あんたも、笑いに来たのかい? 奉行所に、尻尾巻いて逃げた、アタシを」
「まさか」
喜助は、肩をすくめた。
「……仁王様も、タヌキ(田沼)に噛みつかれたか。そりゃ、ご愁傷様だ」
「……!」
「……で? どうすんだい」
喜助の目が、笑っていなかった。
「……『岡っ引き』の蘭姉ちゃんは、もう、お終いだろ?」
「……うるさいよ」
「……これから、あんたは、ただの『町娘』だ。……それとも」
喜助は、蘭の目の奥の、消えていない「炎」を見透かすように、ニヤリと笑った。
「――『泥棒』にでも、なるかい?」
「……!」
「……あんたが探してる『唐紅屋』の本宅……。もう、割れてるぜ」
喜助は、蘭の返事も待たず、一枚の紙を、彼女の胸に突き刺すように、押し付けた。
それは、屋敷までの、完璧な『地図』だった。
「……俺の『夜鷹』が嗅ぎ付けた。……そこが、連中の『巣』だ。……『偽薬』を作ってる、本物の『工場』よ」
「……喜助、あんた……」
「……行くも、行かねえも、あんた次第だ。……ま、死ぬなよ、お嬢ちゃん」
喜助は、それだけ言うと、闇の中へと、音もなく消えていった。
蘭は、その『地図』を、震える手で握りしめた。
(……これだ)
(……アタシが、欲しかったのは、これだ)
「――待ってよ! 蘭姉ちゃん!」
その時、背後から、息を切らした声がした。
青田赤太だった。
蘭を追って、奉行所から、ずっと走ってきたのだ。
「……赤太……」
「……アタシに、関わるな。アタシは、もう……」
「――行くよ!」
赤太は、蘭の言葉を遮った。
「……俺も、行く!」
「……何を……」
「……タケ坊の仇! それに、蘭姉ちゃんを、泣かせたアイツら(田沼と越後屋)を、俺は許せねえ!」
赤太は、竹刀の柄を、ぎゅっと握る。
「……俺も、連れてってくれ!」
蘭は、その、あまりにも真っ直ぐな目を、見つめた。
(……馬鹿な奴……)
(……こいつも、アタシと、同じだ)
蘭は、フッと、自嘲するように笑った。
そして、その「覚悟」を決めた。
「……赤太」
「……!」
「……あんた、派手に騒ぐのは、得意かい?」
その夜。
『唐紅屋』の、厳重な警備が敷かれた屋敷の、表門。
「――開けろ! 開けろー!」
「北辰一刀流、坂上真一様の弟子、青田赤太が、道場破りに来たぞ!」
赤太が、竹刀を振り回し、門の前で、大声で喚き立てていた。
「……何だ、このキチガイガキは!」
「どこぞの馬鹿だ!」
屋敷の屈強な用心棒たちが、ゾロゾロと、表に集まってくる。
(……よし、掛かった!)
その隙に、蘭は、喜助の地図を頼りに、
屋敷の裏手、警備が手薄になった塀を、音もなく乗り越えていた。
(……ここだ。あの蔵だ)
蘭は、『偽薬』の製造工場と化した、蔵に忍び込む。
中は、薬とも毒ともつかぬ、甘く、むせ返るような匂いがした。
そして、蘭は、見つけた。
番頭の机の上に、無造作に置かれた、『大福帳』を。
(……あった!)
蘭が、その帳簿を開く。
> 『越後屋様 江戸紫の毒 五十貫』
> 『T様(田沼) 御内金 百両』

(……!)
動かぬ証拠だった。
蘭は、その帳簿を、懐に深く仕舞い込んだ。
(……やった!)
(……これを、御奉行に……いや、江戸の町に……!)
蘭が、勝利を確信し、蔵から飛び出そうと、身を翻した、その時。
「――御苦労だったな。北町の、鼠殿」
「……!」
蔵の出口に、
いつから立っていたのか、
高価な着流しを着た、
蛇のように冷たい目をした男が、立っていた。
『唐紅屋』の、主人だった。
その両脇を、赤太を引き付けていたはずの、数倍の用心棒たちが、固めている。
(……! いつの間に……)
(……赤太は!?)
「……あのガキなら、もう、打ち所が悪くて、伸びておるよ」
「なっ……!」
「……田沼様から、お前のことは聞いていた。……まさか、本当に、ここまで、一人で来るとはな」
蘭は、鉄の小尺を(もう割れていたが)構えた。
だが、多勢に無勢。
あっという間に、取り押さえられてしまう。
「……帳簿を、渡せ」
「……いやだね!」
「……そうか」
唐紅屋は、懐から、
あの『江戸紫の毒』が、濃縮された、小さな『瓶』を取り出した。
「……田沼様は、お優しい。『殺すな』と、言われておる」
「……」
「……だが、お前のような、しつこい鼠には、灸を据えねばならぬ」
唐紅屋は、その小瓶の栓を、音もなく抜いた。
「……お前は、この薬が、よほど、お好きと見える」
「……やめろ……!」
「――たっぷり、味わうといい」
用心棒たちが、蘭の口を、無理矢理こじ開けようとする。
絶望的な状況。
蘭の脳裏に、タケ坊の苦しむ顔が、浮かんだ。
(……アタシも、こうなるのか……)
蘭の目が、恐怖に、見開かれた。
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