『一佐の裁き(いっさのさばき) 〜イージス艦長(50)、江戸北町奉行(25)に成り代わる〜』

月神世一

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EP 40

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『仁王の裁き、タヌキの笑み』
『唐紅屋(からくれないや)』の屋敷は、修羅場と化していた。
「――ひっ!?」
「ば、化け物か、こいつら……!」
屈強な用心棒たちが、次々と宙を舞う。
平上雪之丞の神速の居合が、彼らの武器を弾き飛ばし、
喜助の撒菱(まきびし)と煙玉が、視界と自由を奪う。
そして、その中央を、一人の男が、嵐のように突き進んでいた。
坂上真一。
北辰一刀流免許皆伝の剣は、用心棒たちの攻撃を紙一重で見切り、最小限の動きで、的確に急所(峰打ち)を砕いていく。
「――そこだ!」
坂上が、蔵の扉を蹴り破る。
「……!」
中では、唐紅屋が、縛られた蘭の口に、無理やり毒の小瓶を押し当てようとしていた。
「……往生際(おうじょうぎわ)が悪いぞ、鼠(ねずみ)……!」
「んぐぐ……!」
「――その汚い手を、離せェ!!」
「なっ!?」
唐紅屋が振り返る刹那、坂上の放った木片(壊れた扉の破片)が、彼の手首を直撃した。
「ぎゃっ!」
小瓶が床に落ち、砕け散る。
「……御奉行……!」
蘭が、涙で潤んだ目を見開く。
坂上は、幽鬼のような形相で、唐紅屋に歩み寄った。
「……貴様」
「ひ、ひいっ! わ、わたくしは、田沼様の……!」
「黙れ」
ドスッ!
坂上の拳が、唐紅屋の顔面にめり込んだ。
「……子供(ガキ)に毒を盛り、部下(蘭)を傷つけた罪……」
「――万死(ばんし)に値する!」
数日後。北町奉行所、お白洲(しらす)。
『越後屋』と『唐紅屋』の二人が、後ろ手に縛られ、引き据えられていた。
奉行・坂上真一が、上段の間から、氷のような視線で見下ろしている。
「……越後屋伝兵衛、並びに唐紅屋」
「貴様らは、異国より未認可の劇薬を密輸し、『風邪薬』と偽って販売。多くの子供たちを健康被害に遭わせた」
「……申し開きはあるか」
越後屋が、脂汗を流しながら叫んだ。
「お、お待ちくだされ奉行様! これは全て、国益のため! 田沼意次様のご意向でございます!」
唐紅屋も喚く。
「そうだ! 我らを裁けば、田沼様が黙っていないぞ! 改革のための資金作りを……!」
「――ほう」
坂上が、冷ややかに返した。
「田沼殿の、意向と申すか」
「いかにも!」
二人が勝ち誇ったような顔をした、その時。
「――そのような覚えは、ござらんが?」
お白洲の空気が、一瞬で凍りついた。
入り口から、静かに、しかし圧倒的な威圧感を放ちながら、老中・田沼意次が現れた。
「た、田沼様……!?」
二人が、救いの神を見るような目で縋(すが)る。
「田沼様! どうか、この分からず屋の奉行に、一言……!」
田沼は、二人の前で足を止めた。
そして、汚らわしいものを見るような目で、鼻で笑った。
「……わたくしが命じたのは、国を富ませる『貿易』と『良薬』の開発でござる」
「……!」
「誰が、毒を売れと言った? 誰が、子供を犠牲にせよと言った?」
「そ、そんな……! 多少の犠牲は必要だと、あなたが……!」
「黙れ」
田沼の一喝が、お白洲を震わせた。
「……わたくしの名を騙(かた)り、私腹を肥やした下郎どもめ。……坂上奉行、そのような輩(やから)、わたくしは知らぬ。好きに裁かれよ」
トカゲの尻尾切り。
完璧な、政治的抹殺だった。
越後屋と唐紅屋は、絶望に口をパクパクと開閉させるしかなかった。
「……承知した」
坂上は、ゆっくりと立ち上がった。
その目は、田沼の冷酷な処断をも、織り込み済みだった。
「……越後屋、唐紅屋」
「後ろ盾(シールド)は、消えたぞ」
坂上は、おもむろに奉行の衣を脱ぎ捨てた。
露わになった背中の『仁王』が、秋の日差しを浴びて、怒りに燃えるように輝く。
「ひっ……!」
「に、仁王……!?」
「――その腐った性根、この"仁王の目"(まなこ)が、見逃すと思うたか!」
坂上の声が、轟いた。
「テメェらが毒牙にかけたのは、ただの子供じゃねえ! この江戸(くに)の『未来』だ!」
「その未来を食い物にした大罪! 政治(タヌキ)が許しても、この俺(オニ)が許さねえ!!」
「――市中引き回しの上、打首(うちくび)獄門(ごくもん)に処す!!」
「――引っ立てい!!」
「お、お助けをォォォ!」
二人の絶叫が、秋空に吸い込まれていった。
その様子を、田沼は表情一つ変えず、ただ扇子を揺らしながら見つめていた。
エピローグ。
事件は解決した。
『菊の屋』の跡地には、包帯だらけだが元気な赤太と、それを見舞う蘭の姿があった。
「いったあ……! 真さんの拳骨(げんこつ)、効いたなあ……」
「当たり前だろ! 勝手なことするからだよ!」
蘭が、赤太の口に団子を押し込む。
「……でも、ありがとね。赤太」
「……へへ」
少し離れた場所で、雪之丞が「見回り」と称して、茶屋の縁台で居眠りをしている。
平和な日常が、戻ってきていた。
その頃。
『宵闇そば』の奥座敷。
そこには、異様な組み合わせの二人が、膳を挟んで向かい合っていた。
坂上真一と、田沼意次である。
喜助が、緊張した面持ちで、坂上の前には「竹水筒(新調した新品)」を、田沼の前には「最高級の茶」を置く。
「……見事な裁きでしたな、坂上奉行」
田沼が、茶をすすりながら、不敵に笑う。
「あの二人を切り捨てることで、わたくしへの批判も逸(そ)らす。……計算づくですかな?」
坂上は、コーヒーを一口飲んだ。
「……俺は、現場(げんば)のゴミを掃除しただけだ。……上の『汚れ』までは、手が届かんのでな」
強烈な皮肉。
だが、田沼は声を上げて笑った。
「カッカッカ! 面白い。……清廉潔白なだけの正義漢かと思うたが、どうやら違うようだ」
田沼は、扇子で坂上を指した。
「……その『仁王』。使い勝手が良さそうだ。……これからも、わたくしの『改革』の邪魔にならぬ範囲で、精々(せいぜい)暴れてくだされ」
「……御免被(こうむ)る」
坂上は、冷たく返した。
「……俺の『正義(ジャスティス)』は、誰のためでもない。……俺が守るべきと判断(ジャッジ)したもののためにだけ、振るう」
田沼は、ニヤリと笑い、席を立った。
「……楽しみにしておりますぞ。……異界の匂いがする、鬼奉行殿」
田沼が去った後、坂上は、深く息を吐き、残ったコーヒーを一気に飲み干した。
喜助が、奥から顔を出す。
「……やれやれ。とんでもねえ客を連れ込んでくれたもんだ。……毒でも盛ってやりたかったぜ」
「……やめておけ。あれは、毒も喰らう化け物だ」
坂上は、空になった水筒を見つめた。
相模屋の一件、そして今回の偽薬騒動。
江戸の闇は深く、そしてその頂点には、田沼という巨大な壁がある。
だが。
(……悪くない)
坂上は、遠くで聞こえる、蘭と赤太の笑い声に、耳を傾けた。
(……守るべきものが、ここにはある)
「……喜助。おかわりだ。濃いめで頼む」
「へいよ」
坂上真一の、江戸での戦いは、まだ始まったばかりである。
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