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EP 41
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『御城の呼び出しと、接待将棋』を執筆します。
第41話『御城の呼び出しと、接待将棋』
江戸城、本丸御殿。
その広大な廊下を、北町奉行・坂上真一は、音もなく進んでいた。
(……いつの時代も、権力の中枢というのは、空気が重いな)
坂上(中身50歳)は、統合幕僚監部(市ヶ谷)に出向していた頃の、胃の痛くなるような日々を思い出していた。
現場(海)の論理が通じない、政治とメンツが支配する場所。
そして今日、彼が呼び出されたのは、その頂点――将軍・徳川家治(とくがわ いえはる)の御前であった。
「――北町奉行、坂上真一。参りました」
「うむ。入れ」
襖が開く。
上段の間に座していたのは、痩せ型だが、眼光の鋭い男。
第10代将軍、徳川家治である。
その前には、将棋盤が置かれていた。
「……面を上げよ」
「はっ」
「坂上。そちは、将棋を嗜むと聞いた。……一局、相手をせよ」
これは、「命令」である。
坂上は、一礼して盤の前に座った。
周囲には、老中・田沼意次や、側用人たちが控えている。その中には、冷ややかな目でこちらを見る、若きエリート老中・水野忠邦(みずの ただくに)の姿もあった。
(……接待将棋、か)
坂上は、心の中で溜息をついた。
彼は、現代の知識と、指揮官としての戦略眼を持っている。将棋の腕前も、海自時代に鍛えたものだ。
本気で打てば、勝てるかもしれない。
だが、相手は将軍。勝ってはいけないし、かといって、露骨に手を抜いて負けるのも、相手の機嫌を損ねる。
「……では、参ります」
パチリ。
静寂な御殿に、駒音が響く。
家治の指し手は、攻撃的だった。
まるで、獲物を追い詰める鷹のように、鋭く、執拗に坂上の王将を狙ってくる。
(……強いな)
坂上は、冷静に盤面を分析(スキャン)する。
(……だが、守りが薄い。こちらの『角』を使えば、5手で詰めるルートが見える)
坂上の脳内シミュレーションが、勝利への道筋(ビクトリー・ロード)を映し出す。
しかし、彼はその手を封印した。
彼は、あえて攻め急がず、家治の攻撃を受け流し、盤面を複雑に攪拌(かくはん)する手を選んだ。
(……ギリギリの接戦を演じ、最後は僅差で『惜敗』する)
(……それが、官僚(奉行)としての『正解(ミッション)』だ)
「……ほう」
家治が、眉を動かした。
「……そこへ、逃げるか。……粘るのう、坂上」
「……上様(うえさま)の攻めが、あまりに鋭いですゆえ」
パチリ、パチリ。
手が進むにつれ、家治の表情に、純粋な「熱」が帯びてきた。
坂上の「接待」は、完璧だった。
家治に「苦戦の末の勝利」という、最高の果実を与えるための、緻密な計算。
だが。
終盤、家治が、不意に手を止めた。
「……坂上」
「はっ」
「……近頃、城下が『煙(けむ)』たいのう」
坂上は、顔を上げずに答えた。
「……煙、でございますか」
「うむ。火事の煙ではない。……人の心を惑わし、世を濁らせる、白き煙よ」
(……!)
坂上の指先が、わずかに止まる。
家治は、盤面を見つめたまま、独り言のように続けた。
「……余の庭(江戸)に、奇妙な『毒』が蔓延り始めておる。……そちの鼻には、届いておらぬか?」
それは、ただの世間話ではなかった。
将軍という最高権力者特有の、情報網と直感。
坂上は、即座に理解した。
(……何かを、掴んでいる)
その時。
「――上様のおっしゃる通りにございます!」
鋭い声が、静寂を破った。
控えていた水野忠邦が、身を乗り出していた。
「……近頃、江戸市中にて、人心を乱す『薬』が出回っております。……その出処は、長崎!」
水野は、隣に座る田沼意次を、射殺さんばかりに睨みつけた。
「……田沼殿が進める『南蛮貿易』。……その船底に、何が隠されているか。……吟味する必要がございますな」
田沼は、扇子で口元を隠し、涼しい顔をしている。
「……水野殿。証拠もなく、そのような物言いは感心しませぬな。貿易は、国の富を増やすため」
「その富が、毒となって民を蝕んでいると申しておるのだ!」
御前での、露骨な舌戦。
家治は、それを止めるでもなく、パチリ、と駒を指した。
「……坂上」
「……は」
「……この勝負。……どう見る?」
坂上は、盤面を見た。
家治の手は、坂上の王将を詰みに追い込む「王手」だった。
だが、同時に、それは坂上に対する「問い」でもあった。
(……この政治闘争。田沼と水野の戦い)
(……お前は、どちらの『駒』として動く?)
坂上は、深々と頭を下げた。
「……参りました。……私の、負けにございます」
家治は、満足げに、しかし意味深に笑った。
「……よい勝負であった。……だが、次は勝てよ。坂上」
「……余は、弱い駒は、好かぬ」
「……御意」
退出の刻。
廊下ですれ違いざま、水野忠邦が、坂上に聞こえるように呟いた。
「……腐敗の煙は、早急に断たねばなりませぬな」
「……北町奉行殿も、田沼殿の『腰巾着』で終わらぬよう、お気をつけることですな」
坂上は、無言で一礼し、その背中を見送った。
城を出て、外の空気を吸う。
空は晴れていたが、坂上の肌には、まとわりつくような湿度が感じられた。
(……腰巾着、か)
坂上は、懐の竹水筒を取り出し、冷めたコーヒーを一口飲んだ。
苦味が、口の中に広がる。
(……家治様の言葉。『白き煙』)
(……そして、水野の敵意)
坂上は、江戸の町を見下ろした。
平和に見えるその風景の裏で、
彼の知らない「毒」が、すでに回り始めている。
(……帰ったら、蘭と雪之丞を叩き起こすか)
坂上真一の、新たな「戦場」への出撃だった。
第41話『御城の呼び出しと、接待将棋』
江戸城、本丸御殿。
その広大な廊下を、北町奉行・坂上真一は、音もなく進んでいた。
(……いつの時代も、権力の中枢というのは、空気が重いな)
坂上(中身50歳)は、統合幕僚監部(市ヶ谷)に出向していた頃の、胃の痛くなるような日々を思い出していた。
現場(海)の論理が通じない、政治とメンツが支配する場所。
そして今日、彼が呼び出されたのは、その頂点――将軍・徳川家治(とくがわ いえはる)の御前であった。
「――北町奉行、坂上真一。参りました」
「うむ。入れ」
襖が開く。
上段の間に座していたのは、痩せ型だが、眼光の鋭い男。
第10代将軍、徳川家治である。
その前には、将棋盤が置かれていた。
「……面を上げよ」
「はっ」
「坂上。そちは、将棋を嗜むと聞いた。……一局、相手をせよ」
これは、「命令」である。
坂上は、一礼して盤の前に座った。
周囲には、老中・田沼意次や、側用人たちが控えている。その中には、冷ややかな目でこちらを見る、若きエリート老中・水野忠邦(みずの ただくに)の姿もあった。
(……接待将棋、か)
坂上は、心の中で溜息をついた。
彼は、現代の知識と、指揮官としての戦略眼を持っている。将棋の腕前も、海自時代に鍛えたものだ。
本気で打てば、勝てるかもしれない。
だが、相手は将軍。勝ってはいけないし、かといって、露骨に手を抜いて負けるのも、相手の機嫌を損ねる。
「……では、参ります」
パチリ。
静寂な御殿に、駒音が響く。
家治の指し手は、攻撃的だった。
まるで、獲物を追い詰める鷹のように、鋭く、執拗に坂上の王将を狙ってくる。
(……強いな)
坂上は、冷静に盤面を分析(スキャン)する。
(……だが、守りが薄い。こちらの『角』を使えば、5手で詰めるルートが見える)
坂上の脳内シミュレーションが、勝利への道筋(ビクトリー・ロード)を映し出す。
しかし、彼はその手を封印した。
彼は、あえて攻め急がず、家治の攻撃を受け流し、盤面を複雑に攪拌(かくはん)する手を選んだ。
(……ギリギリの接戦を演じ、最後は僅差で『惜敗』する)
(……それが、官僚(奉行)としての『正解(ミッション)』だ)
「……ほう」
家治が、眉を動かした。
「……そこへ、逃げるか。……粘るのう、坂上」
「……上様(うえさま)の攻めが、あまりに鋭いですゆえ」
パチリ、パチリ。
手が進むにつれ、家治の表情に、純粋な「熱」が帯びてきた。
坂上の「接待」は、完璧だった。
家治に「苦戦の末の勝利」という、最高の果実を与えるための、緻密な計算。
だが。
終盤、家治が、不意に手を止めた。
「……坂上」
「はっ」
「……近頃、城下が『煙(けむ)』たいのう」
坂上は、顔を上げずに答えた。
「……煙、でございますか」
「うむ。火事の煙ではない。……人の心を惑わし、世を濁らせる、白き煙よ」
(……!)
坂上の指先が、わずかに止まる。
家治は、盤面を見つめたまま、独り言のように続けた。
「……余の庭(江戸)に、奇妙な『毒』が蔓延り始めておる。……そちの鼻には、届いておらぬか?」
それは、ただの世間話ではなかった。
将軍という最高権力者特有の、情報網と直感。
坂上は、即座に理解した。
(……何かを、掴んでいる)
その時。
「――上様のおっしゃる通りにございます!」
鋭い声が、静寂を破った。
控えていた水野忠邦が、身を乗り出していた。
「……近頃、江戸市中にて、人心を乱す『薬』が出回っております。……その出処は、長崎!」
水野は、隣に座る田沼意次を、射殺さんばかりに睨みつけた。
「……田沼殿が進める『南蛮貿易』。……その船底に、何が隠されているか。……吟味する必要がございますな」
田沼は、扇子で口元を隠し、涼しい顔をしている。
「……水野殿。証拠もなく、そのような物言いは感心しませぬな。貿易は、国の富を増やすため」
「その富が、毒となって民を蝕んでいると申しておるのだ!」
御前での、露骨な舌戦。
家治は、それを止めるでもなく、パチリ、と駒を指した。
「……坂上」
「……は」
「……この勝負。……どう見る?」
坂上は、盤面を見た。
家治の手は、坂上の王将を詰みに追い込む「王手」だった。
だが、同時に、それは坂上に対する「問い」でもあった。
(……この政治闘争。田沼と水野の戦い)
(……お前は、どちらの『駒』として動く?)
坂上は、深々と頭を下げた。
「……参りました。……私の、負けにございます」
家治は、満足げに、しかし意味深に笑った。
「……よい勝負であった。……だが、次は勝てよ。坂上」
「……余は、弱い駒は、好かぬ」
「……御意」
退出の刻。
廊下ですれ違いざま、水野忠邦が、坂上に聞こえるように呟いた。
「……腐敗の煙は、早急に断たねばなりませぬな」
「……北町奉行殿も、田沼殿の『腰巾着』で終わらぬよう、お気をつけることですな」
坂上は、無言で一礼し、その背中を見送った。
城を出て、外の空気を吸う。
空は晴れていたが、坂上の肌には、まとわりつくような湿度が感じられた。
(……腰巾着、か)
坂上は、懐の竹水筒を取り出し、冷めたコーヒーを一口飲んだ。
苦味が、口の中に広がる。
(……家治様の言葉。『白き煙』)
(……そして、水野の敵意)
坂上は、江戸の町を見下ろした。
平和に見えるその風景の裏で、
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