『一佐の裁き(いっさのさばき) 〜イージス艦長(50)、江戸北町奉行(25)に成り代わる〜』

月神世一

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EP 42

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『白い悪魔の蔓延』
江戸城から戻った坂上真一は、奉行所の執務室に戻るなり、ドサリと椅子(この時代には珍しい、腰痛対策の特注品)に体を預けた。
「……ふう」
将軍・家治との「接待将棋」。
そして、水野忠邦の突き刺すような「敵意」。
物理的な戦闘よりも、精神を削られる数時間だった。
坂上は、竹水筒の蓋を開け、温いコーヒーを一口含んだ。カフェインが、疲弊した脳に染み渡る。
(……白き煙、か)
(……水野は、田沼殿の貿易が原因だと言った。だが……)
バン!
坂上の思考を遮るように、執務室の襖が勢いよく開かれた。
「――御奉行様! 大変だよ!」
飛び込んできたのは、早乙女蘭だった。
いつも元気な彼女だが、今日はその顔色が蒼白だった。
後ろから、珍しく昼間から起きている雪之丞も、渋い顔で入ってくる。
「……どうした、蘭。騒々しい」
「騒いでなんかいられないよ! 町が……町がおかしいんだ!」
蘭は、息を切らせながら訴えた。
「……変な『薬』が、流行ってるんだ」
「薬?」
「『極楽丸(ごくらくまる)』って名前の……白い粉薬さ」
坂上の目が、スッと細められた。
「……続けろ」
「最初は、ただの痛み止めだって噂だった。飲むと、嫌なことを全部忘れて、天国に行った気分になれるって……。長屋の連中も、面白半分で手を出して……」
蘭の声が震えた。
「……でも、あんなの薬じゃない! 毒だよ!」
「飲んだ奴ら、最初はヘラヘラ笑ってるけど、薬が切れると……手足が震えて、泡を吹いて……。最後には、親の財布を盗んででも、その薬を欲しがるようになるんだ!」
「……中毒性、か」
坂上は、即座に理解した。
(……阿片(アヘン)だ)
(……家治様が言っていた『白き煙』とは、比喩ではなく、これのことか)
雪之丞が、重い口を開いた。
「……御奉行。俺も見てきました」
「……状況は」
「……最悪です。深川あたりの裏路地じゃ、昼間っから虚ろな目をした連中が座り込んでる。……まるで、生きる屍(しかばね)だ」
雪之丞は、吐き捨てるように言った。
「……妙なのは、その『値段』です」
「値段?」
「……安すぎるんですよ。普通、そういう禁制の抜け荷(密輸品)ってのは、目が飛び出るほど高いもんでしょう? それが、蕎麦一杯より安く売られてやがる」
「……!」
坂上の脳内で、パズルのピースが噛み合った。
コーヒーを持つ手が、空中で止まる。
(……安い?)
(……利益度外視(ダンピング)?)
坂上(中身50歳)の、J-5仕込みの戦略眼が、事態の「裏」を読み解いていく。
通常の密輸組織なら、目的は「金」だ。リスクを冒す以上、高値で売らなければ割に合わない。
だが、この『極楽丸』は、異常な安値で、爆発的にばら撒かれている。
(……目的は、『金』ではない)
(……この薬を蔓延させ、江戸の治安を崩壊させること、そのものだ)
坂上の脳裏に、城での水野忠邦の言葉が蘇る。
『腐敗の煙は、早急に断たねばなりませぬな』
『田沼殿の進める貿易が、この阿片をもたらした』
もし、江戸中に阿片が蔓延し、その出処が「田沼派の商人」だと断定されたら?
田沼意次の政治生命は終わる。
そのために、誰かが――水野が、意図的に「毒」をばら撒いているとしたら?
(……自作自演(マッチポンプ)か)
(……政敵を倒すために、江戸の民を中毒にするだと……?)
坂上は、ギリ、と奥歯を噛み締めた。
相模屋や越後屋のような「私利私欲」の悪党とは違う。
「正義」という大義名分を掲げながら、平然と民を犠牲にする、冷徹な「政治の悪」の匂いがした。
「……蘭、雪之丞」
坂上は、水筒を机に置いた。
「……これは、単なる薬物事件ではない」
「……え?」
「……誰かが、意図的に江戸を壊そうとしている」
坂上は、立ち上がった。
「……奉行所(おもて)の捜査では、手遅れになる。おそらく、敵はすでに『証拠』を用意しているはずだ。田沼殿を犯人に仕立て上げるためのな」
「じゃあ、どうすんだい!?」
坂上は、奉行の羽織に手をかけた。
バサリ、と衣が落ちる。
下に着ていたのは、地味な着流し。
遊び人「真さん」の姿だった。
「……お上が動けねえなら、現場(おれ)が動く」
坂上は、懐に北辰一刀流の小太刀を忍ばせた。
「……雪之丞。お前は表から、被害状況をまとめろ。蘭は、喜助に繋げ。……俺は、『深川』へ潜る」
「……御奉行、まさか一人で?」
「……『真さん』なら、怪しまれんさ」
坂上の目に、静かな怒りの炎が灯った。
「……白い悪魔の正体、突き止めてやる」
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