『一佐の裁き(いっさのさばき) 〜イージス艦長(50)、江戸北町奉行(25)に成り代わる〜』

月神世一

文字の大きさ
43 / 70

EP 43

しおりを挟む
『清廉の仮面、水野の罠』
翌朝。
坂上真一は、遊び人「真さん」の格好で深川へ潜る……その前に、急遽、奉行の正装で江戸城へと登城していた。
事態が、坂上の予想を上回る速度で動いたからだ。
御前の広間には、張り詰めた空気が漂っていた。
将軍・家治の前で、水野忠邦が、鬼の首を取ったような顔で跪(ひざまず)いていた。
その横には、苦渋の表情を浮かべる田沼意次がいる。
「――上様! ご覧ください!」
水野が指し示したのは、運び込まれた数個の木箱だった。
蓋が開けられると、中には、あの白い悪魔――『極楽丸(阿片)』が、ぎっしりと詰まっていた。
「……これは」
家治が、扇子で口元を覆う。
「昨夜、我が配下が摘発した、抜け荷の証拠にございます!」
水野の声が、広間に響き渡る。
「押収場所は、日本橋の海産物問屋『浜田屋』の蔵……。田沼殿が、長崎貿易の『肝煎(きもいり)』として優遇されている店にございます!」
「なっ……!」
田沼が、声を荒らげた。
「水野殿! 浜田屋は、真っ当な商いで江戸に貢献してきた店だ! そのような物が、あるはずがない!」
「現に、ここにある!」
水野は、田沼を一喝した。
「田沼殿。貴殿が進める『開国』とやらが、この国に何をもたらしたか。……異国の毒を招き入れ、民を蝕み、一部の商人と結託して私腹を肥やす……。これが、貴殿の『改革』の正体か!」
「……覚えのないことだ! 誰かが、罠を……!」
「見苦しいぞ!」
水野は、将軍に向き直り、深く頭を下げた。
「上様。事ここに至っては、もはや猶予(ゆうよ)なりませぬ。……即刻、長崎の港を閉ざし、田沼殿の職務を停止すべきかと!」
広間が、どよめいた。
田沼失脚の決定的な瞬間だった。
その喧騒の隅で、坂上真一は、冷徹な目で水野忠邦を見つめていた。
(……早すぎる)
坂上(中身50歳)の脳内計算(シミュレーション)が、警鐘を鳴らしていた。
『極楽丸』が町で噂になり始めたのは、ほんの数日前だ。
北町奉行所(ウチ)や、喜助のような「裏」の情報網ですら、まだ出処(ルート)を掴めていない。
にも関わらず、水野は、昨夜の時点で「ピンポイント」に、田沼派の商人の蔵を急襲し、これだけの量の証拠を押収した。
(……まるで、『そこに在る』ことを、最初から知っていたかのようだ)
坂上は、水野の横顔を見た。
「清廉潔白」「改革の旗手」と謳(うた)われる、若きエリート老中。
その瞳の奥に、燃えるような「正義感」と、それ以上に冷たい「野心」を見た。
(……やはり、自作自演(マッチポンプ)か)
(……田沼を刺すために、自分で毒を置き、自分で見つけた)
家治が、静かに口を開いた。
「……田沼よ」
「は、はっ」
「……疑わしきは、罰せねばならぬ。……沙汰(さた)があるまで、屋敷にて謹慎せよ」
「……上様……!」
田沼が、ガックリと肩を落とす。
水野の口元が、微かに歪んだのを、坂上は見逃さなかった。
評定(ひょうじょう)の後、城の廊下で、坂上は水野とすれ違った。
「……見事な手際でございましたな、水野殿」
坂上が、低い声で声をかけた。
「北町奉行所も顔負けの、迅速な捜査……。感服いたしました」
水野は、足を止めず、前を見たまま答えた。
「……皮肉かな? 坂上奉行」
「……事実を述べたまでにございます」
「……腐った果実は、早めに枝から落とさねば、木そのものが枯れる。……私は、庭師として当然の仕事をしたまでだ」
水野は、冷ややかに坂上を一瞥(いちべつ)した。
「……貴殿も、枯れた木(田沼)にいつまでも縋(すが)りついていると……共に燃やすことになるぞ」
そう言い捨てて、水野は去っていった。
その背中には、一点の曇りもない「正義」の信念が見えた。
だが、坂上は知っている。
「正義」を暴走させた権力者が、どれほど恐ろしいかを。
(……やはり、クロだ)
(……あいつは、田沼を倒すためなら、江戸の町を焼き払うことすら厭(いと)わん)
坂上は、奉行所に戻る馬上で、懐の竹水筒を握りしめた。
城での政治闘争では、水野が勝った。
証拠(捏造されたものだとしても)がある以上、田沼の失脚は免れない。
だが、現場(ここ)は江戸だ。
盤上の駒は、まだ動いている。
(……お上が『正義』の仮面を被って毒を撒くなら)
(……その仮面、俺が剥(は)いでやる)
奉行所に戻った坂上は、待ち構えていた蘭と雪之丞に、無言で頷いた。
そして、再び奉行の衣を脱ぎ捨て、着流しに着替えた。
背中の仁王が、衣擦(きぬず)れの音と共に、一瞬だけ怒りの形相を覗かせる。
「……行くぞ」
「行き先は?」
雪之丞が問う。
坂上は、阿片の匂いが染み付いた、深川の方角を見据えた。
「……賭場(とば)だ」
「……水野の描いたシナリオ(筋書き)の、『裏』を暴きに行く」
遊び人「真さん」が、江戸の闇へと足を踏み出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

幻影の艦隊

竹本田重朗
歴史・時代
「ワレ幻影艦隊ナリ。コレヨリ貴軍ヒイテハ大日本帝国ヲタスケン」 ミッドウェー海戦より史実の道を踏み外す。第一機動艦隊が空襲を受けるところで謎の艦隊が出現した。彼らは発光信号を送ってくると直ちに行動を開始する。それは日本が歩むだろう破滅と没落の道を栄光へ修正する神の見えざる手だ。必要な時に現れては助けてくれるが戦いが終わるとフッと消えていく。幻たちは陸軍から内地まで至る所に浸透して修正を開始した。 ※何度おなじ話を書くんだと思われますがご容赦ください ※案の定、色々とツッコミどころ多いですが御愛嬌

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

処理中です...