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EP 44
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『真さん、賭場へ行く』
深川の夜は、昼間とは別の顔を持つ。
運河沿いの湿った風に乗って、男たちの欲望と、安酒の匂いが漂ってくる。
その一角にある、表向きは材木問屋の倉庫。
一歩中に入れば、そこは江戸最大級の「鉄火場(賭場)」だった。
「張った張った!」
「丁だ! 今度こそ丁だ!」
熱気とタバコの煙が充満する中、着流し姿の遊び人――「真さん」こと坂上真一は、盆(ぼん)の前にしゃがみ込んでいた。
懐には、雪之丞から(無理やり)借りた軍資金、一両。
(……環境音、湿度、照明の光量……悪くない)
坂上(中身50歳)は、周囲の喧騒をよそに、まるでCIC(戦闘情報センター)でソナー音を聞き分けるかのように、壺振り(ディーラー)の挙動を分析(スキャン)していた。
カラン、コロン……。
壺の中でサイコロが踊る音。
壺振りの男の、上腕二頭筋の微かな収縮。
そして、壺が盆に叩きつけられた瞬間の、微妙な「音」の濁り。
(……重心がズレているな)
(……この音は、鉛入りの細工サイコロだ)
坂上の脳内計算機が、確率(プロバビリティ)を弾き出す。
この壺振りの癖と、サイコロの重心から導き出される、次の出目は――。
「……半(ハン)だ」
坂上は、手持ちの札を、無造作に「半」に置いた。
「へい、半の目が出ました!」
「うおっ! またあの旦那か!」
これで、十連勝。
最初は小銭だった元手が、今や小判の山となっていた。
周囲の客たちが、この「ツイてる」遊び人にどよめく。
「すげえな兄ちゃん! 何か憑いてんのか!?」
「……さあね。今日は『北』の方角がいいって、易者(えきしゃ)に言われたんでね」
坂上は、人を食ったような笑みを浮かべた。
だが、その目は笑っていない。
彼の目的は、金ではない。
この賭場の「裏」に潜む、白い悪魔の尻尾を掴むことだ。
これだけ派手に勝てば、当然――。
「――おい、兄ちゃん」
低い声がした。
人垣が割れ、奥から強面の男たちが現れる。
この賭場を仕切る元締め、深川の辰(たつ)五郎だ。
「……随分と、稼ぎなさるねえ」
「運が良いだけでさぁ」
「……ふん。まあいい」
辰五郎は、坂上の積んだ小判の山を、扇子でポンと叩いた。
「……旦那。そんな端金(はしたがね)より、もっと『いい夢』……見てみたくはねえかい?」
坂上の眉が、ピクリと動いた。
(……来たか)
(……釣れた)
「いい夢、ねえ……。そいつは、幾らで買えるんで?」
「……こっちに来な。上客(じょうきゃく)だけの、特別室だ」
坂上は、小判の山を懐にねじ込むと、辰五郎の後に続いた。
賭場の喧騒が遠ざかり、薄暗い廊下を進む。
奥に行くにつれ、あの独特の――甘く、腐ったような匂いが鼻をつく。
(……阿片の匂いだ)
通されたのは、賭場の裏手にある土蔵だった。
重い扉が開かれる。
「……!」
坂上は、遊び人の表情を崩さぬよう、必死に感情を殺した。
そこは、阿片窟(あへんくつ)というよりは、「工場」だった。
数人の浪人や男たちが、黙々と作業をしている。
彼らが扱っているのは、白い粉――『極楽丸』。
だが、坂上の目を釘付けにしたのは、その「箱」だった。
男たちは、阿片を小分けにし、ある「焼き印」が押された木箱に、丁寧に詰めていたのだ。
その焼き印は――『田沼』家の家紋。
「……おい、丁寧にやれよ」
見張り役の浪人が、作業員を蹴り飛ばす。
「……水野様の、大事な『仕掛け』だ。……これを田沼の息がかかった店に置いておけば、あいつらは一巻の終わりだ」
(……決定打(エビデンス)だ)
坂上は、心の中で確信した。
やはり、この阿片騒動は、水野忠邦による自作自演。
田沼派の商人の蔵から見つかった阿片は、こうしてここで「偽装」され、運び込まれたものだったのだ。
「……どうだい、旦那」
辰五郎が、ニヤリと笑い、白い粉の包みを差し出した。
「……ひと吸いすれば、極楽へ行けるぜ? ……世の中の『憂さ』なんて、全部忘れちまえる」
坂上は、その包みを受け取った。
そして、それを指先で弄びながら、冷ややかな視線を辰五郎に向けた。
「……ああ、そうだな」
「……世の中、憂さ晴らしが必要だ」
坂上は、包みを握り潰した。
パラパラと、白い粉が床に落ちる。
「……あ?」
辰五郎の顔色が変わる。
「……てめえ、何しやがる!」
「……だがな、生憎(あいにく)と」
坂上は、着流しの懐から、北辰一刀流の小太刀を、音もなく抜き放った。
その身から発せられる殺気が、一瞬にして「遊び人」のそれを凌駕する。
「――俺の『憂さ』は、こんな粉じゃあ、晴らせねえんだよ」
「……貴様、何者だ!」
浪人たちが、一斉に刀に手をかける。
坂上は、不敵に笑った。
「……通りすがりの、ただの『遊び人』さ」
「……ただし、イカサマが大嫌いな、な」
深川の土蔵。
狭い空間で、一対多数の、命懸けのチャンバラが幕を開ける。
深川の夜は、昼間とは別の顔を持つ。
運河沿いの湿った風に乗って、男たちの欲望と、安酒の匂いが漂ってくる。
その一角にある、表向きは材木問屋の倉庫。
一歩中に入れば、そこは江戸最大級の「鉄火場(賭場)」だった。
「張った張った!」
「丁だ! 今度こそ丁だ!」
熱気とタバコの煙が充満する中、着流し姿の遊び人――「真さん」こと坂上真一は、盆(ぼん)の前にしゃがみ込んでいた。
懐には、雪之丞から(無理やり)借りた軍資金、一両。
(……環境音、湿度、照明の光量……悪くない)
坂上(中身50歳)は、周囲の喧騒をよそに、まるでCIC(戦闘情報センター)でソナー音を聞き分けるかのように、壺振り(ディーラー)の挙動を分析(スキャン)していた。
カラン、コロン……。
壺の中でサイコロが踊る音。
壺振りの男の、上腕二頭筋の微かな収縮。
そして、壺が盆に叩きつけられた瞬間の、微妙な「音」の濁り。
(……重心がズレているな)
(……この音は、鉛入りの細工サイコロだ)
坂上の脳内計算機が、確率(プロバビリティ)を弾き出す。
この壺振りの癖と、サイコロの重心から導き出される、次の出目は――。
「……半(ハン)だ」
坂上は、手持ちの札を、無造作に「半」に置いた。
「へい、半の目が出ました!」
「うおっ! またあの旦那か!」
これで、十連勝。
最初は小銭だった元手が、今や小判の山となっていた。
周囲の客たちが、この「ツイてる」遊び人にどよめく。
「すげえな兄ちゃん! 何か憑いてんのか!?」
「……さあね。今日は『北』の方角がいいって、易者(えきしゃ)に言われたんでね」
坂上は、人を食ったような笑みを浮かべた。
だが、その目は笑っていない。
彼の目的は、金ではない。
この賭場の「裏」に潜む、白い悪魔の尻尾を掴むことだ。
これだけ派手に勝てば、当然――。
「――おい、兄ちゃん」
低い声がした。
人垣が割れ、奥から強面の男たちが現れる。
この賭場を仕切る元締め、深川の辰(たつ)五郎だ。
「……随分と、稼ぎなさるねえ」
「運が良いだけでさぁ」
「……ふん。まあいい」
辰五郎は、坂上の積んだ小判の山を、扇子でポンと叩いた。
「……旦那。そんな端金(はしたがね)より、もっと『いい夢』……見てみたくはねえかい?」
坂上の眉が、ピクリと動いた。
(……来たか)
(……釣れた)
「いい夢、ねえ……。そいつは、幾らで買えるんで?」
「……こっちに来な。上客(じょうきゃく)だけの、特別室だ」
坂上は、小判の山を懐にねじ込むと、辰五郎の後に続いた。
賭場の喧騒が遠ざかり、薄暗い廊下を進む。
奥に行くにつれ、あの独特の――甘く、腐ったような匂いが鼻をつく。
(……阿片の匂いだ)
通されたのは、賭場の裏手にある土蔵だった。
重い扉が開かれる。
「……!」
坂上は、遊び人の表情を崩さぬよう、必死に感情を殺した。
そこは、阿片窟(あへんくつ)というよりは、「工場」だった。
数人の浪人や男たちが、黙々と作業をしている。
彼らが扱っているのは、白い粉――『極楽丸』。
だが、坂上の目を釘付けにしたのは、その「箱」だった。
男たちは、阿片を小分けにし、ある「焼き印」が押された木箱に、丁寧に詰めていたのだ。
その焼き印は――『田沼』家の家紋。
「……おい、丁寧にやれよ」
見張り役の浪人が、作業員を蹴り飛ばす。
「……水野様の、大事な『仕掛け』だ。……これを田沼の息がかかった店に置いておけば、あいつらは一巻の終わりだ」
(……決定打(エビデンス)だ)
坂上は、心の中で確信した。
やはり、この阿片騒動は、水野忠邦による自作自演。
田沼派の商人の蔵から見つかった阿片は、こうしてここで「偽装」され、運び込まれたものだったのだ。
「……どうだい、旦那」
辰五郎が、ニヤリと笑い、白い粉の包みを差し出した。
「……ひと吸いすれば、極楽へ行けるぜ? ……世の中の『憂さ』なんて、全部忘れちまえる」
坂上は、その包みを受け取った。
そして、それを指先で弄びながら、冷ややかな視線を辰五郎に向けた。
「……ああ、そうだな」
「……世の中、憂さ晴らしが必要だ」
坂上は、包みを握り潰した。
パラパラと、白い粉が床に落ちる。
「……あ?」
辰五郎の顔色が変わる。
「……てめえ、何しやがる!」
「……だがな、生憎(あいにく)と」
坂上は、着流しの懐から、北辰一刀流の小太刀を、音もなく抜き放った。
その身から発せられる殺気が、一瞬にして「遊び人」のそれを凌駕する。
「――俺の『憂さ』は、こんな粉じゃあ、晴らせねえんだよ」
「……貴様、何者だ!」
浪人たちが、一斉に刀に手をかける。
坂上は、不敵に笑った。
「……通りすがりの、ただの『遊び人』さ」
「……ただし、イカサマが大嫌いな、な」
深川の土蔵。
狭い空間で、一対多数の、命懸けのチャンバラが幕を開ける。
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