『一佐の裁き(いっさのさばき) 〜イージス艦長(50)、江戸北町奉行(25)に成り代わる〜』

月神世一

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EP 46

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『将軍の「待った」』
翌日。江戸城、本丸御殿。
「……」
坂上真一は、将軍・徳川家治の対面に座していた。
その表情は、能面のように静かである。
だが、裃(かみしも)の下、左腕に巻かれた晒(さらし)は、昨夜の傷口から滲む血で、じっとりと重くなっていた。
(……痛み止め(鎮痛剤)が切れてきたか)
坂上は、盤面に手を伸ばした。
指先が、微かに震えるのを、精神力で抑え込む。
昨夜の深川での死闘。骨が見えるほどの裂傷。
本来なら絶対安静の状態だが、今日の「手番」だけは、譲るわけにはいかなかった。
パチリ。
駒音が、静寂な御殿に響く。
「……坂上」
家治が、扇子を閉じながら呟いた。
「……今日のそちは、精彩を欠くな」
「……申し訳ございません。昨夜、少々……寝不足でして」
坂上は、平伏して誤魔化した。
「……ふむ」
家治は、坂上の左腕を一瞬だけ見つめた。
その鋭い眼光は、厚い着物の下にある「血の匂い」すら嗅ぎ取っているかのようだった。
だが、家治は何も言わず、盤面に視線を戻した。
「……水野が、騒いでおるぞ」
家治が、将棋を指しながら、世間話のように切り出した。
「田沼の息がかかった蔵から、大量の阿片が出たとな。……あれは、もう田沼の首を取った気でおる」
「……左様でございますか」
「……坂上。そちは、どう見る?」
家治の手が止まる。
「……あれは、真(まこと)に、田沼の仕業か?」
試されている。
坂上は、呼吸を整えた。ここで「水野の陰謀です」と告発するのは簡単だ。だが、証拠(エビデンス)はまだ、坂上の記憶の中にしかない。
「……盤面は、まだ動いております」
坂上は、慎重に言葉を選んだ。
「……一見、詰みに見えても、裏に『伏兵』が潜んでいることもございます」
「……ククッ」
家治が、喉の奥で笑った。
そして、手駒の「桂馬(けいま)」を掴むと、盤面中央に、バチン! と高く打ち込んだ。
「……桂馬か」
家治が呟く。
「……この駒は、面白い。前の駒を飛び越え、敵陣深く切り込む」
「……まるで、若き日の水野のようよ」
家治は、その桂馬を扇子で指した。
「……だがな、坂上。飛び道具というのは、使いすぎると身を滅ぼす」
「……前のめりになりすぎて、足元がお留守になれば……。ただの『成り金』に取られるだけよ」
(……!)
坂上は、息を呑んだ。
家治は、知っている。
水野の「正義」が暴走し、禁じ手(マッチポンプ)に手を染めている可能性を、この聡明な将軍は、直感で察知している。
「……上様」
「……余はな、坂上」
家治が、坂上を射抜くように見据えた。
「……退屈な将棋は、好かぬ」
「……一方的に嬲(なぶ)り殺しにするような、仕組まれた勝負など、見たくもない」
それは、暗黙の「許可(オーダー)」だった。
『水野の描いた、退屈な筋書き(シナリオ)をぶち壊せ』
『面白い勝負を、余に見せろ』
「……坂上。その腕の傷」
家治が、唐突に言った。
「……!」
「……将棋に支障が出るなら、下がって療養せよ」
家治は、盤上の駒を崩した。
「……今日の勝負は、預かりとする」
「……盤上ではなく、江戸という『大盤』での……そちの一手を、待っているぞ」
「…………」
坂上は、深々と平伏した。
体の痛みが、不思議と引いていた。
代わりに、腹の底から熱いものが込み上げてくる。
(……御意)
(……最高の『一手』、お見せしましょう)
「……ははっ! ありがたき幸せ!」
坂上は退出した。
廊下に出ると、そこには心配そうな顔をした雪之丞が待っていた。
「……御奉行、大丈夫ですか? 顔色が……」
「……雪之丞」
坂上は、ニヤリと笑った。
その笑顔は、痛みによるものではなく、獲物を前にした肉食獣のものだった。
「……上様から、『待った』がかかった」
「……へ?」
「……この勝負、まだ終わっていない。……いや、ここからが本番だ」
坂上は、傷ついた左腕を庇いながらも、力強く歩き出した。
「……蘭と喜助を呼べ。『反撃(カウンター)』の時間だ」
「……ターゲットは、水野忠邦の『本丸』だ」
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