『一佐の裁き(いっさのさばき) 〜イージス艦長(50)、江戸北町奉行(25)に成り代わる〜』

月神世一

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EP 48

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『トカゲの尻尾切り』
翌朝。江戸城、本丸御殿。
早朝の緊急招集に応じ、将軍・徳川家治の前には、北町奉行・坂上真一、老中・田沼意次、そして水野忠邦が顔を揃えていた。
広間の空気は、張り詰めた弦のように硬い。
坂上は、昨夜押収した「証拠の品々」を、家治の前に提示した。
「――上様。これが、本所の旗本屋敷地下より押収した、『極楽丸(阿片)』および、その製造道具一式にございます」
坂上の声が朗々と響く。
「また、現場にて捕縛した浪人は、水野家の家臣であると確認いたしました。……この計画書には、田沼殿の息がかかった商人を標的に、偽装工作を行う手順が記されております」
田沼意次が、憤激して水野を睨みつけた。
「水野殿! やはり貴殿の仕業か! 私を陥れるために、毒を撒き、民を犠牲にしたというのか!」
「…………」
水野忠邦は、その罵声を浴びても、表情一つ変えていなかった。
能面のような冷徹さで、証拠の品々を一瞥すると、深くため息をついた。
「……なんと嘆かわしい」
「な、何だと!?」
田沼が目を剥く。
水野は、家治に向かって、深く、長く、平伏した。
「……上様。誠に、申し訳ございませぬ。……我が家臣が、これほどまでに愚かであったとは」
「……ほう」
家治が、扇子で口元を隠しながら、冷ややかな視線を送る。
「……水野。そちは知らぬと申すか?」
水野は顔を上げた。その目には、一点の曇りもない――ように見える、「憂国の士」の色があった。
「はい。……あの浪人は、私の正義感に感化されすぎるきらいがございました。『田沼殿の不正を正したい』という私の想いを、誤った形で解釈し……功を焦って、このような暴挙に出たのでございましょう」
「嘘をつけ!」
坂上が叫びそうになるのを、理性で抑え込む。
(……見事なものだ)
(……最初から、発覚した時の「言い訳」まで用意していたか)
水野は続けた。
「家臣の監督不行き届きは、主君の罪。……この水野忠邦、いかなる処分も甘んじてお受けいたします。……ですが、断じて、私自身が民に毒を盛るよう命じた覚えはございませぬ!」
その言葉には、恐ろしいほどの説得力があった。
なぜなら、水野自身は本気で「自分は正義のために戦っている」と信じているからだ。
「悪を倒すための多少の犠牲」は、彼の中では「必要悪」として処理されている。だからこそ、良心の呵責など微塵もない。
家治は、しばらく沈黙した。
その目は、水野の腹の底まで見透かしているようでもあり、あるいは、この政治劇を楽しんでいるようでもあった。
「……あい分かった」
家治が、扇子を閉じた。
「……水野。家臣の不始末、重いぞ。……当面の間、登城を禁じ、屋敷にて謹慎を申し付ける」
「……ははっ」
「田沼よ。そちへの疑いは晴れた。……長崎の港は、これまで通り開いておけ」
「あ、ありがたき幸せ……!」
田沼が安堵の息を漏らす。
「……坂上」
「はっ」
「……大儀であった。……下がって休め」
裁定は下った。
水野は「謹慎」。失脚でも、切腹でもない。
政治的なダメージは受けるだろうが、彼の首は繋がった。
トカゲの尻尾切り。
実行犯である家臣たちだけが、全ての罪を被ることになる。
評定の後、廊下にて。
坂上は、退出する水野忠邦を呼び止めた。
「……水野殿」
「……なんだ、坂上奉行」
水野は、悪びれる様子もなく振り返った。
「……貴殿の家臣たちは、お白洲で裁かれることになります。……それでも、知らぬ存ぜぬを通すおつもりか」
水野は、冷たい目で坂上を見た。
「……彼らも武士だ。主家を守るためなら、泥を被る覚悟はできているはず。……それが、『忠義』というものだ」
「……その忠義を利用し、使い捨てるのが、貴殿の正義か」
「……奇麗事(きれいごと)では、国は守れんよ」
水野は、吐き捨てるように言った。
「……田沼の毒(腐敗)は、いずれ必ず私が断つ。……今回は、貴殿の『小細工』に免じて、引いてやるだけだ」
水野は足早に去っていった。
その背中は、どこまでも傲慢で、そして孤独だった。
「……クソッ」
坂上は、拳を壁に叩きつけた。
痛みは、昨夜の傷よりも、胸の奥の方が鋭かった。
(……本丸(水野)は、落とせなかった)
(……あいつはまた、必ずやる)
だが、坂上はすぐに冷静さを取り戻した。
(……いや、最低限の目的(ミッション)は達成した)
(……阿片の拡散は止めた。田沼殿の失脚も防いだ)
(……今は、それで良しとするしかない)
坂上は、空を見上げた。
「……だが、まだ終わりじゃない」
水野が切り捨てた「尻尾」たち。
実行犯である浪人や、阿片工場の作業員たち。
彼らをお白洲で裁く時、水野に最後の「一撃」を見舞ってやる。
それが、現場を預かる奉行としての、せめてもの意地だった。
坂上は、奉行所へと足を向けた。
そこには、彼の帰りを待つ、雪之丞や蘭、喜助たちがいる。
彼らと共に、最後の仕上げ――「仁王の裁き」へと挑むために。
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