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EP 51
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『京からの「貴人」、下種な本性』
日本橋の大通りが、異様な静けさと、好奇の目に包まれていた。
人々の視線の先には、大名行列とは明らかに異質の、雅(みやび)で、しかしどこか古めかしい行列が進んでいた。
「……へえ。あれが、京(みやこ)からの勅使(ちょくし)様かい」
「公家(くげ)様だろ? お公家様が、なんでまた江戸に?」
行列の中心には、金箔を施した豪奢な牛車(ぎっしゃ)。
その御簾(みす)の中から、白粉(おしろい)を塗った不気味な顔が、扇子片手に外を覗いていた。
今回の勅使、冷小路(かでのこうじ)である。
「……ほっほ。ここが東夷(あずまえびす)の都、江戸でおじゃるか」
冷小路は、鼻に手をやった。
「……獣(けもの)臭い。埃(ほこり)臭い。……やはり、京の雅(みやび)には程遠いのう」
その目は、町人たちを「人間」として見ていなかった。路傍の石か、あるいは家畜を見る目だった。
「……ん?」
その冷小路の目が、一人の町娘に釘付けになった。
呉服屋の看板娘、サキだった。若く、弾けるような笑顔で客と話している。
「……ほう」
冷小路が、ねっとりとした舌で唇を湿らせた。
「……江戸の女(おなご)は、京とは違う、野趣(やしゅ)溢れる美しさがあるのう」
「……一本、摘(つ)んで参れ」
冷小路は、まるで道端の花を折るかのように、軽く護衛の侍に命じた。
「――はっ」
「キャッ!?」
突然、サキの悲鳴が上がった。
行列の護衛たちが、強引にサキの腕を掴み、行列の方へと引きずり込もうとしたのだ。
「な、何するんですか! 離して!」
「静かにせよ! 冷小路様が、屋敷で『茶』を振る舞うと仰せだ。有難く思え!」
「嫌! 嫌です!」
往来の人々が凍りつく中、一人の影が飛び出した。
「――何してやがる!!」
早乙女蘭だった。
蘭は、サキと侍の間に割って入ると、護衛の手を払い除けた。
「真っ昼間から、人攫(ひとさら)いかい! どこの田舎モンか知らないが、江戸じゃあ通用しないよ!」
「……田舎モン、だと?」
牛車の中から、冷ややかな声が響いた。
冷小路が、扇子で口元を隠し、蘭を見下ろしている。
「……麻呂(まろ)を、誰だと心得る」
「あんたが誰だろうと、娘が嫌がってるだろ!」
「……下種(げす)が」
冷小路は、護衛に目配せした。
「……帝(みかど)の親戚たる公家に、口答えするか。……斬り捨てよ」
「なっ……!」
蘭が身構えるより早く、護衛の侍たちが抜刀し、切っ先を突きつけた。
「――控えろ、下郎!」
護衛の怒声が轟く。
「あらせられるは、京よりの勅使、冷小路様であらせられるぞ! その身に指一本でも触れてみろ、貴様の首だけでなく、一族郎党、江戸の町奉行ごと消し飛ぶぞ!」
「……!」
蘭の足が止まった。
公家。帝。勅使。
その言葉の重みは、一介の岡っ引きである蘭を押し潰すに十分だった。
「……連れて行け」
「はい!」
「いやぁ! 助けて! 蘭ちゃん!」
サキが泣き叫びながら、無理やり牛車の後ろの駕籠(かご)に押し込まれる。
蘭は、震える拳を握りしめることしかできなかった。
周囲の町人たちも、誰も動けない。
相手は、「お上(幕府)」ですら頭が上がらない、「雲の上の存在」なのだ。
「……ほっほ。威勢の良い女も嫌いではないが……まずは、あの娘で味見でおじゃるな」
冷小路の下卑た笑い声を残し、行列は悠然と去っていった。
北町奉行所、執務室。
「――ふざけんじゃないよ!!」
蘭の怒号が響き渡った。
彼女は、悔しさで涙目になりながら、事の顛末(てんまつ)を坂上真一にぶちまけた。
「目の前だよ!? 目の前で、サキちゃんが連れて行かれたんだ! なのに、手出しするなって……!」
坂上は、無言でコーヒーを飲んでいた。
だが、竹水筒を持つ手には、青筋が浮いている。
その横で、同心・平上雪之丞が、かつてないほど苦い顔で言った。
「……蘭。今回ばかりは、相手が悪すぎる」
「雪の旦那まで! 相手が公家なら、犯罪も許されるのかい!?」
「……許されはしねえ。だが、手が出せねえんだ」
雪之丞は、吐き捨てるように言った。
「……公家ってのはな、幕府の役人じゃねえ。京の朝廷の人間だ。俺たち町方の法律(公事方御定書)で裁ける相手じゃねえんだよ」
「……治外法権(ちがいほうけん)、か」
坂上が、ポツリと漏らした。
「……え?」
「……外交特権を持った大使館員が、駐在国で罪を犯しても、その国の法律では逮捕できない……。それと同じ理屈だ」
坂上(中身50歳)の脳裏に、現代の国際政治の不条理が過(よぎ)る。
どんなに明らかな犯罪でも、「身分」と「条約」の壁に阻まれ、指をくわえて見ているしかない状況。
それが今、江戸のど真ん中で起きている。
「じゃあ、どうするんですか!」
蘭が机を叩く。
「サキちゃんは、今もあの屋敷で……!」
「……奉行所(おもて)からは、動けん」
坂上は、冷徹な事実を告げた。
「俺が動けば、幕府と朝廷の外交問題になる。……老中たちも、公家の機嫌を損ねることを何より恐れている」
「そんな……!」
蘭が絶望に顔を歪める。
坂上は、立ち上がった。
窓の外、冷小路が滞在しているであろう、高輪(たかなわ)の方角を睨みつける。
(……特権階級)
(……帝の威光を笠に着て、弱い者を食い物にするハイエナか)
坂上の瞳に、静かな、しかし灼熱(しゃくねつ)の怒りが灯った。
「……だが」
坂上は、竹水筒を強く握りしめた。
「……ここは俺の管轄(シマ)、江戸だ」
「……京のルールが、どこまで通用するか……試してみる価値はある」
「……御奉行?」
「……雪之丞。喜助を呼べ。……まずは、敵(ターゲット)の『裏』を洗う」
坂上真一は、まだ動かない。
だが、その胸中では、法で裁けぬ悪を断つための、最も危険な「作戦」が組み立てられ始めていた。
日本橋の大通りが、異様な静けさと、好奇の目に包まれていた。
人々の視線の先には、大名行列とは明らかに異質の、雅(みやび)で、しかしどこか古めかしい行列が進んでいた。
「……へえ。あれが、京(みやこ)からの勅使(ちょくし)様かい」
「公家(くげ)様だろ? お公家様が、なんでまた江戸に?」
行列の中心には、金箔を施した豪奢な牛車(ぎっしゃ)。
その御簾(みす)の中から、白粉(おしろい)を塗った不気味な顔が、扇子片手に外を覗いていた。
今回の勅使、冷小路(かでのこうじ)である。
「……ほっほ。ここが東夷(あずまえびす)の都、江戸でおじゃるか」
冷小路は、鼻に手をやった。
「……獣(けもの)臭い。埃(ほこり)臭い。……やはり、京の雅(みやび)には程遠いのう」
その目は、町人たちを「人間」として見ていなかった。路傍の石か、あるいは家畜を見る目だった。
「……ん?」
その冷小路の目が、一人の町娘に釘付けになった。
呉服屋の看板娘、サキだった。若く、弾けるような笑顔で客と話している。
「……ほう」
冷小路が、ねっとりとした舌で唇を湿らせた。
「……江戸の女(おなご)は、京とは違う、野趣(やしゅ)溢れる美しさがあるのう」
「……一本、摘(つ)んで参れ」
冷小路は、まるで道端の花を折るかのように、軽く護衛の侍に命じた。
「――はっ」
「キャッ!?」
突然、サキの悲鳴が上がった。
行列の護衛たちが、強引にサキの腕を掴み、行列の方へと引きずり込もうとしたのだ。
「な、何するんですか! 離して!」
「静かにせよ! 冷小路様が、屋敷で『茶』を振る舞うと仰せだ。有難く思え!」
「嫌! 嫌です!」
往来の人々が凍りつく中、一人の影が飛び出した。
「――何してやがる!!」
早乙女蘭だった。
蘭は、サキと侍の間に割って入ると、護衛の手を払い除けた。
「真っ昼間から、人攫(ひとさら)いかい! どこの田舎モンか知らないが、江戸じゃあ通用しないよ!」
「……田舎モン、だと?」
牛車の中から、冷ややかな声が響いた。
冷小路が、扇子で口元を隠し、蘭を見下ろしている。
「……麻呂(まろ)を、誰だと心得る」
「あんたが誰だろうと、娘が嫌がってるだろ!」
「……下種(げす)が」
冷小路は、護衛に目配せした。
「……帝(みかど)の親戚たる公家に、口答えするか。……斬り捨てよ」
「なっ……!」
蘭が身構えるより早く、護衛の侍たちが抜刀し、切っ先を突きつけた。
「――控えろ、下郎!」
護衛の怒声が轟く。
「あらせられるは、京よりの勅使、冷小路様であらせられるぞ! その身に指一本でも触れてみろ、貴様の首だけでなく、一族郎党、江戸の町奉行ごと消し飛ぶぞ!」
「……!」
蘭の足が止まった。
公家。帝。勅使。
その言葉の重みは、一介の岡っ引きである蘭を押し潰すに十分だった。
「……連れて行け」
「はい!」
「いやぁ! 助けて! 蘭ちゃん!」
サキが泣き叫びながら、無理やり牛車の後ろの駕籠(かご)に押し込まれる。
蘭は、震える拳を握りしめることしかできなかった。
周囲の町人たちも、誰も動けない。
相手は、「お上(幕府)」ですら頭が上がらない、「雲の上の存在」なのだ。
「……ほっほ。威勢の良い女も嫌いではないが……まずは、あの娘で味見でおじゃるな」
冷小路の下卑た笑い声を残し、行列は悠然と去っていった。
北町奉行所、執務室。
「――ふざけんじゃないよ!!」
蘭の怒号が響き渡った。
彼女は、悔しさで涙目になりながら、事の顛末(てんまつ)を坂上真一にぶちまけた。
「目の前だよ!? 目の前で、サキちゃんが連れて行かれたんだ! なのに、手出しするなって……!」
坂上は、無言でコーヒーを飲んでいた。
だが、竹水筒を持つ手には、青筋が浮いている。
その横で、同心・平上雪之丞が、かつてないほど苦い顔で言った。
「……蘭。今回ばかりは、相手が悪すぎる」
「雪の旦那まで! 相手が公家なら、犯罪も許されるのかい!?」
「……許されはしねえ。だが、手が出せねえんだ」
雪之丞は、吐き捨てるように言った。
「……公家ってのはな、幕府の役人じゃねえ。京の朝廷の人間だ。俺たち町方の法律(公事方御定書)で裁ける相手じゃねえんだよ」
「……治外法権(ちがいほうけん)、か」
坂上が、ポツリと漏らした。
「……え?」
「……外交特権を持った大使館員が、駐在国で罪を犯しても、その国の法律では逮捕できない……。それと同じ理屈だ」
坂上(中身50歳)の脳裏に、現代の国際政治の不条理が過(よぎ)る。
どんなに明らかな犯罪でも、「身分」と「条約」の壁に阻まれ、指をくわえて見ているしかない状況。
それが今、江戸のど真ん中で起きている。
「じゃあ、どうするんですか!」
蘭が机を叩く。
「サキちゃんは、今もあの屋敷で……!」
「……奉行所(おもて)からは、動けん」
坂上は、冷徹な事実を告げた。
「俺が動けば、幕府と朝廷の外交問題になる。……老中たちも、公家の機嫌を損ねることを何より恐れている」
「そんな……!」
蘭が絶望に顔を歪める。
坂上は、立ち上がった。
窓の外、冷小路が滞在しているであろう、高輪(たかなわ)の方角を睨みつける。
(……特権階級)
(……帝の威光を笠に着て、弱い者を食い物にするハイエナか)
坂上の瞳に、静かな、しかし灼熱(しゃくねつ)の怒りが灯った。
「……だが」
坂上は、竹水筒を強く握りしめた。
「……ここは俺の管轄(シマ)、江戸だ」
「……京のルールが、どこまで通用するか……試してみる価値はある」
「……御奉行?」
「……雪之丞。喜助を呼べ。……まずは、敵(ターゲット)の『裏』を洗う」
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