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EP 52
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『泣き寝入りの町、消える娘たち』
翌日。北町奉行所の一角にある、蘭の控え場所は、お通夜のような静けさに包まれていた。
「……頼むよ、蘭ちゃん」
畳に額を擦り付けているのは、昨日連れ去られたサキの父親だった。
「……お上が……お公家様が、お相手なんだ。……下手に騒ぎ立てて、睨まれたら……店はおろか、長屋のみんなにまで迷惑がかかる」
「だ、だけど!」
蘭が、涙目で食い下がる。
「サキちゃんは、まだ帰ってきてないんだよ!? 昨日の今日だよ? 心配じゃないのかい!」
「心配に決まってる!」
父親が叫ぶ。その目も真っ赤に腫れ上がっていた。
「……だけど、相手は『雲の上』だ。……俺たち町人が、どうこうできる相手じゃねえんだよ……!」
「……っ!」
蘭は、言葉を失った。
これが、江戸の現実だった。
特権階級という絶対的な暴力の前では、被害者であるはずの親ですら、恐怖で声を封じられてしまう。
その様子を、少し離れた柱の陰で、坂上真一がじっと見ていた。
手には竹水筒。だが、今日は一口も飲んでいない。
「……御奉行」
同心・雪之丞が、坂上の背後で低い声を出す。
「……泣き寝入りしているのは、サキの親だけじゃありやせん」
雪之丞は、一枚の書き付けを坂上に渡した。
「……ここ半月ほどで、高輪の公家屋敷に入って……戻ってこねえ娘の数です」
坂上は、そのリストに目を通した。
お花、おゆき、千代……。
十名近い名前が並んでいる。
「……全員、帰っていないのか」
「へい。普通、こういう『貴人』の女遊びってのは、一晩抱いて、手切れ金渡して放り出すもんでしょう? ……ですが、冷小路の屋敷に入った女は、煙のように消えちまう」
「……異常だな」
坂上(中身50歳)の理性が、冷徹に分析を開始する。
単なる好色家の火遊びなら、必ず「飽きる」瞬間が来る。
飽きれば、捨てる。それが人間の情動だ。
だが、十人以上を抱え込み、一人も出さない?
屋敷にハーレムでも作っているのか? いや、それにしては数が多すぎるし、維持費(ランニングコスト)がかかりすぎる。
(……消費だ)
坂上の脳裏に、不吉な単語が浮かんだ。
(……あの公家にとって、女は『遊び相手』ではない。『消耗品』……あるいは『商品』か)
坂上は、書き付けを懐に仕舞うと、雪之丞に告げた。
「……喜助と落ち合う」
「……へい」
その夜。
『宵闇そば』の屋台は、いつになく重い空気に包まれていた。
客足が途絶えた頃を見計らい、坂上(真さん)と雪之丞が暖簾をくぐる。
「……いらっしゃい」
喜助は、手元を動かしながら、視線だけを二人に向けた。
「……高輪の公家屋敷のことだろ?」
「話が早いな」
坂上が席に着くと、喜助はため息混じりに、集めた情報を語り始めた。
「……あの屋敷、異様だぜ」
喜助の声が低い。
「警備してるのは、公家の護衛(青侍)だけじゃねえ。……『備前屋(びぜんや)』って商人の雇った、ガラの悪い浪人どもが、蟻の這い出る隙間もなく見張ってやがる」
「……備前屋?」
「ああ。表向きは海産物問屋だが、裏じゃあ『抜け荷(密輸)』で名を馳せてる、札付きのワルだ」
坂上の目が光った。
公家と、密輸商人。
点と点が、線で繋がり始める。
「……それとな、仁王様(ボス)」
喜助の手が止まった。
その目が、珍しく「恐怖」の色を帯びていた。
「……俺の『夜鷹』たちが、屋敷のゴミ捨て場や、裏の川を見張ってたんだが……」
「……何も、出ねえんだ」
「……何?」
「……普通、そんな数の女を『使い潰し』てりゃあ、一人や二人……『壊れた』女の死体が、薦(こも)に巻かれて捨てられるはずだろ?」
喜助は、吐き捨てるように言った。
「……だが、死体すら出ねえ。……女たちは、生きたまま、どこかへ消えてる」
「…………」
屋台に、沈黙が落ちた。
その意味するところを、全員が理解したからだ。
「……生きたまま、消える」
坂上が、静かに呟く。
「……備前屋は、抜け荷の商人」
「……そして、この国を出れば、女が高値で売れる場所(くに)は、いくらでもある」
ガッ!
坂上が、持っていた竹水筒を、カウンターに叩きつけた。
竹が悲鳴を上げ、ヒビが入る。
「……人身売買(トラフィッキング)か」
坂上の全身から、凄まじい殺気が噴き出した。
「……公家の『特権』を隠れ蓑にして、女を集め……」
「……備前屋の『ルート』で、南蛮へ売り飛ばす」
「……サキたちは、その『商品』として、在庫(ストック)されているというわけか」
「……なんてこった」
雪之丞が、顔を覆った。
「……慰み者にされた挙句、異国へ奴隷として……。鬼畜にも程があるぜ」
喜助が、冷ややかな目で坂上を見た。
「……で? どうするんで、御奉行」
「……相手は、泣く子も黙る『お公家様』だ。手を出せば、あんたの首どころか、幕府がひっくり返るぜ?」
坂上は、割れた竹水筒を見つめた。
そこから滲み出る黒い液体(コーヒー)が、まるで江戸の闇のように広がっていく。
「……幕府(うえ)は、動かん」
坂上は、断言した。
「……証拠がない。いや、あっても揉み消すだろう。……『公家が人攫いをしている』などという醜聞(スキャンダル)、お偉方は死んでも認めん」
坂上は立ち上がった。
その背中の「仁王」が、衣の下で、怒りに打ち震えているのが分かった。
「……だが、俺は認めん」
「……女を食い物にする悪鬼に、高貴な血筋も、外交特権も関係ない」
坂上は、懐から一両小判を取り出し、喜助の前に置いた。
「……喜助。備前屋の『船』が出るのは、いつだ」
「……明後日の夜。……新月の晩だ」
「……十分だ」
坂上は、夜の闇を見据えた。
「……法で裁けぬなら、法(ルール)の外で裁く」
「……準備をしろ。……『掃除』の時間だ」
翌日。北町奉行所の一角にある、蘭の控え場所は、お通夜のような静けさに包まれていた。
「……頼むよ、蘭ちゃん」
畳に額を擦り付けているのは、昨日連れ去られたサキの父親だった。
「……お上が……お公家様が、お相手なんだ。……下手に騒ぎ立てて、睨まれたら……店はおろか、長屋のみんなにまで迷惑がかかる」
「だ、だけど!」
蘭が、涙目で食い下がる。
「サキちゃんは、まだ帰ってきてないんだよ!? 昨日の今日だよ? 心配じゃないのかい!」
「心配に決まってる!」
父親が叫ぶ。その目も真っ赤に腫れ上がっていた。
「……だけど、相手は『雲の上』だ。……俺たち町人が、どうこうできる相手じゃねえんだよ……!」
「……っ!」
蘭は、言葉を失った。
これが、江戸の現実だった。
特権階級という絶対的な暴力の前では、被害者であるはずの親ですら、恐怖で声を封じられてしまう。
その様子を、少し離れた柱の陰で、坂上真一がじっと見ていた。
手には竹水筒。だが、今日は一口も飲んでいない。
「……御奉行」
同心・雪之丞が、坂上の背後で低い声を出す。
「……泣き寝入りしているのは、サキの親だけじゃありやせん」
雪之丞は、一枚の書き付けを坂上に渡した。
「……ここ半月ほどで、高輪の公家屋敷に入って……戻ってこねえ娘の数です」
坂上は、そのリストに目を通した。
お花、おゆき、千代……。
十名近い名前が並んでいる。
「……全員、帰っていないのか」
「へい。普通、こういう『貴人』の女遊びってのは、一晩抱いて、手切れ金渡して放り出すもんでしょう? ……ですが、冷小路の屋敷に入った女は、煙のように消えちまう」
「……異常だな」
坂上(中身50歳)の理性が、冷徹に分析を開始する。
単なる好色家の火遊びなら、必ず「飽きる」瞬間が来る。
飽きれば、捨てる。それが人間の情動だ。
だが、十人以上を抱え込み、一人も出さない?
屋敷にハーレムでも作っているのか? いや、それにしては数が多すぎるし、維持費(ランニングコスト)がかかりすぎる。
(……消費だ)
坂上の脳裏に、不吉な単語が浮かんだ。
(……あの公家にとって、女は『遊び相手』ではない。『消耗品』……あるいは『商品』か)
坂上は、書き付けを懐に仕舞うと、雪之丞に告げた。
「……喜助と落ち合う」
「……へい」
その夜。
『宵闇そば』の屋台は、いつになく重い空気に包まれていた。
客足が途絶えた頃を見計らい、坂上(真さん)と雪之丞が暖簾をくぐる。
「……いらっしゃい」
喜助は、手元を動かしながら、視線だけを二人に向けた。
「……高輪の公家屋敷のことだろ?」
「話が早いな」
坂上が席に着くと、喜助はため息混じりに、集めた情報を語り始めた。
「……あの屋敷、異様だぜ」
喜助の声が低い。
「警備してるのは、公家の護衛(青侍)だけじゃねえ。……『備前屋(びぜんや)』って商人の雇った、ガラの悪い浪人どもが、蟻の這い出る隙間もなく見張ってやがる」
「……備前屋?」
「ああ。表向きは海産物問屋だが、裏じゃあ『抜け荷(密輸)』で名を馳せてる、札付きのワルだ」
坂上の目が光った。
公家と、密輸商人。
点と点が、線で繋がり始める。
「……それとな、仁王様(ボス)」
喜助の手が止まった。
その目が、珍しく「恐怖」の色を帯びていた。
「……俺の『夜鷹』たちが、屋敷のゴミ捨て場や、裏の川を見張ってたんだが……」
「……何も、出ねえんだ」
「……何?」
「……普通、そんな数の女を『使い潰し』てりゃあ、一人や二人……『壊れた』女の死体が、薦(こも)に巻かれて捨てられるはずだろ?」
喜助は、吐き捨てるように言った。
「……だが、死体すら出ねえ。……女たちは、生きたまま、どこかへ消えてる」
「…………」
屋台に、沈黙が落ちた。
その意味するところを、全員が理解したからだ。
「……生きたまま、消える」
坂上が、静かに呟く。
「……備前屋は、抜け荷の商人」
「……そして、この国を出れば、女が高値で売れる場所(くに)は、いくらでもある」
ガッ!
坂上が、持っていた竹水筒を、カウンターに叩きつけた。
竹が悲鳴を上げ、ヒビが入る。
「……人身売買(トラフィッキング)か」
坂上の全身から、凄まじい殺気が噴き出した。
「……公家の『特権』を隠れ蓑にして、女を集め……」
「……備前屋の『ルート』で、南蛮へ売り飛ばす」
「……サキたちは、その『商品』として、在庫(ストック)されているというわけか」
「……なんてこった」
雪之丞が、顔を覆った。
「……慰み者にされた挙句、異国へ奴隷として……。鬼畜にも程があるぜ」
喜助が、冷ややかな目で坂上を見た。
「……で? どうするんで、御奉行」
「……相手は、泣く子も黙る『お公家様』だ。手を出せば、あんたの首どころか、幕府がひっくり返るぜ?」
坂上は、割れた竹水筒を見つめた。
そこから滲み出る黒い液体(コーヒー)が、まるで江戸の闇のように広がっていく。
「……幕府(うえ)は、動かん」
坂上は、断言した。
「……証拠がない。いや、あっても揉み消すだろう。……『公家が人攫いをしている』などという醜聞(スキャンダル)、お偉方は死んでも認めん」
坂上は立ち上がった。
その背中の「仁王」が、衣の下で、怒りに打ち震えているのが分かった。
「……だが、俺は認めん」
「……女を食い物にする悪鬼に、高貴な血筋も、外交特権も関係ない」
坂上は、懐から一両小判を取り出し、喜助の前に置いた。
「……喜助。備前屋の『船』が出るのは、いつだ」
「……明後日の夜。……新月の晩だ」
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