『一佐の裁き(いっさのさばき) 〜イージス艦長(50)、江戸北町奉行(25)に成り代わる〜』

月神世一

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EP 53

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『南蛮船への「積み荷」』
翌朝。北町奉行所、執務室。
ブラインドの代わりに障子から差し込む朝日が、坂上真一の険しい表情を照らし出していた。
「……間違いないんだな、喜助」
「ああ。裏は取ったぜ」
忍び装束から町人の格好に戻った喜助が、報告書代わりのメモを机に置く。
そこには、公家・冷小路と、御用商人・備前屋のどす黒い関係図が記されていた。
「冷小路の屋敷に連れ込まれた娘たちは、数日の間、あいつの『おもちゃ』として慰み者にされる」
喜助の声から、いつもの皮肉が消えている。
「……で、飽きたら捨てる……んじゃねえ。備前屋が引き取るんだ」
「引き取る?」
「備前屋は、屋敷の勝手口から『大きな長持ち(箱)』を運び出し、自分の蔵へ移す。……中身は、強力な眠り薬で意識を飛ばされた、娘たちだ」
坂上(中身50歳)の手が、固く握りしめられた。
「……眠らせて、箱詰めか」
「ああ。……荷札には『南蛮向けの美術品(人形)』と書いてあるそうだ」
喜助は、吐き捨てるように続けた。
「……その『人形』たちは、明日の新月の夜、横浜沖に停泊している南蛮船に積み込まれる。……行き先は、東南アジアか、さらに遠くか……。一度船に乗せられれば、二度と日本の土は踏めねえ」
「……人身売買(トラフィッキング)」
坂上の口から、呪詛のような言葉が漏れた。
「貴族の特権」という最強の盾を使い、白昼堂々と娘を攫い、散々弄んだ挙句、最後は異国へ奴隷として売り飛ばす。
金と欲のために、人の尊厳を根こそぎ奪う、完全なる悪魔の所業。
「……許せん」
坂上の内なるマグマが、限界まで達しようとしていた。
一時間後。評定所(ひょうじょうしょ)。
坂上は、町奉行所の幹部である与力(よりき)たちを招集し、緊急の捜査会議を開いていた。
「――即刻、冷小路の屋敷、および備前屋の蔵へ踏み込むべきだ!」
坂上の怒号が響く。
「娘たちは、まだ生きている! 今なら間に合う!」
だが、居並ぶ与力たちの反応は、冷ややかだった。
「……坂上奉行。お気持ちは分かりますが……」
年配の筆頭与力が、困り顔で口を開く。
「相手は、京からの勅使様ですぞ? 証拠もなしに屋敷を改めるなど、前代未聞。……もし間違いであれば、切腹どころでは済みませぬ」
「証拠ならある! 状況証拠は揃っている!」
「目撃証言と、噂話だけでございますか? ……それでは、公家屋敷の門は開けられません」
「人が攫われているんだぞ!?」
坂上が机を叩く。
「身分が何だ! 帝の親戚だろうが何だろうが、やっていることは誘拐と人身売買だ!」
与力たちは、顔を見合わせ、ヒソヒソと囁き合った。
「……やはり、坂上殿は『雅』をご存知ない」
「……ここで公家様を捕らえれば、幕府と朝廷の関係に亀裂が入る」
「……娘一人の命より、公儀の面目の方が重いのだ」
坂上は、愕然とした。
(……ここもか)
(……J-5(あのとき)と同じだ)
(……『政治的配慮』『外交問題』『組織の論理』)
(……それらが、目の前の命を切り捨てる理由になるというのか!)
「……備前屋なら、どうだ」
坂上は食い下がった。
「商人ならば、改められよう」
「備前屋は、老中方の覚えもめでたい御用商人。……確たる『物証』、例えば、娘が箱詰めされている現場を押さえぬ限り、令状は出せませんな」
「現場を押さえるために、踏み込むと言っているんだ!」
「それが出来ぬと言っているのです! ……順序が逆ですぞ、奉行」
「……ッ!!」
坂上は、言葉を失った。
これが、法治国家の限界。
「法」を守るべき奉行所が、「法」の壁に阻まれ、悪を見逃そうとしている。
「……会議は、終わりだ」
坂上は、椅子を蹴るようにして立ち上がった。
「……お前たちは、そこで公儀の面目とやらを守っていろ」
執務室に戻った坂上を、蘭と雪之丞が待ち構えていた。
坂上の顔色を見て、二人は全てを悟った。
「……やっぱり、ダメだったんだね」
蘭が、唇を噛み締めて俯く。
「……娘たちが、明日には売られちまうってのに……! お上は、見殺しにするってのかい!」
「……すまん」
坂上は、竹水筒を掴もうとしたが、それが昨日割れてしまったことを思い出した。
手持ち無沙汰な拳を、机に押し付ける。
「……組織(われわれ)は、動けん」
「……そんな……!」
蘭の目から、涙が溢れた。
サキの顔が浮かぶ。
助けを求める声が、耳の奥で木霊(こだま)する。
「……雪之丞、蘭」
坂上は、背を向けたまま言った。
「……俺は、少し頭を冷やしてくる」
「……御奉行……」
坂上は、部屋を出て行った。
その背中は、怒りに震えているようにも、無力感に打ちひしがれているようにも見えた。
残された蘭は、涙を拭った。
その瞳に、悲壮な決意の光が宿る。
(……御奉行様は、悪くない)
(……悪いのは、あの公家と、何もしない幕府だ)
蘭は、自分の着物をギュッと握りしめた。
(……証拠がありゃ、動けるんだろ?)
(……『現場』を押さえれば、文句はないんだろ?)
「……蘭?」
雪之丞が、不穏な気配を感じて声をかける。
「……おい、まさか、馬鹿なこと考えてねえだろうな」
「……雪の旦那」
蘭は、顔を上げた。
いつもの元気な笑顔を作ろうとしたが、少し引きつっていた。
「……アタシ、ちょっとトイレ」
「……おい!」
蘭は、雪之丞の制止も聞かず、奉行所を駆け出していった。
その足は、自宅ではなく、古着屋の方角へと向かっていた。
最も危険で、最も確実な「証拠」になるために。
(……サキちゃん。待ってて)
(……アタシが、必ず助けてやる!)
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