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EP 54
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『蘭の決意、公家の罠』
江戸の町に、夕闇が迫っていた。
公家・冷小路の行列が、今日の「獲物」を物色し終え、高輪の屋敷へと戻ろうとしていた。
「……ふぁあ。今日は不作でおじゃるな」
牛車の中で、冷小路は退屈そうに欠伸をした。
「江戸の女は、どいつもこいつも芋臭い。……昨日のような、生きのいいのはおらぬか」
その時だった。
通りの角から、一人の娘が、小走りに現れた。
「あら、ごめんなさいよ!」
娘は、行列の護衛の侍にぶつかりそうになり、艶やかに身を翻した。
その姿に、道行く人々が思わず振り返る。
鮮やかな朱色の着物に、少し着崩した襟元。髪は結い上げられ、紅を差した唇が、夕日に妖しく輝いている。
早乙女蘭だった。
いつもの男勝りな岡っ引き姿ではない。古着屋で調達した一番派手な着物を纏い、徹底的に「女」を武器にした姿だ。
「……無礼者! 公家様の行列ぞ!」
侍が怒鳴るが、蘭は怯えるどころか、ニッコリと笑って見せた。
「あら、お侍様。無礼はどっちだい? アタシみたいなか弱い女に、刀なんか向けちゃってさ」
「……ほう」
牛車の御簾が、スッと上がった。
冷小路が、粘りつくような視線で蘭を舐め回した。
「……威勢が良いのう。……それに、よく見れば顔立ちも整っておる」
冷小路は、扇子で蘭を指した。
「……気に入った。屋敷へ運べ」
「はっ!」
護衛たちが蘭を取り囲む。
(……掛かった!)
蘭は、心の中でガッツポーズをした。
恐怖を押し殺し、わざとらしく驚いて見せる。
「ええっ? お公家様のお屋敷に? ……悪い気はしないけど、手荒な真似はよしとくれよ?」
「……ククッ。安心せい。……たっぷりと『可愛がって』やるゆえな」
高輪、公家屋敷。
蘭は、駕籠に乗せられ、裏門から屋敷の中へと運び込まれた。
(……さて、ここからが勝負だ)
(……サキちゃんは、どこだ?)
駕籠から降ろされた蘭は、案内された部屋へ……行くフリをして、護衛の一瞬の隙を突き、廊下の陰へと身を滑り込ませた。
岡っ引きとして鍛えた足音を消す技術。着物姿でも、その身のこなしは軽い。
屋敷の中は、異様なほど静かだった。
華やかな表向きとは裏腹に、奥へ進むにつれ、カビ臭い、淀んだ空気が漂ってくる。
(……匂うね)
蘭は、鼻を利かせた。
微かだが、人の気配と……排泄物の匂い。
それは、美しい庭園の奥、土蔵のように頑丈に作られた「離れ」から漂っていた。
蘭は、見張りの目を盗み、その離れの窓の隙間から中を覗き込んだ。
「……!!」
蘭の息が止まった。
そこは、地獄だった。
薄暗い部屋の中に、十数人の娘たちが、まるで荷物のように転がされていた。
ある者は手足を縛られ、ある者は虚ろな目で天井を見上げ、またある者は薬で眠らされているのか、ピクリとも動かない。
「……サキちゃん!」
蘭の目が、部屋の隅で膝を抱えて震えているサキを捉えた。着物は乱れ、頬には殴られた痕がある。
(……なんてことしやがる……!)
(……これが、公家のやることかよ!)
怒りで血が沸騰しそうになるのを抑え、蘭は窓の錠に、隠し持っていた鉄の小尺(こしゃく)を差し込んだ。
カチリ。鍵が開く。
「……サキちゃん! みんな! 静かに!」
蘭が窓から忍び込む。
「……ら、蘭ちゃん……!?」
サキが、信じられないものを見る目で蘭を見つめた。
「助けに来たよ! さあ、今のうちに……」
蘭がサキの手を取ろうとした、その時。
「――ほう。随分と元気な『ネズミ』が紛れ込んだものですねえ」
背後から、冷徹な声が響いた。
「!」
蘭が弾かれたように振り返る。
入り口の扉が大きく開かれ、そこには、恰幅の良い商人と、抜き身の刀を持った数人の浪人が立っていた。
商人――備前屋(びぜんや)だ。
「……お前が、備前屋か」
蘭は、サキを庇うように立ちはだかった。
「……よくもまあ、こんな悪辣な真似を……! お上が黙っちゃいないよ!」
「お上?」
備前屋は、下卑た笑みを浮かべた。
「……ここは公家様の屋敷。お上の法律など届きませんよ」
「それに……お前さんが『奉行所のイヌ』だということは、最初からお見通しでしてね」
「なっ……!」
「冷小路様は、鼻が利くお方だ。『獣の臭いがする』と仰ってね……。わざと泳がせたのですよ」
備前屋が合図を送ると、浪人たちが一斉に襲いかかってきた。
「くっ!」
蘭は小尺を構えて応戦するが、着物姿では動きが鈍い。多勢に無勢。
数合もしないうちに、蘭は床に組み伏せられ、荒縄で縛り上げられてしまった。
「……離せ! この外道!」
「……ほっほ。威勢が良いのう」
奥から、冷小路が優雅に現れた。
その手には、娘たちを大人しくさせるための「薬」が入った杯が握られている。
「……麻呂の楽しみを邪魔するとは、悪い娘じゃ」
冷小路は、縛られた蘭の顎を扇子でくい、と持ち上げた。
「……だが、その強気な目が、恐怖で歪む顔もまた、一興」
「……『商品』にする前に、たっぷりと躾(しつ)けをしてやらねばならぬな」
冷小路の歪んだ欲望の目が、蘭の身体を這い回る。
蘭は、悔しさと恐怖に唇を噛み締め、叫んだ。
「……ふざけるな! 御奉行様が……あの人が、必ずあんたたちを叩き潰す!」
「……奉行?」
冷小路は鼻で笑った。
「……あの腰抜けの役人か? 麻呂の威光に恐れをなし、手出しも出来ぬ小物が、何をするというのじゃ」
「……さあ、泣け。喚け。……麻呂を楽しませよ」
冷小路の手が、蘭の着物の帯に伸びる。
絶体絶命。
蘭の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
(……御奉行様……!)
江戸の町に、夕闇が迫っていた。
公家・冷小路の行列が、今日の「獲物」を物色し終え、高輪の屋敷へと戻ろうとしていた。
「……ふぁあ。今日は不作でおじゃるな」
牛車の中で、冷小路は退屈そうに欠伸をした。
「江戸の女は、どいつもこいつも芋臭い。……昨日のような、生きのいいのはおらぬか」
その時だった。
通りの角から、一人の娘が、小走りに現れた。
「あら、ごめんなさいよ!」
娘は、行列の護衛の侍にぶつかりそうになり、艶やかに身を翻した。
その姿に、道行く人々が思わず振り返る。
鮮やかな朱色の着物に、少し着崩した襟元。髪は結い上げられ、紅を差した唇が、夕日に妖しく輝いている。
早乙女蘭だった。
いつもの男勝りな岡っ引き姿ではない。古着屋で調達した一番派手な着物を纏い、徹底的に「女」を武器にした姿だ。
「……無礼者! 公家様の行列ぞ!」
侍が怒鳴るが、蘭は怯えるどころか、ニッコリと笑って見せた。
「あら、お侍様。無礼はどっちだい? アタシみたいなか弱い女に、刀なんか向けちゃってさ」
「……ほう」
牛車の御簾が、スッと上がった。
冷小路が、粘りつくような視線で蘭を舐め回した。
「……威勢が良いのう。……それに、よく見れば顔立ちも整っておる」
冷小路は、扇子で蘭を指した。
「……気に入った。屋敷へ運べ」
「はっ!」
護衛たちが蘭を取り囲む。
(……掛かった!)
蘭は、心の中でガッツポーズをした。
恐怖を押し殺し、わざとらしく驚いて見せる。
「ええっ? お公家様のお屋敷に? ……悪い気はしないけど、手荒な真似はよしとくれよ?」
「……ククッ。安心せい。……たっぷりと『可愛がって』やるゆえな」
高輪、公家屋敷。
蘭は、駕籠に乗せられ、裏門から屋敷の中へと運び込まれた。
(……さて、ここからが勝負だ)
(……サキちゃんは、どこだ?)
駕籠から降ろされた蘭は、案内された部屋へ……行くフリをして、護衛の一瞬の隙を突き、廊下の陰へと身を滑り込ませた。
岡っ引きとして鍛えた足音を消す技術。着物姿でも、その身のこなしは軽い。
屋敷の中は、異様なほど静かだった。
華やかな表向きとは裏腹に、奥へ進むにつれ、カビ臭い、淀んだ空気が漂ってくる。
(……匂うね)
蘭は、鼻を利かせた。
微かだが、人の気配と……排泄物の匂い。
それは、美しい庭園の奥、土蔵のように頑丈に作られた「離れ」から漂っていた。
蘭は、見張りの目を盗み、その離れの窓の隙間から中を覗き込んだ。
「……!!」
蘭の息が止まった。
そこは、地獄だった。
薄暗い部屋の中に、十数人の娘たちが、まるで荷物のように転がされていた。
ある者は手足を縛られ、ある者は虚ろな目で天井を見上げ、またある者は薬で眠らされているのか、ピクリとも動かない。
「……サキちゃん!」
蘭の目が、部屋の隅で膝を抱えて震えているサキを捉えた。着物は乱れ、頬には殴られた痕がある。
(……なんてことしやがる……!)
(……これが、公家のやることかよ!)
怒りで血が沸騰しそうになるのを抑え、蘭は窓の錠に、隠し持っていた鉄の小尺(こしゃく)を差し込んだ。
カチリ。鍵が開く。
「……サキちゃん! みんな! 静かに!」
蘭が窓から忍び込む。
「……ら、蘭ちゃん……!?」
サキが、信じられないものを見る目で蘭を見つめた。
「助けに来たよ! さあ、今のうちに……」
蘭がサキの手を取ろうとした、その時。
「――ほう。随分と元気な『ネズミ』が紛れ込んだものですねえ」
背後から、冷徹な声が響いた。
「!」
蘭が弾かれたように振り返る。
入り口の扉が大きく開かれ、そこには、恰幅の良い商人と、抜き身の刀を持った数人の浪人が立っていた。
商人――備前屋(びぜんや)だ。
「……お前が、備前屋か」
蘭は、サキを庇うように立ちはだかった。
「……よくもまあ、こんな悪辣な真似を……! お上が黙っちゃいないよ!」
「お上?」
備前屋は、下卑た笑みを浮かべた。
「……ここは公家様の屋敷。お上の法律など届きませんよ」
「それに……お前さんが『奉行所のイヌ』だということは、最初からお見通しでしてね」
「なっ……!」
「冷小路様は、鼻が利くお方だ。『獣の臭いがする』と仰ってね……。わざと泳がせたのですよ」
備前屋が合図を送ると、浪人たちが一斉に襲いかかってきた。
「くっ!」
蘭は小尺を構えて応戦するが、着物姿では動きが鈍い。多勢に無勢。
数合もしないうちに、蘭は床に組み伏せられ、荒縄で縛り上げられてしまった。
「……離せ! この外道!」
「……ほっほ。威勢が良いのう」
奥から、冷小路が優雅に現れた。
その手には、娘たちを大人しくさせるための「薬」が入った杯が握られている。
「……麻呂の楽しみを邪魔するとは、悪い娘じゃ」
冷小路は、縛られた蘭の顎を扇子でくい、と持ち上げた。
「……だが、その強気な目が、恐怖で歪む顔もまた、一興」
「……『商品』にする前に、たっぷりと躾(しつ)けをしてやらねばならぬな」
冷小路の歪んだ欲望の目が、蘭の身体を這い回る。
蘭は、悔しさと恐怖に唇を噛み締め、叫んだ。
「……ふざけるな! 御奉行様が……あの人が、必ずあんたたちを叩き潰す!」
「……奉行?」
冷小路は鼻で笑った。
「……あの腰抜けの役人か? 麻呂の威光に恐れをなし、手出しも出来ぬ小物が、何をするというのじゃ」
「……さあ、泣け。喚け。……麻呂を楽しませよ」
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