『一佐の裁き(いっさのさばき) 〜イージス艦長(50)、江戸北町奉行(25)に成り代わる〜』

月神世一

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EP 55

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『指揮官の「爆発」』
夜の帳(とばり)が下りた高輪の公家屋敷裏手。
闇に紛れて見張りを続けていた青田赤太は、勝手口から這い出してくる小さな影を見つけた。
「……!」
赤太が駆け寄る。
それは、着物が破れ、泥だらけになった娘だった。昨日のサキではない。別の、以前に攫われた娘の一人だ。
「……だ、大丈夫か!」
「……助けて……あの人が……赤い着物の人が……」
娘は、ガタガタと震えながら、赤太に縋り付いた。
「……私を逃がすために……囮(おとり)になって……!」
「赤い着物……まさか、蘭姉ちゃん!?」
赤太の顔色が変わる。
娘は、恐怖で瞳孔が開いたまま、うわ言のように繰り返した。
「……捕まったわ……あいつら、あの人を『壊す』って……」
北町奉行所、執務室。
重苦しい静寂を破り、赤太が保護した娘を背負って飛び込んできた。
「――真さん!!」
「赤太!?」
坂上真一が立ち上がる。雪之丞と喜助も、その娘の姿を見て息を呑んだ。
赤太は、泣きじゃくりながら報告した。
蘭が単独で潜入したこと。
娘たちを逃がすために囮になり、備前屋たちに捕らえられたこと。
そして今、冷小路の毒牙にかかろうとしていること。
「……蘭が……」
坂上は、その報告を聞き終えると、ドサリと椅子に座り込んだ。
(……俺のせいだ)
坂上(中身50歳)の脳裏に、昼間の蘭の顔が蘇る。
『お上は見殺しにするってのかい!』
あの日、自分が組織の論理を盾に、動くことを拒否したからだ。
自分が「法」を守ろうとした結果、最も大切な「部下」を、悪鬼の生贄に捧げてしまった。
「……御奉行」
雪之丞が、静かに、しかし責めるような声で言った。
「……相手は公家だ。幕府の法じゃあ、手出しできねえ。……蘭のやつは、それごと全部背負って、一人で行ったんですよ」
「……」
「……このまま、見殺しにしますか? 『外交問題』になるから」
坂上は、竹水筒を手に取った。
手の中で、竹がミシミシと悲鳴を上げる。
(……公家だから、なんだ)
(……外交問題? 幕府の面目?)
(……そんな紙切れ一枚の理屈で、人の命が、尊厳が、踏みにじられていいのか?)
J-5時代の記憶。
数字として処理される命。政治的妥協。
「大義」の下に切り捨てられる現場。
(……ふざけるな)
坂上の腹の底で、何かが弾けた。
それは理性ではない。もっと根源的な、人間としての「怒り」の臨界点突破(メルトダウン)だった。
「……ふざけるなァ!!」
ガシャアン!!
坂上は、手に持っていた竹水筒を、力任せに壁に叩きつけた。
竹が粉々に砕け散り、中に入っていた黒いコーヒーが、まるで血飛沫のように白壁を汚す。
「……真さん……?」
赤太が怯えるほどの、凄まじい殺気。
坂上は、ゆっくりと立ち上がった。
その顔からは、能面のような冷静さは消え失せ、ただ純粋な「暴力」の気配だけが漂っていた。
「……公家だから手が出せないだと?」
「……法で裁けぬ特権階級だと?」
坂上は、奉行の羽織に手をかけた。
乱暴に紐を解き、それを床に脱ぎ捨てる。
裃(かみしも)も、刀も、奉行所が与えた「役人」としての拘束具を、すべて剥ぎ取っていく。
「……知ったことか」
坂上は、箪笥から一枚の着流しを取り出し、袖を通した。
背中に「仁王」を背負った、遊び人「真さん」の姿。
だが、今日の「真さん」は、いつもの飄々とした雰囲気ではない。
触れれば斬れるような、抜き身の刃(やいば)そのものだった。
「……雪之丞。喜助」
坂上の声が、地獄の底から響くように低くなった。
「……行くぞ」
「……法が裁かぬというなら、俺が裁く」
「……奉行としてではない。一人の『男』として、あの外道どもを叩き潰す!」
雪之丞が、ニヤリと笑った。
彼は、刀を腰に差し、ボキボキと首を鳴らした。
「……へい。お待ちしてましたよ」
「……今夜の御奉行は、鬼より怖えや」
喜助もまた、懐から忍び道具を取り出し、冷ややかな笑みを浮かべた。
「……備前屋の蔵には、売られる寸前の娘たちがまだいる。……派手に暴れてくれりゃ、俺がその隙に全員逃がす」
「……赤太」
坂上は、震える少年の肩に手を置いた。
「……お前は、その娘を守っていろ。……蘭は、必ず俺が連れ戻す」
「……う、うん! ……頼むよ、真さん!」
坂上は、砕け散った水筒の残骸を踏み越え、執務室を出た。
もう、迷いはない。
あるのは、眼前の悪を物理的に排除する、単純にして絶対的な「暴力」の意思のみ。
「――出撃(でる)ぞ」
江戸の闇夜に、三つの修羅が放たれた。
目指すは高輪、公家屋敷。
「外交問題」などという些末な壁を、物理的な拳で粉砕するために。p
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