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EP 57
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『鉄拳制裁と、魂の金的』
「ひっ……! く、来るな! 近寄るでない!」
冷小路は、腰を抜かしたまま畳の上を後ずさった。
目の前に立つ男――坂上真一からは、今まで見たこともないような濃密な殺気が放たれていた。
それは、彼が今まで笠に着てきた「家柄」や「権威」といった薄っぺらい盾を、紙切れのように焼き尽くす本物の「炎」だった。
「麻呂は……麻呂は公家ぞ! 帝の血を引く尊き身じゃ!」
冷小路は、震える扇子を突きつけた。
「その身に指一本でも触れてみよ! 貴様ごとき下賤(げせん)な者が、タダで済むと思うてか!」
「……下賤?」
坂上は足を止めた。
冷小路の鼻先、わずか数寸の距離。
「……てめえから見りゃ、こいつ(蘭)も、攫(さら)われた娘たちも、下賤な消耗品かもしれねえ」
坂上の拳が、ギリ、と音を立てて握りしめられた。
「……だがな。俺にとっては、かけがえのない『部下』であり、守るべき『民』だ」
「な、何を……」
「……ここは江戸だ。京の作法は通用しねえ」
坂上は右腕を振りかぶった。
「――これが、江戸の挨拶(あいさつ)だァ!!」
ドガッ!!
鈍く、重い衝撃音が、離れ座敷に響き渡った。
坂上の鉄拳が、冷小路の白粉(おしろい)塗りの顔面を、真正面から捉えたのだ。
「ぶべらっ!!」
冷小路の体が、紙人形のように宙を舞い、豪奢な掛け軸を巻き込みながら壁に激突した。
雅な顔は鼻血で汚れ、前歯がへし折れている。
「あ……あが……」
冷小路は、何が起きたのか理解できず、床をのたうち回った。
生まれて初めて味わう「痛み」と「暴力」。
「――冷小路様ァ!」
騒ぎを聞きつけた備前屋が、遅れて手下の浪人を引き連れて飛び込んできた。
「き、貴様ら! よくも公家様に……! 殺せ! 切り刻んで魚の餌にしてしまえ!」
「……へっ。邪魔くせえ」
備前屋たちの前に、ダルそうな声と共に、平上雪之丞が立ちはだかった。
「……御奉行(ボス)のお説教の最中だ。野暮なことすんじゃねえよ」
「どけぇ!」
浪人が斬りかかる。
雪之丞は、大きな欠伸(あくび)を噛み殺しながら、神速の抜き打ちを見舞った。
キィン! ズドン!
「ぐわっ!」
刀を弾き飛ばされた浪人が、雪之丞の鞘(さや)の一撃を鳩尾(みぞおち)に受け、白目を剥いて倒れる。
「……ひっ!」
備前屋が悲鳴を上げて逃げようとするが、背後にはいつの間にか喜助が立っていた。
「……おっと。逃がさねえよ、人買い商人」
喜助の足払いが決まり、備前屋は無様に転がった。
一方、坂上は、拘束されていた蘭の元へ歩み寄った。
小太刀で荒縄を切り裂く。
「……蘭。遅くなった」
「……御奉行……」
蘭は、自由になった手で、乱れた着物を合わせながら、涙を拭った。
「……馬鹿野郎。一人で無茶しやがって」
坂上は、自分の着流しを脱ぐと、蘭の肩に掛けてやった。
「……怪我はないか」
「……うん。……へへ、怖かったよぉ」
蘭は、坂上の不器用な優しさに触れ、ようやくいつもの強気な目を取り戻した。
そして、ゆっくりと立ち上がり、床に這いつくばる冷小路を見下ろした。
「……う、うう……」
冷小路は、腫れ上がった顔を押さえながら、まだ恨めしそうに蘭を睨みつけた。
「……お、女ごときが……。麻呂に恥をかかせおって……」
「……覚えておれ……。この報いは、必ず……」
まだ、分かっていない。
自分が何をしたのか。なぜ殴られたのか。
蘭は、冷たい目で一歩踏み出した。
「……雪の旦那。ちょっと、どいてな」
「……お? おう」
雪之丞が、蘭の気迫に押されて道を空ける。
蘭は、着物の裾をまくり上げた。
古着屋で選んだ、一番動きやすい、男物の下帯が見える。
そして、十分に助走をつけると――。
「――女を、舐めんじゃないよォッ!!」
ドォォォォォォン!!
蘭の全体重と、溜まりに溜まった怒りを乗せた、渾身の蹴り上げ。
そのつま先が、冷小路の股間を、完璧な角度で捉えた。
「ぎにゃあぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
冷小路の口から、この世のものとは思えない絶叫がほとばしった。
公家としての尊厳も、男としての機能も、そして意識も、全てがその一撃で粉砕された。
冷小路は、白目を剥き、口から泡を吹いて、ビクンビクンと痙攣した後、完全に動かなくなった。
「……ふん! ざまあみろ!」
蘭は、肩で息をしながら、気絶した公家に吐き捨てた。
「……えげつねえ……」
雪之丞が、思わず股間を押さえて顔をしかめる。
「……ありゃ、再起不能だな」
喜助も、苦笑いしながら肩をすくめた。
坂上は、部屋の隅にある文机に目を向けた。
そこには、備前屋が慌てて隠そうとしていた、分厚い帳簿が残されていた。
坂上はそれを手に取り、パラパラとめくった。
『娘・サキ 南蛮船へ 金百両』
『娘・おゆき 欠損あり 廃棄』
おぞましい取引の記録。
だが、これこそが、特権階級の喉元に突きつける、最強の刃(やいば)となる。
「……証拠(エビデンス)は、確保した」
坂上は、帳簿を懐にねじ込んだ。
「……引き上げるぞ。……夜明けと共に、本当の『裁き』を始める」
蘭は、気絶した冷小路をもう一度睨みつけ、そして仲間たちの後を追った。
その顔には、もう涙の跡はなく、晴れ晴れとした岡っ引きの笑顔が戻っていた。
「ひっ……! く、来るな! 近寄るでない!」
冷小路は、腰を抜かしたまま畳の上を後ずさった。
目の前に立つ男――坂上真一からは、今まで見たこともないような濃密な殺気が放たれていた。
それは、彼が今まで笠に着てきた「家柄」や「権威」といった薄っぺらい盾を、紙切れのように焼き尽くす本物の「炎」だった。
「麻呂は……麻呂は公家ぞ! 帝の血を引く尊き身じゃ!」
冷小路は、震える扇子を突きつけた。
「その身に指一本でも触れてみよ! 貴様ごとき下賤(げせん)な者が、タダで済むと思うてか!」
「……下賤?」
坂上は足を止めた。
冷小路の鼻先、わずか数寸の距離。
「……てめえから見りゃ、こいつ(蘭)も、攫(さら)われた娘たちも、下賤な消耗品かもしれねえ」
坂上の拳が、ギリ、と音を立てて握りしめられた。
「……だがな。俺にとっては、かけがえのない『部下』であり、守るべき『民』だ」
「な、何を……」
「……ここは江戸だ。京の作法は通用しねえ」
坂上は右腕を振りかぶった。
「――これが、江戸の挨拶(あいさつ)だァ!!」
ドガッ!!
鈍く、重い衝撃音が、離れ座敷に響き渡った。
坂上の鉄拳が、冷小路の白粉(おしろい)塗りの顔面を、真正面から捉えたのだ。
「ぶべらっ!!」
冷小路の体が、紙人形のように宙を舞い、豪奢な掛け軸を巻き込みながら壁に激突した。
雅な顔は鼻血で汚れ、前歯がへし折れている。
「あ……あが……」
冷小路は、何が起きたのか理解できず、床をのたうち回った。
生まれて初めて味わう「痛み」と「暴力」。
「――冷小路様ァ!」
騒ぎを聞きつけた備前屋が、遅れて手下の浪人を引き連れて飛び込んできた。
「き、貴様ら! よくも公家様に……! 殺せ! 切り刻んで魚の餌にしてしまえ!」
「……へっ。邪魔くせえ」
備前屋たちの前に、ダルそうな声と共に、平上雪之丞が立ちはだかった。
「……御奉行(ボス)のお説教の最中だ。野暮なことすんじゃねえよ」
「どけぇ!」
浪人が斬りかかる。
雪之丞は、大きな欠伸(あくび)を噛み殺しながら、神速の抜き打ちを見舞った。
キィン! ズドン!
「ぐわっ!」
刀を弾き飛ばされた浪人が、雪之丞の鞘(さや)の一撃を鳩尾(みぞおち)に受け、白目を剥いて倒れる。
「……ひっ!」
備前屋が悲鳴を上げて逃げようとするが、背後にはいつの間にか喜助が立っていた。
「……おっと。逃がさねえよ、人買い商人」
喜助の足払いが決まり、備前屋は無様に転がった。
一方、坂上は、拘束されていた蘭の元へ歩み寄った。
小太刀で荒縄を切り裂く。
「……蘭。遅くなった」
「……御奉行……」
蘭は、自由になった手で、乱れた着物を合わせながら、涙を拭った。
「……馬鹿野郎。一人で無茶しやがって」
坂上は、自分の着流しを脱ぐと、蘭の肩に掛けてやった。
「……怪我はないか」
「……うん。……へへ、怖かったよぉ」
蘭は、坂上の不器用な優しさに触れ、ようやくいつもの強気な目を取り戻した。
そして、ゆっくりと立ち上がり、床に這いつくばる冷小路を見下ろした。
「……う、うう……」
冷小路は、腫れ上がった顔を押さえながら、まだ恨めしそうに蘭を睨みつけた。
「……お、女ごときが……。麻呂に恥をかかせおって……」
「……覚えておれ……。この報いは、必ず……」
まだ、分かっていない。
自分が何をしたのか。なぜ殴られたのか。
蘭は、冷たい目で一歩踏み出した。
「……雪の旦那。ちょっと、どいてな」
「……お? おう」
雪之丞が、蘭の気迫に押されて道を空ける。
蘭は、着物の裾をまくり上げた。
古着屋で選んだ、一番動きやすい、男物の下帯が見える。
そして、十分に助走をつけると――。
「――女を、舐めんじゃないよォッ!!」
ドォォォォォォン!!
蘭の全体重と、溜まりに溜まった怒りを乗せた、渾身の蹴り上げ。
そのつま先が、冷小路の股間を、完璧な角度で捉えた。
「ぎにゃあぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
冷小路の口から、この世のものとは思えない絶叫がほとばしった。
公家としての尊厳も、男としての機能も、そして意識も、全てがその一撃で粉砕された。
冷小路は、白目を剥き、口から泡を吹いて、ビクンビクンと痙攣した後、完全に動かなくなった。
「……ふん! ざまあみろ!」
蘭は、肩で息をしながら、気絶した公家に吐き捨てた。
「……えげつねえ……」
雪之丞が、思わず股間を押さえて顔をしかめる。
「……ありゃ、再起不能だな」
喜助も、苦笑いしながら肩をすくめた。
坂上は、部屋の隅にある文机に目を向けた。
そこには、備前屋が慌てて隠そうとしていた、分厚い帳簿が残されていた。
坂上はそれを手に取り、パラパラとめくった。
『娘・サキ 南蛮船へ 金百両』
『娘・おゆき 欠損あり 廃棄』
おぞましい取引の記録。
だが、これこそが、特権階級の喉元に突きつける、最強の刃(やいば)となる。
「……証拠(エビデンス)は、確保した」
坂上は、帳簿を懐にねじ込んだ。
「……引き上げるぞ。……夜明けと共に、本当の『裁き』を始める」
蘭は、気絶した冷小路をもう一度睨みつけ、そして仲間たちの後を追った。
その顔には、もう涙の跡はなく、晴れ晴れとした岡っ引きの笑顔が戻っていた。
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