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EP 4
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「記者」という名の兵站調査
坂上は、路面電車を降り、工廠(こうしょう)が立ち並ぶ地区の埃っぽい空気を吸い込んだ。
ガリッ、と奥歯で黒飴を噛み砕く。
(……ダメだ。糖分が多すぎる。覚醒作用ゼロ。非効率だ)
あの1円20銭のコーヒーキャンディ(贅沢品)の屈辱が、彼の苛立ちを増幅させていた。
彼の取材先は、中島飛行機の下請けであり、陸軍の次期制式採用を狙うエンジン部品を製造している「浅川精工」だった。
「おお、帝都日報さん! よくぞお越しに!」
工場の責任者である宮坂が、人の良さそうな笑顔で坂上を出迎えた。
「ささ、こちらへ。我が社の『職人技』が、帝国の空を支えるのです!」
坂上は、29歳の監査官の目で、無言で工場内を「スキャン」し始めた。
(……非効率だ)
宮坂が「最新鋭です!」と胸を張る旋盤(せんばん)が並ぶライン。
だが、坂上の目に映ったのは、絶望的なまでの「非効率」だった。
第一に、動線(ワークフロー)が崩壊している。
作業員が、重い部品を持って、ラインの端から端まで、無駄に行き来している。
(あの作業員。この5分で、最低でも60歩は余計に歩いている。動線を最適化すれば、20秒は短縮できる。なぜ部品箱をあんな遠くに置く?)
第二に、規格(スタンダード)が存在しない。
「あれぞ、我が社の宝! 佐藤のじいさんです!」
宮坂が指さす先で、古参の職人が、部品をヤスリで「手作業で」削っていた。
「機械じゃ出せん『微調整』を、あの男の『勘』で仕上げるんですよ!」
(……勘?)
坂上のこめかみが引きつった。
(部品の規格が不統一だから、手作業で「現物合わせ」しているだけじゃないか。これは『製造業』ではない。『工芸品』だ。兵器の部品でそれをやるか。非効率の極みだ)
第三に、不良品の山だ。
工場の片隅に、明らかに規格外(デフェクティヴ)と判断された金属部品が、無造作に積み上げられている。
「もちろん、我が社の検査は厳しい! ああして、少しでも『魂』のこもらん部品は弾きます!」
宮坂は、それを「品質管理の証」として誇った。
(……)
坂上は、ついに立ち止まった。
不味いコーヒー。手に入らないキャンディ。非効率な職場。
そして今、目の前にある、日本の「国防」を支えるはずのインフラの、この致命的な「バグ」。
彼の怒りのゲージが、振り切れた。
「宮坂さん」
坂上の、温度のない声が響く。
「お、おお? なんでしょう、坂上記者」
「いくつか質問を」
坂上は、メモ帳ではなく、監査官として「彼ら」を詰問し始めた。
「第一。なぜ、不良品率の『データ』を取らない?」
「……は?」
「あの山だ。あれは『魂』の有無ではない。ただの『損失』だ。あの廃棄コストが、製品単価にどう影響しているか、説明されたい」
宮坂の笑顔が、固まった。
「い、いや……それは、その……」
「第二。作業動線が非効率すぎる」
坂上は、先程の作業員を指さした。
「あの作業員、1時間に何歩、無駄に歩いているか計測したか? 彼の給料の何割が『移動』に支払われている? 彼の疲労(リソース)の蓄積が、どれだけ作業ミスを誘発しているか、シミュレーションは?」
「し、しみゅれ……?」
宮坂が狼狽していると、その背後から、油の染みた作業着を着た若い男が、鋭い目つきで割って入った。
「失礼だが、記者さん」
男は、手に持った青図(設計図)を丸めながら言った。
「貴方は、一体何の話をしている?」
「生産管理(プロダクション・コントロール)の話だ」
坂上は、若い男を一瞥した。
「生産管理? 冗談じゃない」
若い技師――堀越二郎の同僚とでも言うべき、新進気鋭の技術者だった。
「我々が作っているのは、大根や反物じゃない! 帝国の空を飛ぶ『翼』の『心臓』だ! 貴方のような素人(しろうと)に、『歩数』だの『データ』だのと言われる筋合いはない!」
「素人か」
坂上は、黒飴の甘ったるさが残る口の中で、冷たく呟いた。
「そうだ!」
技師は、坂上の冷徹な目に、カッと熱くなった。
「我々の品質は、佐藤のじいさんのような『職人の魂』と、我々技術者の『情熱』で支えられている! 貴方の言う『数字』なんぞで、飛行機が飛ぶか!」
(……出た)
坂上は、もはや失望を隠さなかった。
帝都日報の田中局長と同じだ。
「気合」
「魂」
「情熱」
「飛ぶさ」
坂上は、若い技師に言い放った。
「『数字』でしか、飛行機は飛ばない。貴様の言う『魂』とは、非効率な作業工程と、不統一な部品規格の『バグ』を隠蔽するための、都合の良い『精神論』に過ぎん」
「……なっ!」
「貴様らの『魂』とやらは、あまりに高コスト(非効率)だ」
若い技師の顔が、怒りで真っ赤に染まった。
「……貴様、皇軍を、この工場を侮辱する気か!」
「事実を指摘したまでだ」
「宮坂さん! この男を叩き出せ!」
「そうだ、叩き出せ!」
「非国民め!」
周囲の職人たちも、坂上に敵意を剥き出しにする。
坂上は、工場の責任者である宮坂に腕を掴まれ、文字通り、工場の門の外へと「叩き出された」。
土埃の舞う道に、一人取り残される。
ガリッ、と。
坂上は、最後の一粒の黒飴を噛み砕いた。
(……感染(インフェクション)は、根深い)
(新聞社だけではない。中枢(陸軍)も、インフラ(工場)も、全てが『精神論』という『バグ』に侵されている)
彼は、Yシャツの埃を払い、冷え切った目で工場の看板を睨みつけた。
(この国は、破滅する。俺が、この「システム」そのものを魔改造(デバッグ)しなければ)
坂上の「監査」対象は、今、この国全体へと拡大した。
坂上は、路面電車を降り、工廠(こうしょう)が立ち並ぶ地区の埃っぽい空気を吸い込んだ。
ガリッ、と奥歯で黒飴を噛み砕く。
(……ダメだ。糖分が多すぎる。覚醒作用ゼロ。非効率だ)
あの1円20銭のコーヒーキャンディ(贅沢品)の屈辱が、彼の苛立ちを増幅させていた。
彼の取材先は、中島飛行機の下請けであり、陸軍の次期制式採用を狙うエンジン部品を製造している「浅川精工」だった。
「おお、帝都日報さん! よくぞお越しに!」
工場の責任者である宮坂が、人の良さそうな笑顔で坂上を出迎えた。
「ささ、こちらへ。我が社の『職人技』が、帝国の空を支えるのです!」
坂上は、29歳の監査官の目で、無言で工場内を「スキャン」し始めた。
(……非効率だ)
宮坂が「最新鋭です!」と胸を張る旋盤(せんばん)が並ぶライン。
だが、坂上の目に映ったのは、絶望的なまでの「非効率」だった。
第一に、動線(ワークフロー)が崩壊している。
作業員が、重い部品を持って、ラインの端から端まで、無駄に行き来している。
(あの作業員。この5分で、最低でも60歩は余計に歩いている。動線を最適化すれば、20秒は短縮できる。なぜ部品箱をあんな遠くに置く?)
第二に、規格(スタンダード)が存在しない。
「あれぞ、我が社の宝! 佐藤のじいさんです!」
宮坂が指さす先で、古参の職人が、部品をヤスリで「手作業で」削っていた。
「機械じゃ出せん『微調整』を、あの男の『勘』で仕上げるんですよ!」
(……勘?)
坂上のこめかみが引きつった。
(部品の規格が不統一だから、手作業で「現物合わせ」しているだけじゃないか。これは『製造業』ではない。『工芸品』だ。兵器の部品でそれをやるか。非効率の極みだ)
第三に、不良品の山だ。
工場の片隅に、明らかに規格外(デフェクティヴ)と判断された金属部品が、無造作に積み上げられている。
「もちろん、我が社の検査は厳しい! ああして、少しでも『魂』のこもらん部品は弾きます!」
宮坂は、それを「品質管理の証」として誇った。
(……)
坂上は、ついに立ち止まった。
不味いコーヒー。手に入らないキャンディ。非効率な職場。
そして今、目の前にある、日本の「国防」を支えるはずのインフラの、この致命的な「バグ」。
彼の怒りのゲージが、振り切れた。
「宮坂さん」
坂上の、温度のない声が響く。
「お、おお? なんでしょう、坂上記者」
「いくつか質問を」
坂上は、メモ帳ではなく、監査官として「彼ら」を詰問し始めた。
「第一。なぜ、不良品率の『データ』を取らない?」
「……は?」
「あの山だ。あれは『魂』の有無ではない。ただの『損失』だ。あの廃棄コストが、製品単価にどう影響しているか、説明されたい」
宮坂の笑顔が、固まった。
「い、いや……それは、その……」
「第二。作業動線が非効率すぎる」
坂上は、先程の作業員を指さした。
「あの作業員、1時間に何歩、無駄に歩いているか計測したか? 彼の給料の何割が『移動』に支払われている? 彼の疲労(リソース)の蓄積が、どれだけ作業ミスを誘発しているか、シミュレーションは?」
「し、しみゅれ……?」
宮坂が狼狽していると、その背後から、油の染みた作業着を着た若い男が、鋭い目つきで割って入った。
「失礼だが、記者さん」
男は、手に持った青図(設計図)を丸めながら言った。
「貴方は、一体何の話をしている?」
「生産管理(プロダクション・コントロール)の話だ」
坂上は、若い男を一瞥した。
「生産管理? 冗談じゃない」
若い技師――堀越二郎の同僚とでも言うべき、新進気鋭の技術者だった。
「我々が作っているのは、大根や反物じゃない! 帝国の空を飛ぶ『翼』の『心臓』だ! 貴方のような素人(しろうと)に、『歩数』だの『データ』だのと言われる筋合いはない!」
「素人か」
坂上は、黒飴の甘ったるさが残る口の中で、冷たく呟いた。
「そうだ!」
技師は、坂上の冷徹な目に、カッと熱くなった。
「我々の品質は、佐藤のじいさんのような『職人の魂』と、我々技術者の『情熱』で支えられている! 貴方の言う『数字』なんぞで、飛行機が飛ぶか!」
(……出た)
坂上は、もはや失望を隠さなかった。
帝都日報の田中局長と同じだ。
「気合」
「魂」
「情熱」
「飛ぶさ」
坂上は、若い技師に言い放った。
「『数字』でしか、飛行機は飛ばない。貴様の言う『魂』とは、非効率な作業工程と、不統一な部品規格の『バグ』を隠蔽するための、都合の良い『精神論』に過ぎん」
「……なっ!」
「貴様らの『魂』とやらは、あまりに高コスト(非効率)だ」
若い技師の顔が、怒りで真っ赤に染まった。
「……貴様、皇軍を、この工場を侮辱する気か!」
「事実を指摘したまでだ」
「宮坂さん! この男を叩き出せ!」
「そうだ、叩き出せ!」
「非国民め!」
周囲の職人たちも、坂上に敵意を剥き出しにする。
坂上は、工場の責任者である宮坂に腕を掴まれ、文字通り、工場の門の外へと「叩き出された」。
土埃の舞う道に、一人取り残される。
ガリッ、と。
坂上は、最後の一粒の黒飴を噛み砕いた。
(……感染(インフェクション)は、根深い)
(新聞社だけではない。中枢(陸軍)も、インフラ(工場)も、全てが『精神論』という『バグ』に侵されている)
彼は、Yシャツの埃を払い、冷え切った目で工場の看板を睨みつけた。
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