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第二章 軍法
EP 3
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飼い殺しの始まり
憲兵隊本部の重い鉄の扉が、坂上の背後で閉まった。
三日ぶりに浴びる、秋の帝都の陽の光は、やけに埃っぽく、眩しかった。
「……釈放」
彼は、自由の身になった。
だが、イージス艦長の「戦術レーダー」が、即座に「脅威」を感知していた。
(……監視が、ついている)
憲兵隊の門を出た瞬間からだ。
通りの向かい側の煙草屋の軒先。新聞を読むフリをしている、中折れ帽の男。
二人組だ。もう一人は、角を曲がったところにいる。
(……憲兵隊ではないな。あれは、特高――内務省の秘密警察の目だ)
川上は、坂上を「陸軍の檻」から、「国家の檻」へと移しただけだった。
坂上は「反逆者」から「要注意思想犯」へと、カテゴライズが変わったに過ぎない。
(……非効率だ。これほどの監視リソースを、俺一人に割くとは)
坂上は、その「非効率」こそが、川上の「本気の殺意」の現れだと理解した。
彼は、監視を引き連れたまま、埃っぽい安アパートに戻った。
部屋は、荒らされてはいなかった。
だが、彼の感覚が、自分の知らない誰かが、この部屋の畳を歩き、引き出しを開けたことを告げていた。
(……情報ゼロ。装備ゼロ。そして、監視つき)
彼は、蛇口を捻り、錆び臭い水で顔を洗った。
不味いコーヒーの出がらしが、冷たく固まっている。
(……最悪だ)
翌朝。
坂上は、帝都日報の編集局に向かった。
川上の言った、「罰」を、その目で確認するために。
編集局に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
昨日までの喧騒が、まるで潮が引くように静まり返る。
「……坂上だ」
「……戻ってきやがった」
「憲兵隊に引っ張られてた、あの……」
記者たちの「ヒソヒソ声」は、もはや好奇心ではなく、「恐怖」と「侮蔑」だった。
坂上は、この組織にとって、触れてはならない「汚物」になっていた。
「……坂上」
編集局長の田中が、やつれた顔で、自分のデスクから彼を手招きした。
怒鳴り声は、なかった。
そこには、陸軍という巨大な権力に、完全に怯えきった、中年男の「諦め」だけがあった。
「……局長」
「坂上。……貴様は、クビだ」
田中は、目を合わせずに言った。
「……クビ(解雇)か」
(……いや、違う。川上は『生きて働いてもらう』と言った。
クビにして『自由』にするはずがない)
坂上は、田中の嘘を、即座に見抜いた。
「……すまん」
田中は、観念したように、本当の「辞令」を差し出した。
「……クビではない。
本日付けで、貴様を……」
田中は、言いにくそうに、声を潜めた。
「……『資料室』付き、とする」
「……資料室?」
坂上が知る限り、帝都日報の「資料室」は、窓のない、地下二階にある「墓場」だ。
そこは、定年間際の老社員が、ただ時間を潰すためだけに行く場所だった。
「経済部のデスクは、もうない。貴様の記事も、輪転機には乗らん」
「……」
「貴様の仕事は、創刊号から全ての新聞を、日付順に整理し直すことだ。陸軍から『資料の管理が非効率だ』と、ご指摘をいただいたんでな」
(……!)
坂上は、全身の血が、一瞬で冷えた気がした。
これか。
これこそが、川上の「合理的」な「罰」か。
「クビ(自由)」にはしない。
「記者証(プレスパス)」は、取り上げない。
だが、彼から「記事を書く力」も、「情報にアクセスする権限」も、「未来へのキャリア」も、全てを奪う。
そして、彼が最も憎む、「非効率」の象徴――埃だらけの「過去の紙の山」――に、彼を「生き埋め」にする。
「……これが、貴様の『墓場』だ、坂上」
田中は、憐れむように言った。
「陸軍に逆らった『罰』だ。……せいぜい、埃にまみれて、腐っていくがいい」
坂上は、その「辞令」を、無言で受け取った。
特高の監視。
そして、この「紙の牢獄」。
川上鷹司は、坂上真一の「合理主義」の精神を、最も「非合理」な方法で、殺そうとしていた。
憲兵隊本部の重い鉄の扉が、坂上の背後で閉まった。
三日ぶりに浴びる、秋の帝都の陽の光は、やけに埃っぽく、眩しかった。
「……釈放」
彼は、自由の身になった。
だが、イージス艦長の「戦術レーダー」が、即座に「脅威」を感知していた。
(……監視が、ついている)
憲兵隊の門を出た瞬間からだ。
通りの向かい側の煙草屋の軒先。新聞を読むフリをしている、中折れ帽の男。
二人組だ。もう一人は、角を曲がったところにいる。
(……憲兵隊ではないな。あれは、特高――内務省の秘密警察の目だ)
川上は、坂上を「陸軍の檻」から、「国家の檻」へと移しただけだった。
坂上は「反逆者」から「要注意思想犯」へと、カテゴライズが変わったに過ぎない。
(……非効率だ。これほどの監視リソースを、俺一人に割くとは)
坂上は、その「非効率」こそが、川上の「本気の殺意」の現れだと理解した。
彼は、監視を引き連れたまま、埃っぽい安アパートに戻った。
部屋は、荒らされてはいなかった。
だが、彼の感覚が、自分の知らない誰かが、この部屋の畳を歩き、引き出しを開けたことを告げていた。
(……情報ゼロ。装備ゼロ。そして、監視つき)
彼は、蛇口を捻り、錆び臭い水で顔を洗った。
不味いコーヒーの出がらしが、冷たく固まっている。
(……最悪だ)
翌朝。
坂上は、帝都日報の編集局に向かった。
川上の言った、「罰」を、その目で確認するために。
編集局に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
昨日までの喧騒が、まるで潮が引くように静まり返る。
「……坂上だ」
「……戻ってきやがった」
「憲兵隊に引っ張られてた、あの……」
記者たちの「ヒソヒソ声」は、もはや好奇心ではなく、「恐怖」と「侮蔑」だった。
坂上は、この組織にとって、触れてはならない「汚物」になっていた。
「……坂上」
編集局長の田中が、やつれた顔で、自分のデスクから彼を手招きした。
怒鳴り声は、なかった。
そこには、陸軍という巨大な権力に、完全に怯えきった、中年男の「諦め」だけがあった。
「……局長」
「坂上。……貴様は、クビだ」
田中は、目を合わせずに言った。
「……クビ(解雇)か」
(……いや、違う。川上は『生きて働いてもらう』と言った。
クビにして『自由』にするはずがない)
坂上は、田中の嘘を、即座に見抜いた。
「……すまん」
田中は、観念したように、本当の「辞令」を差し出した。
「……クビではない。
本日付けで、貴様を……」
田中は、言いにくそうに、声を潜めた。
「……『資料室』付き、とする」
「……資料室?」
坂上が知る限り、帝都日報の「資料室」は、窓のない、地下二階にある「墓場」だ。
そこは、定年間際の老社員が、ただ時間を潰すためだけに行く場所だった。
「経済部のデスクは、もうない。貴様の記事も、輪転機には乗らん」
「……」
「貴様の仕事は、創刊号から全ての新聞を、日付順に整理し直すことだ。陸軍から『資料の管理が非効率だ』と、ご指摘をいただいたんでな」
(……!)
坂上は、全身の血が、一瞬で冷えた気がした。
これか。
これこそが、川上の「合理的」な「罰」か。
「クビ(自由)」にはしない。
「記者証(プレスパス)」は、取り上げない。
だが、彼から「記事を書く力」も、「情報にアクセスする権限」も、「未来へのキャリア」も、全てを奪う。
そして、彼が最も憎む、「非効率」の象徴――埃だらけの「過去の紙の山」――に、彼を「生き埋め」にする。
「……これが、貴様の『墓場』だ、坂上」
田中は、憐れむように言った。
「陸軍に逆らった『罰』だ。……せいぜい、埃にまみれて、腐っていくがいい」
坂上は、その「辞令」を、無言で受け取った。
特高の監視。
そして、この「紙の牢獄」。
川上鷹司は、坂上真一の「合理主義」の精神を、最も「非合理」な方法で、殺そうとしていた。
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