『「貴様の命令では犬死にだ」 50歳のイージス艦長、昭和(1935)に転生。非効率な精神論を殴り飛ばし、日本を魔改造する』

月神世一

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第二章 軍法

EP 8

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薫の「暗躍」(もう一人の主人公)
翌日の昼休み。
陸軍省のタイピスト室は、機械的な打鍵音だけが響いていた。
早乙女薫は、目の前の「皇軍の士気高揚」を謳う原稿を打ちながら、その思考は昨夜の「非効率な食卓」にあった。
(……ボールベアリング。ドイツ製。大蔵省管轄)
坂上の要求(オーダー)は、具体的かつ、極めて「黒(ブラック)」に近い軍事機密だった。
それは、航空機や精密機械の生産能力の「今」を知るための、核心的なデータだ。
陸軍省(ここ)のタイピストが、大蔵省(あちら)の機密をどうやって盗む?
(……私が行くしかない)
薫は、決意を固めていた。
彼女は、昼休みを返上し、上司に「急な腹痛」を訴え、半日の休暇をもぎ取った。
坂上の「合理性」に触れてから、彼女は、こういう「非合理な嘘」を、冷静に演じられるようになっていた。
陸軍省の制服のままでは目立ちすぎる。
彼女は、自宅に一度戻り、父の形見である地味だが上質なワンピースに着替えた。
そして、あの「切り札」――父の古い同窓会名簿から見つけ出した、大蔵省官僚「菊池 武弘」の連絡先を、ハンドバッグの奥に忍ばせた。
霞が関。
陸軍省の、威圧的で「精神論」の塊のような建物とは対照的に、大蔵省の庁舎は、冷たい「合理性」と「数字」の匂いがした。
だが、その「合理性」は、今の薫にとっては、陸軍の狂気よりも恐ろしかった。
彼らは「数字」で人を測る。
「陸軍省のタイピスト風情が、何の用だ」と、門前払いされるのがオチだろう。
「ごめんください」
受付で、彼女は、用意してきた「嘘」ではなく、「真実」に近いカードを切った。
「主計局の、菊池武弘様にお取次ぎを願いとうございます。……故・早乙女教授の、娘です」
父の名前は、まだ「力」を持っていた。
数分の後、薫は、庁舎の奥にある、タバコの煙と膨大な書類に埋もれた一室に通された。
「……おお。薫君か。大きくなったな」
そこにいたのは、菊池武弘――父より幾分年上に見える、疲れた目をした、しかし理知的な紳士だった。
「君のお父上には、私も……いや、この国も、多大な『損失』を被った。……それで、今日はどうしたね? 陸軍省のタイピストになったと聞いていたが」
その声には、陸軍への明らかな皮肉が混じっていた。
薫は、この男が「味方」か「敵」かを見極めようとしていた。
(……この人は、「損失」という言葉を使った)
坂上と同じ、「合理的」な言葉だ。
薫は、賭けに出た。
「菊池様。父が、生前申しておりました。『菊池さんだけが、この国の「数字」を信じている』と」
「……」
菊池の目が、カミソリのように鋭くなった。
「……何が言いたい」
「父と同じ『病気』に気づいている、『記者』がいます」
薫は、ハンドバッグから、坂上のメモ(ドイツ製ボールベアリングの件)ではなく、自分が用意した「手土産」――あの、北支の「横領裏帳簿」の、几帳面なタイプコピー――を差し出した。
「これは、北支での『精神論』の、裏側の『数字』です」
菊池は、その数枚の紙を、無言で受け取った。
彼の目が、その異常な「損失率」と「横領額」の数字を、素早く追っていく。
「……竹下大尉か。あの馬鹿め。……これを、君が?」
「この『帳簿』を暴いた『記者』がいます。彼は、陸軍に睨まれ、今、『資料室』で飼い殺しにされています」
薫は、一気にまくし立てた。
「彼は、日本が『数字』で滅びると言っています。それを証明するため、彼(かれ)は『今』の数字を欲しています」
「……」
菊池は、タイプコピーをテーブルに置くと、深く、深く、ため息をついた。
「……君のお父上も、そうだった。彼は『正論』で、この国の『狂気』と戦おうとした。そして、負けた」
彼は、薫を真っ直ぐに見つめた。
「君も、その『記者』とやらも、同じ道を辿る気か。……特高は、君が思うより、ずっと優秀だぞ」
「ですが、何もしなければ、父の『死』も、坂上さんの『合理』も、全てが『犬死に』になります」
薫は、北支で学んだ、あの禁忌の言葉を、静かに口にした。
菊池は、その言葉に、目を見開いた。
彼は、数秒間、目の前の、父の面影を持つ、この若く、無謀な「共犯者」を見つめていた。
やがて、彼は、席を立った。
「……五分だけ、待っていなさい」
彼は、部屋の奥にある、巨大な「統計書庫」の暗闇へと消えていった。
薫は、一人残された部屋で、自分の心臓が、あの北支の銃声よりも激しく高鳴るのを、聞いていた。
彼女は、今、確実に、国家への「反逆」に、足を踏み入れていた。
このシーンについての感想や、次への展開予想など、何か気になる点はありますか?
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