『「貴様の命令では犬死にだ」 50歳のイージス艦長、昭和(1935)に転生。非効率な精神論を殴り飛ばし、日本を魔改造する』

月神世一

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第二章 軍法

EP 20

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爆弾の開封
坂上真一は、三度、『檻』の風景を眺めていた。
だが、今度の「檻」は、陸軍の尋問室とも、帝都日報の「紙の墓場」とも、異質だった。
内務省 警保局――特高警察の、冷たい、コンクリートむき出しの、留置施設だった。
埃っぽさはない。カビ臭さもない。
ただ、消毒液の、非人間的な「清潔さ」だけが、彼の感覚を麻痺させた。
(……非効率だ)
彼は、盗んだスーツを剥ぎ取られ、粗末な単の囚人服に着替えさせられ、独房に放り込まれていた。
彼の「作戦行動」は、逮捕の瞬間に完了した。
今は、ただの「待機モード」だ。
特高の連中は、混乱していた。
彼は「アカ」の使う言葉を口にしない。
「反逆者」にしては、冷静に「逮捕」を受け入れすぎている。
何より、陸軍と海軍が、彼一人の身柄を巡って、水面下で、醜い綱引きを始めている。
坂上は、「尋問対象」から、「政治的な爆弾」そのものへと、変わっていた。
(……フェイズ1、完了)
坂上は、冷たい床に座り込み、目を閉じた。
(……フェイズ2は、山本五十六の「合理的な判断」。
あの「爆弾」を、彼がどう「監査」するかだ)
その頃。
早乙女薫は、安アパートの自室で、震えが止まらなかった。
彼女は、特高の尾行を恐れ、あの日以来、陸軍省との往復以外、一歩も外に出ていなかった。
朝刊の片隅には、
『帝国ホテル 騒然 一思想犯ヲ逮捕』
と、小さく載っただけだった。
山本五十六の名前も、川上鷹司の名前も、あの『本』のことも、一切書かれていない。
(……私は、とんでもないことをしてしまった)
(……私が、あの人を、死地に送り込んだのかもしれない)
(……あの「爆弾」が、もし、山本閣下の機嫌を損ねる「不発弾」だったら?)
彼女は、「共犯者」として、「起爆」の瞬間を、ただ待つことしかできなかった。
十一月十五日、深夜。
海軍省、次官室。
山本五十六は、一人だった。
激動の一日が、ようやく終わろうとしていた。
デスクの上には、片付けるべき書類の山が、二つあった。
一つは、陸軍の川上中佐から、即日届いた、「海軍の不当な『証拠物件』の強奪に対する、厳重なる抗議書」。
山本は、それに一瞥もくれなかった。
そして、もう一つ。
あの、帝国ホテルのロビーで、あの「狂人」か「天才」か分からぬ男から、強引に押し付けられた、
埃っぽい、『蚕糸業 統計報告書』。
山本は、冷め切った葉巻を灰皿に押し付けると、
その、分厚い「爆弾」に、手を伸ばした。
(……『未来の損失率』)
(……『非合理な戦争』)
(……『コスト』)
あの男が、逮捕される寸前に、自分の目だけを見て言った言葉が、脳裏に蘇る。
山本は、埃っぽい表紙を開いた。
そして、その表紙の裏に、油紙に包まれて隠されていた、数枚の、折り畳まれた「レポート」を、見つけた。
(……これか)
彼は、その紙を、ゆっくりと広げた。
そこに書かれていたのは、狂人の「檄文」ではなかった。
ただ、冷たい、冷たい「数字」と「グラフ」の羅列だった。
【対米戦シミュレーション:最終報告】
山本の、合理的で、常に冷静な目が、その一行目を、追い始めた。
『前提:日米開戦を「1941年」と仮定』
(……ほう)
『第一予測:海上輸送路の損失率20%により、石油備蓄、1943年末に枯渇開始』
(……!)
山本の動きが、止まった。
彼が、海軍内部で、最も危惧している「シーレーン」と「石油」の問題が、恐ろしいほど「正確」な数字で、冒頭に叩きつけられていた。
彼の読む速度が、加速する。
『第二予測:ボールベアリング輸入途絶による、高性能エンジンの生産能力……』
(……馬鹿な! この数字は、大蔵省の菊池と、俺のラインでしか、把握していない、非公式データのはずだ!)
彼は、椅子から立ち上がっていた。
そして、最後の、あの「結論」のページに、辿り着いた。
『結論:
1944年、春。
日本の工業生産力は……『敗北』に至る』
「…………」
深夜の次官室に、山本五十六の、深い、深いため息とも、呻きともつかない、息の音だけが、響いた。
彼は、海軍の「最高機密」の金庫を開けると、そこから、彼自身が、秘密裏に部下に「シミュレーション」させていた、
『対米 継戦 能力ニ関スル試算』
という、彼の「絶望」の根拠となっていた、別の「レポート」を、取り出した。
二つのレポートが、机の上に、並べられた。
海軍の粋を集めた「機密レポート」と、
埃まみれの「狂人レポート」。
(……同じだ)
(……いや)
山本の背筋を、冷たい汗が、流れた。
(……こっちの方が、
……『正確』だ)
山本のレポートは、「希望的観測」や「精神論」への「政治的配慮」が、わずかに入っていた。
だが、坂上のレポートには、それが「ゼロ」だった。
ただ、冷たい「数字」だけが、「敗北」という「結論」に向かって、非情なまでに、合理的に、積み上げられている。
(……この男)
(……この「坂上真一」という男は)
(……「予測」したのではない)
(……まるで)
(……『未来から来て、
「敗戦の報告書」を、書いた』かのようだ)
山本五十六は、受話器を取った。
「……私だ。夜分にすまない」
「……ああ」
「……警視庁の、特高第一課に繋いでくれ」
「……いや、待て。
……内務大臣官邸に、直接繋げ。
……海軍次官、山本だ。
……『国家の安全保障に関わる、緊急の案件だ』と」
「爆弾」は、起爆した。
その「爆風」は、今、霞が関の全てを巻き込もうとしていた。
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