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第三章 大和
EP 8
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北の国境、消えた連隊
昭和14年(1939年)、夏。
満州とモンゴルの国境、ノモンハン。
草原の風に乗って、血の匂いが漂っていた。
東京の「掃き溜め」研究所に、陸軍の機密情報(という名の、薫が陸軍省時代のコネで入手した裏情報)が届いた。
「……全滅、ですか」
薫が、震える声でレポートを読み上げる。
「第23師団、壊滅的打撃。
ソ連軍の機械化部隊に対し、我が軍の肉弾攻撃は通用せず……」
「当たり前だ」
坂上は、海図から目を離さずに言った。
「相手は戦車と重砲の『物量』で押してくる。
それに対し、精神論と三八式歩兵銃で突っ込めば、どうなるか。
……小学生でも分かる計算だ」
「指揮官は……」
薫が、名前を見て息を呑んだ。
「……川上鷹司大佐。
あの、川上さんが、連隊長として……」
「……奴が?」
坂上が、初めて顔を上げた。
川上鷹司。坂上の宿敵であり、精神論の権化。
彼が、自らの信じる「皇軍の精神力」で、ソ連の「物量」に挑み、そして敗れた。
「……死んだか?」
「いえ。
……『転進(撤退)』したそうです。
部下の多くを置き去りにして」
「……」
坂上の手の中で、チョークが粉々に砕けた。
「……学習しない」
坂上は、怒りを通り越して、深い徒労感に襲われていた。
「ノモンハンは、予行演習だ。
近代戦において、『精神』が『物量』に勝てないという、決定的なデータだ。
……だが、奴らは認めないだろう」
坂上の予想通りだった。
大本営は、ノモンハンの敗北を隠蔽した。
「ソ連軍にも甚大な被害を与えた」「精神力では勝っていた」と総括し、
逆に「対戦車攻撃には、より一層の『肉薄攻撃(自爆)』が必要である」という、
狂気の教訓を導き出した。
「……バグが、増殖している」
坂上は、頭を抱えた。
陸軍は、失敗から学ばないどころか、失敗を正当化するために、さらに非合理な方向へと暴走を始めている。
「坂上さん……」
薫が、悲しげに言った。
「この国は、どこへ行くんでしょうか」
「……地獄だ」
坂上は、立ち上がった。
「だが、まだ手はある。
陸軍が北で暴走するなら、海軍は『南』への暴走を止めねばならん」
「南?」
「ドイツだ」
坂上は、欧州の地図を指差した。
「陸軍は、ソ連に対抗するために、ドイツとの同盟を急ぐだろう。
『日独伊三国同盟』。
……これを結べば、日本は自動的に、アメリカとイギリスを敵に回すことになる」
坂上は、スーツを羽織った。
「行くぞ、薫君。
次は、外務省と海軍省の『良識派』を叩き起こす。
……この同盟だけは、何としても阻止しなければならん」
それは、技術者である坂上が挑むには、あまりにも巨大すぎる「歴史の奔流」との戦いだった。
そして、彼はここで初めて、
「個人の合理性」が、「集団の熱狂(空気)」に敗北する、
決定的な挫折を味わうことになる。
昭和14年(1939年)、夏。
満州とモンゴルの国境、ノモンハン。
草原の風に乗って、血の匂いが漂っていた。
東京の「掃き溜め」研究所に、陸軍の機密情報(という名の、薫が陸軍省時代のコネで入手した裏情報)が届いた。
「……全滅、ですか」
薫が、震える声でレポートを読み上げる。
「第23師団、壊滅的打撃。
ソ連軍の機械化部隊に対し、我が軍の肉弾攻撃は通用せず……」
「当たり前だ」
坂上は、海図から目を離さずに言った。
「相手は戦車と重砲の『物量』で押してくる。
それに対し、精神論と三八式歩兵銃で突っ込めば、どうなるか。
……小学生でも分かる計算だ」
「指揮官は……」
薫が、名前を見て息を呑んだ。
「……川上鷹司大佐。
あの、川上さんが、連隊長として……」
「……奴が?」
坂上が、初めて顔を上げた。
川上鷹司。坂上の宿敵であり、精神論の権化。
彼が、自らの信じる「皇軍の精神力」で、ソ連の「物量」に挑み、そして敗れた。
「……死んだか?」
「いえ。
……『転進(撤退)』したそうです。
部下の多くを置き去りにして」
「……」
坂上の手の中で、チョークが粉々に砕けた。
「……学習しない」
坂上は、怒りを通り越して、深い徒労感に襲われていた。
「ノモンハンは、予行演習だ。
近代戦において、『精神』が『物量』に勝てないという、決定的なデータだ。
……だが、奴らは認めないだろう」
坂上の予想通りだった。
大本営は、ノモンハンの敗北を隠蔽した。
「ソ連軍にも甚大な被害を与えた」「精神力では勝っていた」と総括し、
逆に「対戦車攻撃には、より一層の『肉薄攻撃(自爆)』が必要である」という、
狂気の教訓を導き出した。
「……バグが、増殖している」
坂上は、頭を抱えた。
陸軍は、失敗から学ばないどころか、失敗を正当化するために、さらに非合理な方向へと暴走を始めている。
「坂上さん……」
薫が、悲しげに言った。
「この国は、どこへ行くんでしょうか」
「……地獄だ」
坂上は、立ち上がった。
「だが、まだ手はある。
陸軍が北で暴走するなら、海軍は『南』への暴走を止めねばならん」
「南?」
「ドイツだ」
坂上は、欧州の地図を指差した。
「陸軍は、ソ連に対抗するために、ドイツとの同盟を急ぐだろう。
『日独伊三国同盟』。
……これを結べば、日本は自動的に、アメリカとイギリスを敵に回すことになる」
坂上は、スーツを羽織った。
「行くぞ、薫君。
次は、外務省と海軍省の『良識派』を叩き起こす。
……この同盟だけは、何としても阻止しなければならん」
それは、技術者である坂上が挑むには、あまりにも巨大すぎる「歴史の奔流」との戦いだった。
そして、彼はここで初めて、
「個人の合理性」が、「集団の熱狂(空気)」に敗北する、
決定的な挫折を味わうことになる。
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