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第三章 大和
EP 9
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悪魔の契約書
昭和15年(1940年)、夏。
東京の夏は、湿気と、熱狂と、そして不穏な「空気」で煮詰まっていた。
「……バスに乗り遅れるな」
それが、この国を覆う呪文だった。
欧州では、ドイツ軍が電撃戦でフランスを降伏させ、破竹の勢いで進撃していた。
「ドイツと組めば、日本も勝てる」「英米恐るるに足らず」。
新聞も、ラジオも、街の噂も、その一色に染まっていた。
築地の「掃き溜め」研究所。
坂上真一は、膨大な英文のレポートを、叩きつけるようにデスクに置いた。
「……馬鹿げている」
坂上は、氷を噛み砕くような声で言った。
「ドイツの『勝利』は、一時的なものだ。
彼らの資源備蓄量(リソース)を見ろ。石油も、ゴムも、レアメタルも、長期戦に耐えうる量ではない。
イギリスが持ちこたえ、ソ連あるいはアメリカが参戦すれば、ドイツは必ず『ジリ貧』になる」
「でも、世間はそうは見ていません」
早乙女薫が、憂鬱そうに新聞を広げた。
一面には、ナチスのハーケンクロイツと日章旗が並び、『日独伊、防共の枢軸』という見出しが踊っている。
「……空気だ」
坂上は、窓の外、帝都の空を睨んだ。
「この国は今、データ(事実)ではなく、空気(願望)で動いている。
『ドイツが勝てば、我々も楽になれる』という、安易な願望だ。
……その願望が、アメリカという巨人を敵に回す『自殺行為』だと、なぜ気づかん」
「止められますか?」
薫が、すがるような目で坂上を見た。
「止める」
坂上は、スーツの上着を掴んだ。
「海軍省へ行く。山本五十六、そして米内(よない)光政(みつまさ)。
海軍の『良識派』と呼ばれるトップたちは、まだ踏みとどまっている。
彼らに、この『ドイツ敗北のシミュレーション』を渡し、陸軍の暴走を食い止める理論武装(ロジック)を与える」
坂上は、レポートの束をカバンに詰め込んだ。
「これが、最後の防衛ラインだ。
三国同盟を結べば、アメリカからの石油は止まる。
そうなれば、日本は『開戦』か『自滅』か、二つに一つの地獄しか残されない」
昭和15年(1940年)、夏。
東京の夏は、湿気と、熱狂と、そして不穏な「空気」で煮詰まっていた。
「……バスに乗り遅れるな」
それが、この国を覆う呪文だった。
欧州では、ドイツ軍が電撃戦でフランスを降伏させ、破竹の勢いで進撃していた。
「ドイツと組めば、日本も勝てる」「英米恐るるに足らず」。
新聞も、ラジオも、街の噂も、その一色に染まっていた。
築地の「掃き溜め」研究所。
坂上真一は、膨大な英文のレポートを、叩きつけるようにデスクに置いた。
「……馬鹿げている」
坂上は、氷を噛み砕くような声で言った。
「ドイツの『勝利』は、一時的なものだ。
彼らの資源備蓄量(リソース)を見ろ。石油も、ゴムも、レアメタルも、長期戦に耐えうる量ではない。
イギリスが持ちこたえ、ソ連あるいはアメリカが参戦すれば、ドイツは必ず『ジリ貧』になる」
「でも、世間はそうは見ていません」
早乙女薫が、憂鬱そうに新聞を広げた。
一面には、ナチスのハーケンクロイツと日章旗が並び、『日独伊、防共の枢軸』という見出しが踊っている。
「……空気だ」
坂上は、窓の外、帝都の空を睨んだ。
「この国は今、データ(事実)ではなく、空気(願望)で動いている。
『ドイツが勝てば、我々も楽になれる』という、安易な願望だ。
……その願望が、アメリカという巨人を敵に回す『自殺行為』だと、なぜ気づかん」
「止められますか?」
薫が、すがるような目で坂上を見た。
「止める」
坂上は、スーツの上着を掴んだ。
「海軍省へ行く。山本五十六、そして米内(よない)光政(みつまさ)。
海軍の『良識派』と呼ばれるトップたちは、まだ踏みとどまっている。
彼らに、この『ドイツ敗北のシミュレーション』を渡し、陸軍の暴走を食い止める理論武装(ロジック)を与える」
坂上は、レポートの束をカバンに詰め込んだ。
「これが、最後の防衛ラインだ。
三国同盟を結べば、アメリカからの石油は止まる。
そうなれば、日本は『開戦』か『自滅』か、二つに一つの地獄しか残されない」
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