鬼神と月兎

月神世一

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序章 DEATH4

EP 3

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守るという誓い

あの日以来、ユイの世界は色を変えてしまった。豪華な装飾に囲まれた神殿の自室にいても、耳に残るのは群衆の賛美ではなく、ただ一人の少年の、ぶっきらぼうな声だった。

数日後、ユイは家来の目を盗んで一人で神殿を抜け出した。手には、王都でも一番と評判の菓子店の、上等な木箱を抱えている。向かう先は、たつまろとユウが暮らす、街外れの小さな家だ。

「ここが、たつまろの家かぁ……」

質素だが、丁寧に手入れされた畑と、小さいながらも温かみの感じられる家。自分が住む冷たく広々とした神殿とは何もかもが違っていた。

「へへっ、喜んでくれるかな」

初めての経験に胸をときめかせながら、ユイは家の戸を叩いた。

ドンドンッ。

中から聞こえてきたのは、警戒心を含んだ低い声だった。

「……なんだ?」

戸が開き、たつまろが顔を出す。その無愛想な顔を見て、ユイの心臓が跳ねた。

「あ、あの、これ!」

ユイは緊張のあまり、抱えていた木箱を突き出すように差し出した。

「ん?」たつまろは怪訝な顔で木箱を一瞥する。

「こ、これ! すっごい美味しいお菓子なの! だから、その、食べて!」

たつまろはユイの顔と木箱を交互に見た後、ふっと表情を和らげた。

「あー、ユウが喜びそうだな」

その反応にユイが少し拍子抜けしていると、たつまろは家の中に向かって声を張った。

「ユウ!」

「ユウ…?」ユイが首を傾げる。

ひょっこりと顔を出したのは、たつまろの腕に隠れるようにした小さな男の子だった。

「なーに、にいちゃん」

「この人にもらったんだ。お礼を言うんだぞ。……えっと、名前は」

たつまろが言い淀むと、ユイは慌てて名乗った。

「ユイ! 僕の名前はユイって言うの!」

ユウはこてんと首を傾げ、兄を見上げてから、ユイに向かって小さな声で言った。

「……あ、ありがと」

「えへへ」

ユウの素直な感謝に、ユイの顔が自然とほころぶ。

「へぇ、兄弟がいたんだ」

たつまろは、腕を組んでユイを見下ろした。

「で? どうした? なんのようだ?」

「えっ!? あ、用ってほどじゃないけど、このお菓子が好きだから、持ってってあげようかなって……そ、それだけだから! じゃ、じゃあね!」

用件を済ませた、とばかりにユイが慌てて踵を返そうとした、その時だった。

「待てよ。せっかく来たんだ、上がっていけよ」

「え? いいの?」

ユイが驚いて振り返ると、その足元にユウが駆け寄ってきて、ユイの服の裾をくん、と引っ張った。

「うん! おねーちゃん、あそぼー!」

「!……うん! あそぼっ!」

その言葉に、ユイは心の底から嬉しそうな笑顔を見せた。「おねーちゃん」という響きが、心の柔らかな場所をくすぐる。家に入ると、ユウは早速ユイの手を引いて、部屋の中を駆け回った。

「ユイおねーちゃん、まて~!」

「ふふっ、おねーちゃん、か。おねーちゃんって、初めて言われた。嬉しいな」

その無邪気な笑顔を眺めながら、たつまろがぽつりと呟いた。

「そっか。兄弟、いないのか」

ユイは動きを止め、少し寂しそうに微笑んだ。

「うん。僕は兄弟どころか、親もいないんだ」

「親も?」たつまろの目が、わずかに見開かれる。それは、自分と同じ境遇に対する静かな反応だった。

「分かんない。僕は生まれた時から親が誰だか知らないんだ。生まれた時に、巫女としての役目があるから、親の顔を知る必要はないって……」

「巫女?」

「うん」ユイは、当たり前のことのように続けた。「大神官様が言ってた。僕は、もう少ししたら死ぬんだ」

「……死ぬ?」たつまろの声が、低く鋭くなった。

「世界を救うためにね。この世界が災厄に見舞われないように、巫女は命を捧げなきゃいけない決まりなの」

それは、ユイが物心ついた時から聞かされ、疑うことさえ許されなかった、絶対の真実。彼女の運命そのものだった。しかし、たつまろはそれを鼻で笑うように言い放った。

「死にたくねーなら、別に死ななくていいだろ」

「え?」

ユイは、何を言われたのか分からないという顔をした。

「や、やだな! 僕が命を捧げなきゃ、世界が……!」

「世界がどうなろうと知るか」

たつまろは、ユイの言葉を遮った。その瞳には、揺るぎない光が宿っている。

「俺は、ユイを犠牲にしてまで生きたいとは思わねえ」

彼は、遊んでいる弟に一瞬目をやり、そして再びユイに向き直った。

「ユウは俺が守る。……ついでに、ユイもな」

「え? な、何言ってるのかな! も、もう~!」

ユイの顔が、かあっと赤く染まる。その言葉の意味を、どう受け止めたらいいのか分からない。世界の理よりも、目の前の自分を優先するという、あまりにも身勝手で、あまりにも力強い言葉。

「お前は俺が守る。心配すんな」

「!!」

それは、神託でもなければ、定められた運命でもない。たった一人の少年が、自分の意志で紡いだ、初めての約束だった。

「……じゃ、じゃぁ~、またね!」

ユイは、これ以上心臓がもたないとでもいうように、脱兎のごとく家を飛び出した。

「ユイおねーちゃん、バイバーイ! また遊びにきてねー!」

ユウの明るい声が、背中を追いかけてくる。

ユイは振り返って、小さく手を振った。

「……うん! また遊びにくるよ!」

家が見えなくなるまで走り、立ち止まって大きく息をつく。赤くなった顔は、まだ熱いままだ。

胸に手を当てると、トクントクンと速い鼓動が伝わってくる。

「……僕を守る、か……」

世界のために死ぬのが、僕の役目なのに。

でも、たつまろは言った。「心配すんな」と。

「たつまろ……たつまろ、かぁ……」

少女の心に、初めて「死」以外の未来を夢見させる、小さな、しかし何よりも強い光が灯った瞬間だった。

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