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序章 DEATH4
EP 4
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神殿という鳥籠
たつまろの家から戻ったユイの足取りは、まるで夢見心地のように軽やかだった。しかし、彼女を乗せた馬車が大神殿の荘厳な門をくぐった瞬間、現実に引き戻される。空気は冷え、光は遮られ、そこは再び神の化身のための、美しくも孤独な鳥籠だった。
ユイが純白の回廊を進むと、血相を変えた神兵たちが駆け寄ってきた。
「おお! 巫女様、ご無事でしたか!」
「今までどちらへ? 我々一同、どれほど心配したことか!」
彼らの声は安堵と同時に、定められた日課を乱されたことへの微かな苛立ちを含んでいた。いつもなら、ユイは無言で通り過ぎるだけだった。彼らは「物」であり、巫女は「神」であり、そこに心を通わせる必要などないと教えられてきたからだ。
だが、今のユイは違った。
「……ごめんね。心配してくれてありがとう。でも、もう大丈夫だから」
その言葉に、神兵たちは凍りついた。一人が、信じられないという顔で隣の兵士と顔を見合わせる。
「!? 巫女様が……我々に、ありがとう、だと?」
「こ、これは一体どういうことだ……今までこのようなことは一度もなかったぞ……」
彼らの戸惑いを切り裂くように、回廊の奥から重く冷たい声が響いた。
「巫女よ」
そこに立っていたのは、大神官だった。歳は五十頃だろうか。痩身で、切れ長の目には底の知れない光が宿っている。豪華な法衣をまとっているが、その存在自体が、神殿の冷たい石よりもなお冷たく感じられた。
「そなたの身は、そなた一人のものではない。世界中の人々の命運がかかっている大切な器。勝手な振る舞いは、その天命を揺るがすことになると知れ」
大神官はゆっくりと歩み寄り、ユイの目の前で足を止める。その声に怒気はない。だが、逆らうことを一切許さない絶対的な圧があった。ユイは唇をきつく結び、俯くしかなかった。
大神官は、そんなユイの心を見透かすように、言葉を続けた。
「……聞けば、外でそなたを殴ったとかいう、下賤の輩がいるそうだな」
「!!」
ユイの身体が、雷に打たれたかのように跳ねた。顔から血の気が引き、たつまろの無愛想な顔と、弟ユウの無邪気な笑顔が脳裏に浮かぶ。
「やめて! たつまろ達は関係ない!」
必死の叫びだった。この男なら、虫けらを潰すように、あのささやかな日常を破壊しかねない。恐怖がユイを支配する。
「僕が……僕が悪かったの! だから、もう勝手なことはしない! ずっと神殿にいるから! お願いだから、あの人たちには何もしないで!」
彼女は、自ら鳥籠に戻ることを誓った。自由を差し出すことで、あの温かい場所を守ろうとしたのだ。
大神官は、ユイの必死の懇願を無表情に聞いていたが、やがて満足そうに頷いた。
「ふむ……よかろう。巫女がそこまで言うのなら。そなたが私の言うことを聞き、巫女の務めを全うする限り、手出しはすまい」
「……! よかった……」
ユイの全身から力が抜ける。安堵のあまり、その場に崩れ落ちそうになるのを必死でこらえた。
「……じゃあ、部屋に戻るね」
大神官に背を向け、逃げるように自室へと向かう。その小さな背中を、大神官は氷のような瞳で見送っていた。
(……巫女が、これほどまでに心を動かされるとはな。あの下賤の民、危険だ。巫女の心が穢される前に、手をうたねばなるまい)
その心中を、ユイは知る由もなかった。
~ユイの私室~
大理石でできた広すぎる部屋は、静寂に満ちていた。高価な調度品も、美しい壁画も、今のユイの目には灰色の牢獄の壁にしか見えない。
「はぁ……。大神官に目をつけられちゃった。これじゃあ、当分はたつまろに会えないかな……」
窓から見える空は、たつまろの家から見た空と同じはずなのに、ひどく窮屈に感じられた。
彼に会いたい。弟のユウくんともっと遊びたい。
そして何より、「心配すんな」という、あの不器用な優しさに、もう一度触れたい。
「たつまろ……」
ぽつりと呟いたその名前が、ユイにとっての世界で一番大切な響きを持っていた。今は会えなくても、心の中には確かに彼がいる。その事実だけが、この冷たい神殿で、彼女が正気を保つための唯一の支えとなっていた。
たつまろの家から戻ったユイの足取りは、まるで夢見心地のように軽やかだった。しかし、彼女を乗せた馬車が大神殿の荘厳な門をくぐった瞬間、現実に引き戻される。空気は冷え、光は遮られ、そこは再び神の化身のための、美しくも孤独な鳥籠だった。
ユイが純白の回廊を進むと、血相を変えた神兵たちが駆け寄ってきた。
「おお! 巫女様、ご無事でしたか!」
「今までどちらへ? 我々一同、どれほど心配したことか!」
彼らの声は安堵と同時に、定められた日課を乱されたことへの微かな苛立ちを含んでいた。いつもなら、ユイは無言で通り過ぎるだけだった。彼らは「物」であり、巫女は「神」であり、そこに心を通わせる必要などないと教えられてきたからだ。
だが、今のユイは違った。
「……ごめんね。心配してくれてありがとう。でも、もう大丈夫だから」
その言葉に、神兵たちは凍りついた。一人が、信じられないという顔で隣の兵士と顔を見合わせる。
「!? 巫女様が……我々に、ありがとう、だと?」
「こ、これは一体どういうことだ……今までこのようなことは一度もなかったぞ……」
彼らの戸惑いを切り裂くように、回廊の奥から重く冷たい声が響いた。
「巫女よ」
そこに立っていたのは、大神官だった。歳は五十頃だろうか。痩身で、切れ長の目には底の知れない光が宿っている。豪華な法衣をまとっているが、その存在自体が、神殿の冷たい石よりもなお冷たく感じられた。
「そなたの身は、そなた一人のものではない。世界中の人々の命運がかかっている大切な器。勝手な振る舞いは、その天命を揺るがすことになると知れ」
大神官はゆっくりと歩み寄り、ユイの目の前で足を止める。その声に怒気はない。だが、逆らうことを一切許さない絶対的な圧があった。ユイは唇をきつく結び、俯くしかなかった。
大神官は、そんなユイの心を見透かすように、言葉を続けた。
「……聞けば、外でそなたを殴ったとかいう、下賤の輩がいるそうだな」
「!!」
ユイの身体が、雷に打たれたかのように跳ねた。顔から血の気が引き、たつまろの無愛想な顔と、弟ユウの無邪気な笑顔が脳裏に浮かぶ。
「やめて! たつまろ達は関係ない!」
必死の叫びだった。この男なら、虫けらを潰すように、あのささやかな日常を破壊しかねない。恐怖がユイを支配する。
「僕が……僕が悪かったの! だから、もう勝手なことはしない! ずっと神殿にいるから! お願いだから、あの人たちには何もしないで!」
彼女は、自ら鳥籠に戻ることを誓った。自由を差し出すことで、あの温かい場所を守ろうとしたのだ。
大神官は、ユイの必死の懇願を無表情に聞いていたが、やがて満足そうに頷いた。
「ふむ……よかろう。巫女がそこまで言うのなら。そなたが私の言うことを聞き、巫女の務めを全うする限り、手出しはすまい」
「……! よかった……」
ユイの全身から力が抜ける。安堵のあまり、その場に崩れ落ちそうになるのを必死でこらえた。
「……じゃあ、部屋に戻るね」
大神官に背を向け、逃げるように自室へと向かう。その小さな背中を、大神官は氷のような瞳で見送っていた。
(……巫女が、これほどまでに心を動かされるとはな。あの下賤の民、危険だ。巫女の心が穢される前に、手をうたねばなるまい)
その心中を、ユイは知る由もなかった。
~ユイの私室~
大理石でできた広すぎる部屋は、静寂に満ちていた。高価な調度品も、美しい壁画も、今のユイの目には灰色の牢獄の壁にしか見えない。
「はぁ……。大神官に目をつけられちゃった。これじゃあ、当分はたつまろに会えないかな……」
窓から見える空は、たつまろの家から見た空と同じはずなのに、ひどく窮屈に感じられた。
彼に会いたい。弟のユウくんともっと遊びたい。
そして何より、「心配すんな」という、あの不器用な優しさに、もう一度触れたい。
「たつまろ……」
ぽつりと呟いたその名前が、ユイにとっての世界で一番大切な響きを持っていた。今は会えなくても、心の中には確かに彼がいる。その事実だけが、この冷たい神殿で、彼女が正気を保つための唯一の支えとなっていた。
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