鬼神と月兎

月神世一

文字の大きさ
15 / 60
鬼神 龍魔呂

そして、、

しおりを挟む
下山、そして再会


幾年の歳月が流れたのか、最早たつまろ自身にも定かではない。鬼神流の師範の下での修行は、ただひたすらに己と向き合う日々だった。内なる「鬼」との対話、技の研鑽、そして静寂の中での瞑想。かつて「死を呼ぶ4番」と呼ばれた頃の、荒れ狂うような殺気や焦燥感は、長い年月のうちに深い湖の底に沈殿したかのように、彼の内へと収まっていた。


「…おぬしの鬼は、だいぶ形を成してきたようじゃな」


ある日、師範はそう呟くと、「もう、ここでおぬしに教えることはない。行け」とだけ告げた。別れの言葉も、餞の品もない。ただ、師範の深い瞳が、わずかに承認の色を湛えているように見えた。


こうして、鬼神龍魔呂――いや、あるいはただの「たつまろ」に戻ったのかもしれない彼は、数年ぶりに霧深い山を下りた。俗世は、彼が山に籠る前とは様変わりしていた。行き交う人々の服装、街の喧騒、そして奇妙な板(スマートフォンと呼ばれるものらしい)を誰もが手にしている光景。まるで浦島太郎だな、と彼は自嘲気味に思った。


山を下りて数日後、彼が安宿の一室で静かに呼吸を整えていると、けたたましい電子音が鳴り響いた。音の発信源は、宿の主人が「預かりものだ」と置いていった、見慣れぬ小型の通信端末だった。画面には「ガジェット」という文字が表示されている。彼が山に籠る前に唯一、連絡先を交換していた奇妙な友人だ。


画面に触れると、ホログラムのような立体映像が浮かび上がり、そこに少しだけ身綺麗になった(しかし相変わらず研究室に籠っているような雰囲気の)ガジェットの姿が現れた。


『やあ、たつまろ! 生きてたか! いやー、師匠から下山したって連絡もらってさ!』


どうやら師範は、ガジェットとは連絡を取り合っていたらしい。


『でさ、思ったんだけど、今の君、世間の情報とか全然知らないでしょ? 不便だろうと思ってさ、これ、僕からのプレゼント! 最新型の“スマシホ”! これがあれば大抵のことは…』


ガジェットは得意げに、たつまろが今手にしている端末と同じものを映像の中で掲げてみせる。その説明は、たつまろにとってはまだ異国の言葉のように聞こえた。


「…そうか。助かる」


たつまろは短く礼を言った。その声色は、以前のような刺々しさは消え、幾分か穏やかになっていた。


『ふふん、だろ? で、まあ、その、なんだ…近況報告っていうか…』


ガジェットは少し照れたように頭を掻いた。


『実は僕…結婚したんだ』


「……」


たつまろは、少しの間、言葉の意味を咀嚼するように黙った。結婚。かつての自分には最も縁遠いと思われた言葉だ。しかし、目の前の友人が、自分とは違う形で幸せを見つけたこと。それは、不思議と彼の心を波立たせることはなかった。


「…そうか」


彼は、ゆっくりと口を開いた。


「おめでとう、ガジェット」


その言葉は、短く、抑揚も乏しかったかもしれない。しかし、そこには確かに、友人の幸福を祝う、純粋な気持ちが込められていた。以前の彼ならば、他人の幸福など意にも介さなかっただろう。あるいは、理解すらできなかったかもしれない。


『え…あ、うん! ありがとう!』


ガジェットは、予想外の素直な祝福に一瞬戸惑いながらも、嬉しそうに顔を綻ばせた。


『いやー、君にそう言ってもらえると、なんか、すごく嬉しいな!』


画面の向こうで笑う友人を見ながら、たつまろは、数年間の修行が自分にもたらした変化を、静かに感じていた。憎しみや怒りが消えたわけではない。過去の傷が癒えたわけでもない。だが、かつて世界そのものを呪った心が、今は少しだけ、他者のささやかな幸福を受け入れられるようになっていた。


「それで、相手はどんな人なんだ?」


珍しく、たつまろの方から問いかけた。彼の新たな人生が、そしてガジェットとの関係が、また少し違う形で動き出そうとしていた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

処理中です...