鬼神と月兎

月神世一

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鬼神と月兎

EP 5

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鬼神、森で踊る
西の森は、その名の通り、街の西側に広がる広大な樹海だった。一歩足を踏み入れると、昼なお暗く、湿った土と腐葉土の匂いが立ち込めている。不気味な鳥の声、遠くで響く獣の咆哮。そこは、文明の光が届かない、モンスターたちの領域だった。
ユイは、不安げに周囲を見回しながら、龍魔呂のすぐ後ろを歩く。彼女の優れた聴覚が、森に潜む無数の敵意の「音」を捉え、その耳を絶えずぴくぴくと動かしていた。対照的に、龍魔呂はまるで自らの庭を散策するかのように、静かに、しかし一切の隙なく歩を進めていた。
「龍魔呂様、気をつけてください。何かが…大きなものが、近くにいます…!」
ユイが警告の声を上げた、その時だった。
木々をなぎ倒す凄まじい音と共に、二人の前に巨大な影が躍り出た。身の丈は龍魔呂の倍以上。岩のように硬質化した緑色の肌を持つ、森鬼(フォレスト・オーガ)だった。その手には、引き抜いた大木をそのまま武器にした巨大な棍棒が握られている。
「グオオオオオオッ!」
オーガは咆哮を上げ、獲物を見つけた獣の目で二人を睨みつける。そして、狙いを龍魔呂に定めると、地面を揺らしながら突進し、頭上から巨大な棍棒を振り下ろした。風を切り裂き、岩をも砕くであろう必殺の一撃。
ユイが「危ない!」と叫ぶよりも早く、龍魔呂は動いていた。いや、動いていない。彼はその場から一歩も動かず、ただ静かに、振り下ろされる棍棒を見上げていた。
そして、その指に嵌められた「闘鬼の指輪」が、主の闘争心に呼応するように、鈍い光を放った。
ゴオオオオッ!
龍魔呂の全身から、渦を巻くような赤黒い闘気が爆発的に噴き出した。それはまるで、彼の肉体を器として、内に眠る「鬼」がその姿を現したかのようだった。闘気の圧力は周囲の空気を震わせ、地面の枯葉が嵐のように舞い上がる。
龍魔呂は、その赤黒い闘気を纏った右腕を、ゆっくりと掲げた。
ドゴオオオオオオンッ!!
オーガの棍棒が、龍魔呂の小さな掌に叩きつけられ、信じがたい轟音を響かせた。しかし、龍魔呂の身体は微動だにしない。巨大な棍棒は、まるで鋼鉄の壁に阻まれたかのように、その掌の上でぴたりと止まっていた。
「グ…!?」
あり得ない光景に、オーガの目が驚愕に見開かれる。龍魔呂は、その驚きを嘲笑うかのように、指に力を込めた。
バキィッ!
赤黒い闘気が奔流となって棍棒を包み込み、巨大な木の棍棒を、まるで枯れ枝のように粉々に砕け散らせた。
「グオッ!?」
武器を失い、怯んだオーガの懐へ、龍魔呂の姿が黒い疾風となって突っ込む。
オーガが巨腕を振るうが、龍魔呂はその動きを紙一重で見切り、腕の内側へと潜り込んだ。そして、闘気を凝縮させた掌底を、がら空きのオーガの鳩尾へと叩き込む。
「鬼神流奥義――『鬼哭衝破(きこくしょうは)』」
ドッッッ!!!
衝撃波が、オーガの巨体を内側から破壊する。オーガは「グボッ」と蛙が潰れたような声を漏らし、巨体がくの字に折れ曲がって宙を舞い、数本の木々をなぎ倒しながら地面に叩きつけられた。
だが、龍魔呂は追撃を緩めない。地面を蹴り、倒れたオーガの元へ瞬時に跳躍すると、その巨大な頭を掴み、力任せに地面へと何度も叩きつける。
ズン! ズン! ズン!
地響きが森に木霊する。それはもはや戦闘ではなく、一方的な蹂躙。まさしく、魔物を力でねじ伏せていた。
やがて、オーガは完全に動きを止め、ただの肉塊と化した。
龍魔呂は、その亡骸の上に静かに立つと、ふぅ、と長く息を吐いた。噴き出していた赤黒い闘気は、彼の呼吸と共にゆっくりと身体の中へと収まっていく。
「……」
ユイは、その光景をただ呆然と見つめていた。
知っていたはずだ。彼が、常識では測れないほど強いことを。しかし、今目の前で繰り広げられたのは、強さという言葉では生ぬるい、神話の中の「鬼神」そのものの闘いだった。美しくすらある、圧倒的な暴力の舞。
龍魔呂は、汚れた手を軽く払うと、何事もなかったかのようにユイを振り返った。
「行くぞ。先を急ぐ」
その声は、先ほどまでの荒々しい闘気が嘘のように、静かだった。
ユイは、こくこくと何度も頷き、再び彼の背中を追いかける。
ただ、彼女の心境は、森に入る前とは少しだけ変わっていた。恐怖ではない。彼への信頼が、畏怖と、そして、なぜか胸を締め付けるような切なさを伴う、より複雑で、より強いものへと変わっていた。
この人の背中に、自分は全てを預けるのだ、と。
ユイは、改めて強く心に誓うのだった。
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