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鬼神と月兎
EP 8
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鬼神、将を討つ
砦の庭は、もはや戦場というよりも屠殺場と化していた。折れた武具と、原型を留めない魔族兵の亡骸が転がる中、龍魔呂はただ一人、静かに佇んでいた。彼の全身からは、未だ赤黒い闘気の陽炎が立ち上っている。
その時、砦の本丸から、ゆっくりと拍手する音が聞こえてきた。
「見事なものだ、下賤の者よ。我が精兵を、まるで虫けらのように捻り潰すとはな」
階段の上に姿を現したのは、一人の屈強な魔族だった。他の兵士とは明らかに格の違う、血のように赤い装飾が施された黒鉄の鎧を纏い、その背には巨大な戦斧を担いでいる。ねじくれた二本の角、そして猛禽のように鋭い瞳。彼こそが、この黒鉄の砦の指揮官、魔将軍グロルであった。
グロルは、眼下の惨状を冷徹な目で見下ろし、そして龍魔呂を睨みつけた。
「その禍々しい闘気…貴様、人間ではないな。何者だ?」
「……」
龍魔呂は答えない。ただ、目の前の男が、先ほどの雑兵とは比較にならない「音」を放っているのを、肌で感じていた。
「答えぬか。まあ、良い。どうせここで死ぬ定めの者に、名など不要だろう」
グロルは担いでいた戦斧を軽々と持ち上げ、その切っ先を龍魔呂へと向ける。
「勇者の在処を嗅ぎつけた、帝国の犬か何か知らぬが、貴様の侵攻はここまでだ。我が血の斧の錆にしてくれる!」
グロルが地面を強く踏みしめた。瞬間、彼の全身から血のように赤い闘気が噴き出し、戦斧の刃にまとわりつく。そして、その巨体からは想像もつかないほどの速度で、龍魔呂へと突進した。
「喰らえ! 魔王軍戦斧術――『血染めの大渦(ブラッディ・メイルストロム)』!」
戦斧が、赤い闘気の渦を巻き起こしながら、横薙ぎに振るわれる。それは、岩壁さえも両断するであろう、恐るべき一撃。
対する龍魔呂は、静かに半身に構え、その赤い斬撃の渦の中へと、自ら踏み込んだ。
赤黒い闘気を両腕に集中させ、回転する戦斧の柄を、内側から、両手で挟み込むようにして受け止める。
ギイイイイイイイインッッッ!!!
金属同士が擦れ合うよりもなお甲高い、凄まじい軋み音が響き渡った。二つの強大な闘気がぶつかり合い、周囲の地面が放射状に砕け散る。
「なっ…!? 我が斧を、素手で止めただと!?」
グロルの顔に、初めて驚愕の色が浮かんだ。
「――遅い」
龍魔呂の口から、氷のように冷たい言葉が漏れた。
彼は、戦斧の柄を掴んだまま、逆にグロルの方へと引き寄せる。体勢を崩したグロルの鎧の隙間――脇腹へ、闘気を纏った膝蹴りを、ゼロ距離から叩き込んだ。
ゴッ!
硬い鎧が衝撃でひしゃげ、グロルは短い苦鳴を漏らして後方へ吹き飛んだ。
「ぐ…おのれ、小賢しい真似を…!」
体勢を立て直したグロルは、さらに闘気を高める。傷つけられたプライドが、彼の怒りに火をつけた。
「ならば、これならどうだ!」
グロルは戦斧を地面に突き立て、両手を天に掲げる。呼応するように、庭に転がる兵士たちの亡骸から、血の霧が立ち上り、グロルの元へと収束していく。
「我が同胞の血肉を糧とし、貴様を滅する! 血盟魔術――『千の怨嗟(サウザンド・グリーフ)』!」
集まった血の霧は、無数の鋭い槍へと姿を変え、龍魔呂へと殺到した。回避不能の、全方位からの飽和攻撃。
しかし、龍魔呂はそれを見ても、表情一つ変えなかった。
「鬼神流――」
彼はただ、両の拳を固く握りしめる。指に嵌められた闘鬼の指輪が、彼の意志に応えて赤黒い光を増した。
「――『不動鬼神陣(ふどうきしんじん)』」
彼が立っている、ただそれだけで、彼の周囲の空間が歪む。殺到した血の槍は、龍魔呂の身体に触れる寸前、見えない壁に阻まれたかのように次々と砕け散っていった。彼の闘気が、絶対的な防御結界を形成していたのだ。
「…な…に…?」
奥の手さえもが通用しない現実に、グロルの思考が追いつかない。
その、絶望的な隙を、龍魔呂が見逃すはずもなかった。
彼の姿が、消えた。
グロルがその気配を捉えた時には、龍魔呂は既に、彼の目の前に立っていた。
「終わりだ」
赤黒い闘気を極限まで凝縮した右拳が、グロルの顔面へと、静かに、しかし抗いがたい速度で吸い込まれていく。
「鬼神流…終の秘奥義――」
グロルの目に、自らの死が、はっきりと映っていた。
「――『天地無双撃(てんちむそうげき)』」
閃光。
そして、山一つを揺るがすほどの、轟音。
グロルの巨体は、その一撃によって、上半身の鎧ごと消滅していた。残された下半身だけが、数瞬の間、その場に立ち尽くし、やがて崩れ落ちた。
赤黒い闘気が、ゆっくりと龍魔呂の身体へと戻っていく。
彼は、もはやただの肉塊と化した魔将軍を一瞥もせず、砦の本丸へと、静かに歩を進めていった。
本丸の重い扉を蹴破り、中へと入る。そこには、地下へと続く、暗く長い階段があった。湿った空気と、微かな魔力の残滓。そして、か細い「音」。
階段を下りきった先、一番奥。そこには、魔術で固められた一つの牢があった。
そして、その中に、一人の少年がいた。
薄汚れた服、少し伸びた茶色の髪。恐怖と諦めで彩られた瞳で、こちらを見上げている。その右手の甲に、淡い光を放つ太陽の紋様が浮かんでいるのを、龍魔呂は確かに認めた。
「……」
「……あ……」
鬼神と勇者。
二人の邂逅は、血と破壊の匂いが満ちる、薄暗い地下牢で、あまりにも静かに、果たされた。
砦の庭は、もはや戦場というよりも屠殺場と化していた。折れた武具と、原型を留めない魔族兵の亡骸が転がる中、龍魔呂はただ一人、静かに佇んでいた。彼の全身からは、未だ赤黒い闘気の陽炎が立ち上っている。
その時、砦の本丸から、ゆっくりと拍手する音が聞こえてきた。
「見事なものだ、下賤の者よ。我が精兵を、まるで虫けらのように捻り潰すとはな」
階段の上に姿を現したのは、一人の屈強な魔族だった。他の兵士とは明らかに格の違う、血のように赤い装飾が施された黒鉄の鎧を纏い、その背には巨大な戦斧を担いでいる。ねじくれた二本の角、そして猛禽のように鋭い瞳。彼こそが、この黒鉄の砦の指揮官、魔将軍グロルであった。
グロルは、眼下の惨状を冷徹な目で見下ろし、そして龍魔呂を睨みつけた。
「その禍々しい闘気…貴様、人間ではないな。何者だ?」
「……」
龍魔呂は答えない。ただ、目の前の男が、先ほどの雑兵とは比較にならない「音」を放っているのを、肌で感じていた。
「答えぬか。まあ、良い。どうせここで死ぬ定めの者に、名など不要だろう」
グロルは担いでいた戦斧を軽々と持ち上げ、その切っ先を龍魔呂へと向ける。
「勇者の在処を嗅ぎつけた、帝国の犬か何か知らぬが、貴様の侵攻はここまでだ。我が血の斧の錆にしてくれる!」
グロルが地面を強く踏みしめた。瞬間、彼の全身から血のように赤い闘気が噴き出し、戦斧の刃にまとわりつく。そして、その巨体からは想像もつかないほどの速度で、龍魔呂へと突進した。
「喰らえ! 魔王軍戦斧術――『血染めの大渦(ブラッディ・メイルストロム)』!」
戦斧が、赤い闘気の渦を巻き起こしながら、横薙ぎに振るわれる。それは、岩壁さえも両断するであろう、恐るべき一撃。
対する龍魔呂は、静かに半身に構え、その赤い斬撃の渦の中へと、自ら踏み込んだ。
赤黒い闘気を両腕に集中させ、回転する戦斧の柄を、内側から、両手で挟み込むようにして受け止める。
ギイイイイイイイインッッッ!!!
金属同士が擦れ合うよりもなお甲高い、凄まじい軋み音が響き渡った。二つの強大な闘気がぶつかり合い、周囲の地面が放射状に砕け散る。
「なっ…!? 我が斧を、素手で止めただと!?」
グロルの顔に、初めて驚愕の色が浮かんだ。
「――遅い」
龍魔呂の口から、氷のように冷たい言葉が漏れた。
彼は、戦斧の柄を掴んだまま、逆にグロルの方へと引き寄せる。体勢を崩したグロルの鎧の隙間――脇腹へ、闘気を纏った膝蹴りを、ゼロ距離から叩き込んだ。
ゴッ!
硬い鎧が衝撃でひしゃげ、グロルは短い苦鳴を漏らして後方へ吹き飛んだ。
「ぐ…おのれ、小賢しい真似を…!」
体勢を立て直したグロルは、さらに闘気を高める。傷つけられたプライドが、彼の怒りに火をつけた。
「ならば、これならどうだ!」
グロルは戦斧を地面に突き立て、両手を天に掲げる。呼応するように、庭に転がる兵士たちの亡骸から、血の霧が立ち上り、グロルの元へと収束していく。
「我が同胞の血肉を糧とし、貴様を滅する! 血盟魔術――『千の怨嗟(サウザンド・グリーフ)』!」
集まった血の霧は、無数の鋭い槍へと姿を変え、龍魔呂へと殺到した。回避不能の、全方位からの飽和攻撃。
しかし、龍魔呂はそれを見ても、表情一つ変えなかった。
「鬼神流――」
彼はただ、両の拳を固く握りしめる。指に嵌められた闘鬼の指輪が、彼の意志に応えて赤黒い光を増した。
「――『不動鬼神陣(ふどうきしんじん)』」
彼が立っている、ただそれだけで、彼の周囲の空間が歪む。殺到した血の槍は、龍魔呂の身体に触れる寸前、見えない壁に阻まれたかのように次々と砕け散っていった。彼の闘気が、絶対的な防御結界を形成していたのだ。
「…な…に…?」
奥の手さえもが通用しない現実に、グロルの思考が追いつかない。
その、絶望的な隙を、龍魔呂が見逃すはずもなかった。
彼の姿が、消えた。
グロルがその気配を捉えた時には、龍魔呂は既に、彼の目の前に立っていた。
「終わりだ」
赤黒い闘気を極限まで凝縮した右拳が、グロルの顔面へと、静かに、しかし抗いがたい速度で吸い込まれていく。
「鬼神流…終の秘奥義――」
グロルの目に、自らの死が、はっきりと映っていた。
「――『天地無双撃(てんちむそうげき)』」
閃光。
そして、山一つを揺るがすほどの、轟音。
グロルの巨体は、その一撃によって、上半身の鎧ごと消滅していた。残された下半身だけが、数瞬の間、その場に立ち尽くし、やがて崩れ落ちた。
赤黒い闘気が、ゆっくりと龍魔呂の身体へと戻っていく。
彼は、もはやただの肉塊と化した魔将軍を一瞥もせず、砦の本丸へと、静かに歩を進めていった。
本丸の重い扉を蹴破り、中へと入る。そこには、地下へと続く、暗く長い階段があった。湿った空気と、微かな魔力の残滓。そして、か細い「音」。
階段を下りきった先、一番奥。そこには、魔術で固められた一つの牢があった。
そして、その中に、一人の少年がいた。
薄汚れた服、少し伸びた茶色の髪。恐怖と諦めで彩られた瞳で、こちらを見上げている。その右手の甲に、淡い光を放つ太陽の紋様が浮かんでいるのを、龍魔呂は確かに認めた。
「……」
「……あ……」
鬼神と勇者。
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