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鬼神と月兎
EP 9
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鬼神、勇者と会う
薄暗い地下牢。鉄と血の匂い。
その中心で、二人の少年は静かに対峙していた。一人は、圧倒的な力で全てを破壊し尽くした「鬼神」。もう一人は、ただ無力なまま囚われていた「勇者」。
ダイチは、目の前に立つ男の姿に身を固くしていた。血と埃に汚れ、その全身から放たれる気配は、自分を捕らえていた魔族たちとは比較にならないほど恐ろしかった。この人は、敵なのか、味方なのか。恐怖で声が出ない。
沈黙を破ったのは、龍魔呂の方だった。
彼は、魔術で固められた頑丈な牢の扉に近づくと、複雑な錠前を一瞥もせず、ただ鉄格子を両手で掴んだ。
そして、静かに、力を込める。
ミシミシ…と、鉄が悲鳴を上げる。赤黒い闘気の残滓が腕に浮かび上がり、鍛え上げられた筋肉が隆起する。次の瞬間、極太の鉄格子は、まるで濡れた粘土のように、ぐにゃりと外側へと引き剥がされていった。
理不尽なまでの、純粋な「力」。
龍魔呂は、こじ開けた隙間から中へと入り、ダイチを見下ろした。
「…お前が、勇者か」
その声には、感情が乗っていなかった。ただ、事実を確認するための、無機質な響き。
ダイチは、その問いに答えることも忘れ、ただこくこくと頷くことしかできなかった。
龍魔呂はそれ以上何も言わず、踵を返して牢の外へと歩き出す。その背中が「ついてこい」と語っていた。ダイチは一瞬躊躇したが、この暗く恐ろしい場所に一人で残される恐怖が、目の前の「鬼神」への恐怖を上回り、慌ててその後を追った。
地上へと続く階段を上り、砦の庭へと出る。
そこでダイチが見たのは、地獄そのものだった。
破壊され尽くした建物、大地に刻まれた巨大な亀裂、そして、数え切れないほどの魔族の亡骸。その惨状の中心に、この男がたった一人で立ったのだと、ダイチは理解した。
(この人が…一人で…これを…?)
恐怖と、そして、それを上回る畏怖。
自分を救ってくれたのは、聖騎士のような輝かしい英雄ではなかった。悪夢に出てくる魔王よりもなお恐ろしい、破壊の化身だった。
二人が、爆ぜ飛んだ門の残骸から外へと出た、その時だった。
「ダイチ様!」
待ちかねていたユイが、崖の上から駆け下りてきた。
「ご無事で…! 本当に、良かった…!」
目に涙を浮かべ、安堵の表情を浮かべるユイの姿に、ダイチの張り詰めていた緊張の糸が切れた。
「ユイさん…! う、うわあああん…!」
彼は、子供のように声を上げて泣きじゃくり、ユイに抱きついた。数日間の恐怖と孤独が、一気に涙となって溢れ出したのだ。
ユイは、そんなダイチの頭を優しく撫でながら、龍魔呂に向き直った。
「龍魔呂様、本当に、ありがとうございます! ダイチ様を助けてくださって…!」
「…別に。こいつに頼まれただけだ」
龍魔呂は、どこか居心地が悪そうにそっぽを向き、短く答えた。
ユイの言葉で、ダイチは自分がまだ礼を言っていなかったことに気づく。彼は涙を拭うと、龍魔呂の前に進み出て、深く、深く頭を下げた。
「あ、あの…! ありがとうございました! 僕を、助けてくれて…!」
「……」
龍魔呂は、その感謝の言葉を、ただ無言で受け止めていた。
ダイチは、どうすればこの感謝が伝わるか分からず、おろおろとしながら、彼が唯一できることを口にした。
「あ、あの! もしよかったら、お礼に何か…! ぼ、僕、料理なら、作れるんですけど…!」
その言葉に、龍魔呂の眉が、ほんのわずかに動いたように見えた。
その夜、三人は砦から少し離れた森の中で、野営をしていた。
焚き火の穏やかな光が、三人の顔を照らしている。
ダイチは、ユイが買い込んでいた食料を使い、手際よく夕食の準備をしていた。ありあわせの材料で作った、素朴な肉と野菜のシチュー。しかし、その香りには、人の心をほっとさせるような、温かい優しさが満ちていた。
差し出された木の器を、龍魔呂は無言で受け取り、一口、また一口と、ゆっくりとシチューを口に運ぶ。
それは、闘技場で与えられた残飯でもなく、道場で食べた厳しい修行食でもない。ただ、温かく、優しい味がした。
(…こんな味は、いつ以来か…)
遠い昔。母がまだ生きていて、ユウが生まれる前の、ほんのわずかな、穏やかだった日々の記憶。その断片が、龍魔呂の心の奥底で、ちり、と小さな火花を立てた。
彼は何も言わない。ただ、黙々と、しかし、最後の一滴まで、そのシチューを食べ終えた。
ユイは、そんな龍魔呂の姿を、じっと見つめていた。
彼女の耳には、聞こえていた。龍魔呂から発せられる、荒れ狂う嵐のような「音」が、ほんの少しだけ、本当に、ほんの少しだけ、凪いでいるのを。
鬼神と勇者、そして月兎。
三人の奇妙な旅は、温かいシチューの湯気と共に、静かに、そして確かに、始まろうとしていた。
薄暗い地下牢。鉄と血の匂い。
その中心で、二人の少年は静かに対峙していた。一人は、圧倒的な力で全てを破壊し尽くした「鬼神」。もう一人は、ただ無力なまま囚われていた「勇者」。
ダイチは、目の前に立つ男の姿に身を固くしていた。血と埃に汚れ、その全身から放たれる気配は、自分を捕らえていた魔族たちとは比較にならないほど恐ろしかった。この人は、敵なのか、味方なのか。恐怖で声が出ない。
沈黙を破ったのは、龍魔呂の方だった。
彼は、魔術で固められた頑丈な牢の扉に近づくと、複雑な錠前を一瞥もせず、ただ鉄格子を両手で掴んだ。
そして、静かに、力を込める。
ミシミシ…と、鉄が悲鳴を上げる。赤黒い闘気の残滓が腕に浮かび上がり、鍛え上げられた筋肉が隆起する。次の瞬間、極太の鉄格子は、まるで濡れた粘土のように、ぐにゃりと外側へと引き剥がされていった。
理不尽なまでの、純粋な「力」。
龍魔呂は、こじ開けた隙間から中へと入り、ダイチを見下ろした。
「…お前が、勇者か」
その声には、感情が乗っていなかった。ただ、事実を確認するための、無機質な響き。
ダイチは、その問いに答えることも忘れ、ただこくこくと頷くことしかできなかった。
龍魔呂はそれ以上何も言わず、踵を返して牢の外へと歩き出す。その背中が「ついてこい」と語っていた。ダイチは一瞬躊躇したが、この暗く恐ろしい場所に一人で残される恐怖が、目の前の「鬼神」への恐怖を上回り、慌ててその後を追った。
地上へと続く階段を上り、砦の庭へと出る。
そこでダイチが見たのは、地獄そのものだった。
破壊され尽くした建物、大地に刻まれた巨大な亀裂、そして、数え切れないほどの魔族の亡骸。その惨状の中心に、この男がたった一人で立ったのだと、ダイチは理解した。
(この人が…一人で…これを…?)
恐怖と、そして、それを上回る畏怖。
自分を救ってくれたのは、聖騎士のような輝かしい英雄ではなかった。悪夢に出てくる魔王よりもなお恐ろしい、破壊の化身だった。
二人が、爆ぜ飛んだ門の残骸から外へと出た、その時だった。
「ダイチ様!」
待ちかねていたユイが、崖の上から駆け下りてきた。
「ご無事で…! 本当に、良かった…!」
目に涙を浮かべ、安堵の表情を浮かべるユイの姿に、ダイチの張り詰めていた緊張の糸が切れた。
「ユイさん…! う、うわあああん…!」
彼は、子供のように声を上げて泣きじゃくり、ユイに抱きついた。数日間の恐怖と孤独が、一気に涙となって溢れ出したのだ。
ユイは、そんなダイチの頭を優しく撫でながら、龍魔呂に向き直った。
「龍魔呂様、本当に、ありがとうございます! ダイチ様を助けてくださって…!」
「…別に。こいつに頼まれただけだ」
龍魔呂は、どこか居心地が悪そうにそっぽを向き、短く答えた。
ユイの言葉で、ダイチは自分がまだ礼を言っていなかったことに気づく。彼は涙を拭うと、龍魔呂の前に進み出て、深く、深く頭を下げた。
「あ、あの…! ありがとうございました! 僕を、助けてくれて…!」
「……」
龍魔呂は、その感謝の言葉を、ただ無言で受け止めていた。
ダイチは、どうすればこの感謝が伝わるか分からず、おろおろとしながら、彼が唯一できることを口にした。
「あ、あの! もしよかったら、お礼に何か…! ぼ、僕、料理なら、作れるんですけど…!」
その言葉に、龍魔呂の眉が、ほんのわずかに動いたように見えた。
その夜、三人は砦から少し離れた森の中で、野営をしていた。
焚き火の穏やかな光が、三人の顔を照らしている。
ダイチは、ユイが買い込んでいた食料を使い、手際よく夕食の準備をしていた。ありあわせの材料で作った、素朴な肉と野菜のシチュー。しかし、その香りには、人の心をほっとさせるような、温かい優しさが満ちていた。
差し出された木の器を、龍魔呂は無言で受け取り、一口、また一口と、ゆっくりとシチューを口に運ぶ。
それは、闘技場で与えられた残飯でもなく、道場で食べた厳しい修行食でもない。ただ、温かく、優しい味がした。
(…こんな味は、いつ以来か…)
遠い昔。母がまだ生きていて、ユウが生まれる前の、ほんのわずかな、穏やかだった日々の記憶。その断片が、龍魔呂の心の奥底で、ちり、と小さな火花を立てた。
彼は何も言わない。ただ、黙々と、しかし、最後の一滴まで、そのシチューを食べ終えた。
ユイは、そんな龍魔呂の姿を、じっと見つめていた。
彼女の耳には、聞こえていた。龍魔呂から発せられる、荒れ狂う嵐のような「音」が、ほんの少しだけ、本当に、ほんの少しだけ、凪いでいるのを。
鬼神と勇者、そして月兎。
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